第9話 一杯の紅茶
予想通りと言えば予想通りだが、夜に来訪者があった。しかも、首謀者と思われる滝沢さん直々の。
「夜中に、若い女性が一人で、男の部屋を来訪するとは……」
「理由は分かっているでしょう?下品な冗談は言わないで。
とりあえず、感付かれたくないの。戸口で長時間話すのは不都合だから、上がっていいかしら?」
「まぁ……どうぞ」
予測が立っていたから、部屋はある程度、片付けておいた。それでも、潔癖症では無いので、俺が言う「片付けた」のレベルでは、他人が見ても、然程綺麗なイメージは無いだろう。
「紅茶で良いか?」
「お構いなく。……紅茶なんてあるの?」
「趣味でね。オリジナルブレンドの研究が好きなんだ」
「へぇー……意外」
「なに。映画の影響だ」
今日のブレンドは、春に合わせて桜風味。
俺自身の感想が「イマイチ」なのが残念だが、会心の出来栄えになる事は、百回に一回程度。
仕方あるまい。ブレンドの相性とかを調べる程までは、まだやり込んでいないのだ。
「へぇ……、いい香りね」
「そうか。ソレは良かった」
安物だが、耐熱ガラスのティーカップに淹れて出した。
綺麗な桜色を出す事が、恐らく風味を損なった原因だ。
口に含むと、桜の風味が強過ぎる。
薄めると、紅茶の風味を失う。
ブレンドの分量は記録してあるので、来年は成功させたい。
去年も少し違う分量で試し、中々の出来だったのだが、桜色が綺麗に出なかった。
それに、同じ茶葉でも採取した年によって、或いはそれ以外の様々な条件次第でも、風味が変わってしまうのが難しくて、そこがまた、面白い。
「で?用件は?
茶を飲みに来た訳ではあるまい」
「……せっかく、お茶を楽しんでいたのに。
まぁいいわ。
あなた、私に協力する気は無い?」
「無い。帰れ」
「……身も蓋も無い」
彼女は一つ嘆息した。
「あなた、頭が切れるみたいだから、味方に引き込みたかったの。せめて、交渉に応じてくれない?」
「俺のアタマが出した結論は、この治験への協力には多大な利益を伴う。協力する事が、賢い選択肢だ。
大体、治験に協力することを前提に雇って貰って、いざ話を聞いたら、協力できないと言うのは、感情的には理解できても、筋が通っていない。
どうせ、治験の内容を意図的に伏せられていた事が、感情的には受け入れられないだけだろう?」
「……そうなの?」
「知るか!」
少し、虫の居所が悪いのか、訳も分からずイライラする。……紅茶に不満があるだけかも知れない。ならば。
俺は、秘蔵のブランデーを取り出して、数滴、紅茶に垂らした。100グラムぐらいしか入っていないのに、5千円もする。「紅茶に入れる為のブランデー」と銘打って売っていたから、気になって購入したものだ。
確かに美味しくなるが、高いし、裏技みたいで、出来るだけ使わないようにしている。
それを、差し出せとばかりに、彼女は左手を差し出した。
「……なんだ、その手は?」
「私も!」
「嫌じゃ!」
「ずるいじゃない!」
「高いんだよ!」
「だからって、自分だけ!?」
しばらく迷ったが、話が進まないと思い、彼女のカップにも数滴垂らす。
「……何、コレ?凄く美味しい!」
「用・件・は?終わったなら、帰れよ!」
「最初に紅茶出したのは誰?出しておいて、楽しんでいたら文句言う訳?」
「客に茶も出さないのは失礼だろうが!」
本音を言えば、最低限の好意を持ってもらう意図もあった。――アレ?コレで俺が文句言うのは、筋が通っていない?!
「……ありがとう」
妙なところで素直に出られて、俺は気勢を失った。恥ずかしくて見ても居られず、ソッポを向いてカップを傾ける。
「――あなたは、不満には思わないの?」
「――あの時給で、裏が無いと思う方がおかしい。聞いた限りの条件じゃ、反発するほどの理由にするには根拠が希薄。
ただ、感情的には反発したくなる奴がいることを理解もしている。
だから、俺はお前には協力できない」
「……私ね。非協力組のリーダーにされかかったの。でも、そんな器じゃないし、あなたがリーダーか、少なくとも参謀になってくれるなら、引き受けるって言っちゃって……。
……どう断ったらいいかな?」
「そいつらと連絡は取れるのか?」