第1話 疾刀と謎の少女
バサッ。
久し振りに朝から新聞を広げている青年。長い髪を後ろで束ね、眼鏡を掛け、ちょっと冴えない感じがする。
興味のある記事が載っている。
それだけが新聞を読んでいる理由では無く、いつもは自分で作っていた朝食を、今日は作る必要が無かったからでもある。
新聞の一面。大きな見出しで、こうある。
『天才ソフトメーカー失踪』
自分の職業と、直接で無いにしろ、関係のある人物の記事に、青年は真剣な表情で目を通し続けていた。
「食べないの?
口に合わなかった?」
テーブルの反対側から、今朝の朝食を作ってくれた少女が声を掛けた。
十歳に届いていないくらいだろうか。
食事中だというのに、大きめの赤いパーカーを羽織り、フードまで被っている。
彼女の話し方には、どうも抑揚が無いというか、感情に乏しいようなところがある。
青年が何の反応も示さないので、彼女が再び口を開こうとしたところ、ようやく返事が返って来る。
「あ、いや。そんなことないよ。
美味しいよ、楓ちゃんの料理。
この記事だけ読んでから食べるからね」
美味しいと言いながらも、実はまだ料理には一口も手を付けていない。
余程の関心事なのだろう。大きなニュースであるということは、新聞の一面にデカデカと載せられているという記事の取り扱われ方だけ見ても、一目で分かるが。
「そうか。いなくなったのか。
これでこの業界は、何年、開発が遅れることになるんだろう……」
その記事に一通り目を通し終えて、新聞を丁寧に畳む。
出社すれば、その話題で持ち切りになることは、目に見えていた。
「いただきます」
それほどゆっくりとしていられる訳でも無いので、手を合わせて朝食に手を付け始めた。
いつも通りに、テレビでニュース番組にチャンネルを合わせてから。
テレビでも、丁度そのニュースが流れ始めた。
食事の手は止めずに、そのニュースに耳を傾け、時々画面にも目を向ける。
天才ソフトメーカー、『式城 紗斗里』の失踪。それは全世界を騒がせるに十分過ぎるニュースだった。
彼女こそが、サイコプラグシステムの生みの親であり、同時に最高の作り手であり、最高の使い手であった。
サイコプラグシステムとは、人間の後頭部に、ソケットと呼ばれる差込口を取り付け、サイコプラグと呼ばれる専用のソフトを差し込む事によって、超能力を目覚めさせるシステムだ。
プラグシステムそのものは、式城 紗斗里よりも前の時代に発明されているが、せいぜいがデータの保存用でしか無かった。
およそ50年前に開発されたシステムで、30年前にそれを阻害するジャミングシステムが開発された事により、販売への規制が緩和された為、以来、急速に普及し始めている。
テレビに注目しながらも、食事を続ける青年・風魔 疾刀の勤める会社も、そのジャミングシステムを開発する会社の一つだ。ついでに言えば、元祖と言っても良い。
疾刀も、サイコプラグは妨害用のものばかり三つ取り付けている。
小さいものなので、髪の毛に完全に隠れてしまい、見た目には分からない。
疾刀にはその三つを同時に使いこなせる技術は無いが、いちいち取り替える手間を省くため、最近、三つ目を取り付けたばかりだ。
そんなものは、無くても出来る仕事なのだが、やはりあった方が何かと有利に仕事を進められる。
何より、護身の為というのが、取り付けた最大の理由だが。
「ご馳走様。
後片付けは、僕がやりますよ」
本当は、楓に食事の準備をやらせるつもりも無かった。
起きてみたら既に作っていたのだ。
一緒のベッドに寝ていた筈なのに、いつの間にか先に起き出して。
一緒のベッドに寝ていたと言っても、二人の関係は親子ではない。兄妹でもなければ、ましてや恋人などでは無い。
疾刀の名誉の為に付け加えれば、彼はロリータなコンプレックスなど持ち合わせていない。
二人は、昨日までは会った事も無かった。
昨日の会社からの帰りに、疾刀が地下鉄の駅の構内で、一人で座っている楓を見付けたのだ。
あまり治安の良くない場所なので声を掛けてみると、疾刀の名前だけ確認して、理由も話さずに妹にして欲しいと言い出したのだ。
彼女は親も兄弟も、親戚もいないと云い、警察に行くことを嫌がったので、疾刀は仕方なく家に連れ帰って来たのだ。
ベッドは譲り合いの末、二人で一緒に使うということに落ち着いた。
「僕が会社に行っている間、楓ちゃんはどする?
一人で留守番していられるかい?」
皿を洗いながら、疾刀が訊ねた。
「留守番は嫌だ。一緒に行く」
楓は静かに、そう返す。
「困ったな」
困ったと言いながら、その顔には困った素振りは微塵も見せていない。彼の性分だ。
疾刀が勤める会社は、研究所に近い雰囲気な為、うるさく云う会社ではない。だから、連れて行くということも考えてはいた。
こんな子供に、企業秘密も何も無いだろう。
「大人しく、静かにしていられるかい?」
楓は小さく頷く。
「仕方ないな。
じゃあ、準備するから、楓ちゃんも準備して」
皿を手早く洗い終えると、今度は着替えを始める。
堅苦しい会社では無いので、スーツに着替える訳では無い。
半袖のポロシャツにスラックス、ジャケットといった出で立ちになった。
会社では、ジャケットの代わりに白衣を羽織る。
「さ、行こうか」
家を出るのは、いつもより少し早かった。鍵を閉め、楓と手を繋ぐ。
疾刀は背が高めで、まだまだ子供に見える楓は背が低いので、そうしていると歳の近い親子のようだった。
歩くペースは楓に合わせていたため、会社への到着は、遅刻では無いが、いつもよりやや遅めとなってしまった。