パスタとピラフ

第3話 パスタとピラフ

「何処へ行こうか。

 外?それとも、下の社員食堂で済ます?」
 
「僕もついて行って良いですか?」

 低い位置から、何とも可愛らしい声が聞こえた。
 
「当然じゃない。元はあなたを誘う為に、一緒に行こうって話を切り出したんだから。

 そうだ!ちょっと遠いけど、パスタが美味しいって評判の喫茶店、教えて貰ったから、行ってみようか?」
 
 奈津菜の提案に、疾刀は一人、抗議をしようとする。が。
 
「パスタじゃ足りな――」

「決まり!

 混む前に、さっさと行きましょう!」
 
 疾刀の意見など欠片も聞かずに、奈津菜が先導して歩き出した。
 
 遠いと言っても、十分そこそこ歩いた程度だ。空いていた最後のテーブルに、滑り込みで間に合った。
 
「さ、楓ちゃんも上着は脱いで。

 何にする?」
 
 余程の子供好きなのか、かいがいしく楓の面倒を見る奈津菜。ここに来るまでも、ずっと手を繋いでいた。
 
 パーカーを脱がせようともするが、楓は嫌がった。
 
「駄目よ、脱がないと。お行儀が悪い。

 ……大事なものなの、それ?」
 
 楓は黙って頷く。寝る時も着ていた筈だと、疾刀は思い出す。
 
「食べ終わるまでの我慢だから、脱いで置いておこう?

 お姉ちゃんが、チョコパフェおごってあげるからさ」
 
 渋々ながら、楓はその説得に折れることにした。しきりに後ろを気にしながらパーカーを脱ぐと、背後が壁に面している椅子を確保する。
 
 奈津菜はその隣に座った。
 
「さ、何食べようか。

 ミートソースが良い?それとも……ナポリタン?」
 
「……カルボナーラ」

 女性陣はそれぞれ注文するが、疾刀はそれでは足りないので、ピラフを大盛りで頼んだ。そして最後に奈津菜が。
 
「チョコパフェ4つ」

 勝手に注文を付け加える。
 
「ひょっとして、僕らの分も?」

「当然よ。

 横で見てるだけじゃ、寂しいでしょ?」
 
「給料日前なのに……」

 軽い財布の事を考えると、気が重い。
 
 女性陣は朝と同様に、話が盛り上がる。疾刀も会話には加わらないまでも、かたわらからその会話に耳を傾けていた。
 
「――でね。これが新しい情報。

 あの式城 紗斗里って人ね、研究データとソフト、ほとんど持ち逃げしちゃったらしいのよ」
 
 話題はやはり、失踪したサイコプラグのソフトメーカー・式城 紗斗里に関する噂ばかりだ。
 
「それって、大変な事になるんじゃないですか?

 彼女の作るサイコソフトなら、一つで何十億って価値があるんじゃ……」
 
「ヘタすれば、何百億よ。ヒーリングソフトのスワンだけでも、百億円ぐらいの価値があるらしいわ。

 あのソフトって、癌もエイズも治せたらしいもの。使い手を選ぶのが難点だけどね。
 
 それに、つい先日、話題になった、完全代謝制御ソフトもあるじゃない。
 
 アレが本当に永遠の若さを保てる代物なら、億を超えて兆単位の値段がついてもおかしくないわ。
 
 でねでね、彼女が逃げ出す時、派手にやり合ったらしいのよ。
 
 ほとんどのテレビじゃ映して無かったけど、研究所の裏の方が、派手に壊されていたんだって」
 
「あそこって、対超能力用の設備は整っているんじゃなかったんですか?」

 何処から仕入れたのか分からない、眉唾まゆつばな話に、千種は驚く。
 
「強い人のサイコワイヤーって、そう簡単には消せないんですって。

 だから、『キラー』なんて連中もいるわけじゃない」
 
「ええっ?アレって、物理的に破壊してるんじゃなかったんですか?」

 二人がそんな話をしている間に――
 
「お待たせしました。ポークピラフの大盛りです」

 疾刀が注文した料理が運ばれてきた。
 
 ドンッ。
 
 置かれた器が、そんな音を立てたように思えた。別に乱暴に置かれた訳では無い。
 
 会話が途切れ、視線がピラフに集中する。
 
 三人前。見たところ、そのくらいの量はありそうだった。
 
「凄い量ね、それ」

「そうですね。

 じゃあ、お先に」
 
 スプーンを手に取り、一口目を口に運ぶ。味は良い方だ。
 
 間も無く三人の料理も運ばれてくる。
 
 それからは式城 紗斗里に関する話題は中断され、今度は運ばれてきたパスタに関して、話題は集中した。
 
「うん、美味しい」

「80点かな?

 もうちょっと安ければ、ちょくちょく来ても良いんだけどね」
 
 パスタを巻き上げる手も止めずに、奈津菜はそう評価した。
 
「先輩のも一口食べさせてもらって良いですか?」

「良いわよ。

 楓ちゃんも食べる?」
 
 おしゃべりをしながら、ゆっくりと食事を楽しむ三人。
 
 疾刀だけは、いつもより早いペースで休むことなく食べ続ける。
 
 結局、残す事は無かったものの、流石に腹がキツい。
 
「パフェはちょっと、入らないかな……」

「何言ってるのよ。甘いものは別腹って云うでしょ?」

 他人事だと思って、簡単に言う奈津菜。
 
 運ばれてくるまでにそれなりの時間があったのが、疾刀にはありがたかった。
 
「あ!」

「どうしたの?」

 千種が楓の服を指差す。
 
 クリームソースが飛んで、服に付着している。
 
 幸いにも白い服だった為、奈津菜が拭き取ってやると、目立たなくはなったのだが。
 
「困ったな」

「何が?」

 疾刀の呟きに、奈津菜が訊ねる。
 
「いえ、替えの服が無いんですよ」

 昨日出会った時、楓の持ち物は、着ている服の他は小さな頭陀袋ずたぶくろが一つきりだった。
 
 明日は休みなので、必要そうなものは買いに行くつもりだったのだが。
 
「買いに行けば良いじゃない。

 そうだ!この後、皆で行きましょうよ!
 
 チーフもいない事だしさ、それにお茶っ葉も無くなりそうだったし……」
 
 次から次へと口実が湧いて出て来る。
 
 舌先三寸の丸め込みは、彼女の得意とするところだ。
 
 だから、彼女ら第二開発室のメンバーによって開発された商品に関する社内での説明会は、開発者に関わらず、彼女に任せられることが多い。
 
「あの……私は仕事が……」

 もちろん、そんな事を言った程度では、新人の千種がそこから逃げ出すことなど、出来る筈も無かった。