百合音の手回し

第31話 百合音の手回し

 86秒。
 
 一回戦・二回戦は見ていないが、七回戦までの五試合で降籏さんが試合に要した時間の総計である。
 
 平均すると、17.2秒。一試合で最大200秒も続けられる試合を、その10分の1にも満たない時間で終わらせているのだ。
 
 これはもう正直言って、驚異的としか言いようが無いだろう。
 
「可哀想になぁ。最後の奴なんて、10秒もかからずに瞬殺されてるぜ?」

 まるで他人事のように言う圭。
 
 ……まぁ、彼にとってみれば、正に他人事なんだろうけど。
 
「彼女に当たった事がご不幸としか、言いようが無いね」

 それは俺にも同様の事が言えるという気がして、俺も不幸な事故に会ったとでも思って諦め……いやいや、ここで弱気になってどうする!
 
「優勝は、もう彼女で決まりだろう」

「それを言うなあああああああ!」

 分かっている!平均17.2秒というタイムが、どれだけ驚異的な数字であるかなどということは!
 
 だがしかし!
 
 そこで諦めるという事は、俺にとって人生の様々な可能性を諦めてしまうという事を意味している!
 
 諦める訳にはいかない!
 
「そうは言っても、もう相手になる奴はいないぜ?」

「まだいるだろぉ!去年の優勝者とかが!」

「だから、それがたった今消え去ったから、決まりだと言ったんだよ。

 可哀想になぁ。昨年の優勝者が、予選落ちだぜ?
 
 屈辱的だよなぁ……」
 
 ケントのその言葉で、目の前が真っ暗になった。
 
 これでもう、自力で防ぐ他には、手はなくなってしまったわけだ。
 
 ……くぅっ、当てにならん連中め!
 
「結局、対抗馬は羅閃だけねぇ。

 ひょっとするとあなた達、団体戦で優勝出来るんじゃないの?」
 
「単なる頭数だった筈の二人が主力、ってぇのが、悔しいですけどねぇ」

「キャラクターが卑怯なんだから、仕方無いんじゃない?」

「人聞きの悪い事を言うなぁっ!」

 降籏さんのジャンヌはともかく、ジャックが卑怯だと言われるのは心外だ。
 
 それも、基本設計した本人に言われるなど、もっての外!俺がいじった設定は少ないぞ?
 
「試作品を持ち出しておいて、何を言っているのよ?」

「持ってけって言ったのは、アンタじゃないかっ!」

「言ってないわよ!」

「主任からはそうとしか聞いてないぞ!」

「知らないわよ!

 それに、主任って呼び方は止めるように言ったじゃない!
 
 ……って、悪いけど、ちょっと待った」
 
 美菜姉ちゃんの左の掌が、俺の視界をさえぎった。彼女は左手をそのままにして、右手の人差し指を眉間に当てて考え込む。
 
「……なぁるほどー。そういう事になっていた訳ねぇ。ふぅーん」

「……何だよ、一体」

 俺は悪だくみしている時と似た、美菜姉ちゃんの顔を見て、不気味に思い一歩退く。
 
「アンタ、百合音の操るライトタンクと戦った?」

 邪魔だった手が退けられ、代わりの質問を突き付けられた。
 
「二回……戦ったけど、それがどうかしたのか?」

「勝敗は?」

「俺が二勝。一戦目はジャックだったけど、二戦目はヘヴィータンクで」

「ほほぉう、やるわねぇ。相性の悪いヘヴィータンクで勝つなんて。

 そんな条件で負かされたら、そりゃあ、あの子も燃える筈だわ」
 
 ……そういえば、彼女は最初、ライトタンクで大会に出る、などというナメたことを考えていたらしかったが……。
 
「見た目によらず、負けず嫌いだからねぇ」

「いや。最初から、単なる負けず嫌いな女の子にしか見えなかったぞ」

 俺の言葉など、まるっきり無視して、美菜姉ちゃんは筐体の方を向いて言った。
 
「来た来た、主犯が」

 相変わらず、試合を終えてから随分と時間を掛けて、降籏さんが筐体から出て来た。
 
 すぐに美菜姉ちゃんは彼女に駆け寄り、肩を組んでこちらへと連れてくる。
 
 途中、何事かを耳打ちしたかと思うと、降籏さんの顔色は蒼白そうはくになった。
 
「大丈夫よ、会社の連中には黙っておいてあげるから」

 美菜姉ちゃんに弱みでも握られたのだろうか。
 
 だとしたら、よりにもよってなんて相手に……。
 
 なんて気の毒な……いや、彼女に同情するのは止そう。
 
 どちらかと言えば、俺の方が同情して欲しいくらいだ。
 
「一体、どういう話になってるんだ?」

「要は、試作品の持ち出しが、いつの間にかいろんなところで了承されているってこと。

 百合音に感謝しなさいよ。この子が手回ししなかったら、そんな強いキャラなんて使える筈が無かったんだから」
 
「……手回し……って、どうしてそんな事を?」

「どうして?」

 俺からの質問が、美菜姉ちゃんを経由して降籏さんに流れるが、彼女は口をつぐんで答えようとしない。
 
 俺は美菜姉ちゃんの顔色をうかがうが、どうも、知っているか予想がついているようにしか思えない。
 
 ……この様子じゃ、降籏さん、会社でもオモチャにされてるだろうなぁ。
 
「まあ、無理に言わなくても良いけど」

「私は無理にでも聞き出すけど」

「……」

 今さらながら、なんて奴。
 
「おとなしく話した方が良いよ、降籏さん」

 俺としては、そう忠告する事しか出来ない。
 
「おーい、蒼木ー。出番だぞー」

 ケントに呼ばれてその場を立ち去った俺には、残念ながら、結局どういう経緯でジャックが俺の物になったのかを知る事は出来なかった。
 
 ともあれ、これを勝てば予選突破ということになる。まずはその試合に専念することとしよう。