アイヲエルは、とりあえず今晩泊まる宿を探して、安宿を経験しよう!と意気込むものの、ヴィジーの手によって、高級宿を代金国持ちで手配され、ムスッとしながら、豪華な夕食を食べるのだった。

「違うんだよ、俺の経験したい旅は!」

「ほぅ……それを言葉に出来るか?」

 ヴィジーに煽られ、アイヲエルはムキになってこう告げる。

「安宿に泊まって、安っぽい食事を食べて、『何だ、庶民はこんな食事を食べるのか!』ってまず言うんだ。
 そしたら、師匠、何て返します?」

「『国の最下層はこんなものだな。まぁ、喰えるだけマシじゃねーの?』、かな?」

「そしたら、俺はこう返すんだ。『もうちょっと、せめて全国民が肉とパンとサラダを食べられるのが当たり前の国にしなければ!』って。
 そしたら、師匠は?」

「『理想は立派だが、そこに至る困難はどう乗り越えるんだ?』だろうな」

「じゃあ、俺は『え?|迷宮《ラビリンス》ではそのくらいのものも調達出来ないの?!』だな。
 師匠は?」

「そうだなぁ……『肉は頑張れば何とかなる。でも、パンとサラダは話が別だ。まぁ、堅パンぐらいは全国民に行き渡らせるのは出来るだろうがな』ってところか」

「俺は『じゃあ、肉とパンは頑張って、野菜は大規模な畑を作れば、少しずつなら何とかなるだろう?』で、どうだ!」

「愚問だな。『パンのための麦畑が必要だから、それ以上は難しいな』……なぁ、コレ、必要なやり取りか!?」

「必要性を師匠が奪ったんですよ!『なら、もっと大規模な畑を作ればどうですか?』なら、どう返します?」

「うーん……無駄なやり取りに思えるなぁ……。『大規模にするにも、限界があるだろ』……もういいだろ?」

「もうちょっと。『なら、その限界まで畑を広げてみたんですか!?』ですね!」

「あと二・三回が限界な。『限界まで畑を広めたら、それはそれで弊害が出て来るんだよ』……もうそろそろ済ませろよ?」

「うーん……『その弊害を解決する努力はしてみました?』次の答え次第です」

「なら、こうだな。『弊害が出てから対処するんじゃ遅いんだよ』……ホラ、どうだ?」

「うーん……流石に返す言葉が無いですねぇ……。
 でも、コレを実際にやってみないと、旅の醍醐味が無いというか……。
 高級宿に泊まるんじゃ、城と大差ないじゃないですか!」

 この言葉に、ヴィジーは思わずムッとする。だが、大人の対応をしながら、|厭味《いやみ》を混ぜる。

「なら、明日は要望の安宿に泊まらせてやるよ。
 その際、文句は受け付けない!」

「約束ですよ?文句なんて言いませんからね?」

 ヴィジーにしてみれば、「こう言いながらも、実際には文句言うんだろうなぁ」という思いだが、アイヲエルにしてみれば、お忍びの時に泊まりになる際の宿を想定していた。そして、ヴィジーは折角だから、ボロ宿にしてやろう!と思いつつも、自分も同じ宿は嫌だなぁと思うのだった。

「そうだ!明日は|風神王《ちちうえ》に手紙を|認《したた》めて送らないと!」

「用事があるなら引き返せよ!」

「手紙で充分です、って。
 迷宮は神造だって訊いたからな、多分、出来る筈だ!」

「用件は?」

「聞きます?」

「当然だな。儂はお前の保護者だぞ?」

「フッフッフ……。迷宮に『植物系モンスター』を出現させて貰うんですよ!勿論、食用でね!」

「……!お前、それを自分の手でやらんのか!?割とお手柄だぞ?!」

「早くに実行した方が良いに決まってるじゃないですか」

「……!!」

 この手の手柄は、勲章に繋がる。そして、アイヲエルはヴィジーの正装と自身の正装を比べて、「勲章が格好良い」と、勲章を欲しがっていた筈だ。何せ、アイヲエルは格好良い事をまるで美徳のように思っていたのだ。勲章を諦めるとは、らしく無い。それとも、単に気付いていないだけなのか?ならば、それを指摘するべきか?……否。

「アイヲエル。迷宮産の野菜は、食べたい者が相当に限られると思うぞ」

「最下層民が食べられれば良いじゃないですか」

「お前、そんな安物を、ワザワザ冒険者が持ち帰ると思うか?」

「冒険者が食べ始めるんじゃないですか?
 何せ、迷宮に潜って野菜の調達は難しいですから」

「?!……冒険者からニーズが生じて、一般的な食材になるところまで予想済みか?!」

「いやぁ、一般的な食材になるまでは、相当な時間が掛かるじゃないですか」

 この様子なら、気付いていてもおかしく無い。だが、勲章を欲しがらない理由が分からない。ヴィジーは、その点を突き付ける事にした。

「お前、自分の手でそれを成し遂げれば、勲章モノだぞ!?」

「勲章より、早い導入の方が重要じゃないですか。
 まぁ、|風神王《ちちうえ》がやらない可能性まで考えた上で、手紙で報告で充分だと判断しましたが」

 男子、三日会わざれば……。正直、ヴィジーはアイヲエルを相当に侮っていた。器用さに任せ、何事も三日坊主だが、大抵は三日で基礎を身に着けて。
 ただの遊び人だと思っていた。だが、違う。賢者の素養を身に着けた遊び人だったのだ。

「……お前、末恐ろしい神王になりそうだな」

「……ん?何か俺を見直すだけの要素がありました?
 俺はただの閃きを|風神王《ちちうえ》に報告するだけですが?」

 それでも。
 それでも、アイヲエルの評価を上方修正しなければならない出来事だった。
 素養を身に着けた、と云うのはまだ違うのかも知れない。だが、素養に目覚めつつあるという段階へは到達していそうだ。
 ヴィジーは、ようやく、アイヲエルが旅に出たことで成長の断片を見せようとしていることに気付いた。
 ただ……手紙の件は、無駄に終わりそうだなと思っていた。
 国王は、最下層民を見るものでは無い。もっと表層の、一見して明らかな国の情勢を見るものだ。
 で無くば、国全体を豊かにする事が出来ないからだ。
 だが、アイヲエルは最下層民を見ていた。
 国を支えるために犠牲になっている人々のことを思った。
 それは、国全体を豊かにするには、無駄なことなのかも知れない。
 だが、アイヲエルがこの手を打った時、人々はそれが勲章モノの活躍だと気付くだろうか?
 ──否。気付く筈が無い。
 何故ならば、迷宮が神造のモノだと知っている者は、王の経験者だけだ。管理の権限を貸されている王の経験者のみだ。
 しかも、速効性が無い。
 一瞬、勲章モノの手柄だと思ったが、そこまでの手柄では無い。実質上は別としても。
 ならば、アイヲエルが風神王に任せるのも理解出来る。

 ヴィジーは、100を越える|齢《とし》を生き、十男を以てして、ようやく王の資格を持つ子供を得られたとして、王座を退いたが、在位は50年は越える。
 長男から三男、長女・次女は既に亡くなっているが、外見で言えば、八男と大差ない。
 通常、そこまで王座に|獅噛《しが》みつく王は居ない。子が先に老いていくのを見ていられないからだ。
 だが、天星国王として、八カ国中二カ国しか無い、豊かな国を維持するためには心を鬼にして、才覚ある子供に王座を継がせなければならなかった。
 その才覚を見出した時は、何が切っ掛けだったか……その記憶は既に薄れている。
 だが、今なお、天星国は風神国に並ぶ豊かな国である。ヴィジーに後悔は無い。
 ただ、我が子の|逝去《せいきょ》は|哀《かな》しかった。

 ヴィジーは、アイヲエルの旅が終わるまでは生きると決めた。
 それは、父親らしいことをしてやれなかった子供たちへの想いを、アイヲエルに重ねているからかも知れなかった。