第51話 旅の終わり
「見ろ、あの月を!」
空の頂点、よりは少しズレているが、そこにある月は、満月の夜の筈なのに、ほんの少し欠けていた。
「……!月食か!」
「そう!しかも、皆既月食の日!僕は、それが始まるのを待っていたのだよ!」
「……まあ、どうという事は無い。
何だったら、月が完全に影に覆われてしまうまで、待っていようか?」
「随分な自信だな。なら、望み通り待ってやろう。
イリス殿。その際、僕とウォーディンの戦いに手を出すなら、先に君を無力化する。
僕が欲するものを、あなたは用意できない訳ですし」
「――いいわ。手出しはしない。
じゃあ、待ちましょう」
「……?}
腕を組んで余裕のイリスに、ルシファーも違和感を感じた筈だ。
勝利の確信を、精神面から揺るがされてしまった。
暫し、誰もが静かに月が影に覆われてしまうのを待った。
月が欠けるに従い、ウォーディンの髪と瞳も黒くなって行く。
然程時間は掛からない。
やがて、月が影に覆い尽くされて、完全に見えなくなってしまった。
金色だったウォーディンの髪と瞳は、もう真っ黒だ。
「クックックック……。ハーハッハッハッハ!」
ウォーディンが、らしくもない品の感じられない笑い声を上げた。
「……?」
「やったぞ!月の封印が解けた!久々に、俺の自由だ!」
「……ウォーディン。君、ちょっとおかしくなったんじゃないか?」
「誰だ、俺の名前を気安く呼んだ奴は?」
「し、師匠……?
一体、何が?」
アイオロスは狼狽えるが、状況を理解しているのか、一人、イリスは落ち着いていた。
「安心して。月食が終わったら、元に戻るから。
ねぇ、ウォーディン。そっちの翼の生えた男、命を奪わないまでも、あなたを勝負で負かすつもりよ」
何か様子のおかしいウォーディンが、ルシファーの方を向いた。
アイオロスはそれに加えてイリスがウォーディンを『ゼフィア』という名で呼ばなくなったことに違和感を覚える程度の余裕はあった。
「ほほぅ。どんな勝負だ?」
「ただの戦いよ」
「ならば、あっという間に勝負を決めてやろう。
まずは『SHIELD』!そして、貴様には『SEAL』・『MAGIC』!
ハーっハッハッハ。コレで魔法は使えまい!
究極魔法を使うまでも無い!シンプルな攻撃魔法で――」
「待て!僕の命は奪わない約束だろう!」
「俺はそんな約束をした覚えは――」
ひと房、ウォーディンの髪に金色のものが混じった。ソレが、封印の再発動の切っ掛けだったのだろうか。
「……気が付いた、ゼフィア」
「――ああ、ウォーディンめ、究極魔法を放っていれば、タダでは済まなかったぞ。
イリス。頼みがある。
もう一つ、封印を施して欲しい。
皆既月食の時にしか現れないと言っても、それでも奴は危険だ。
更なる封印を施せば、私は魔法を使う事が出来なくなるだろうが、それはそれでマジック・アイテムに頼れば良いだけの事だから、何とでもなる。
そして、学校を作ろう。魔法使いの為だけの。
島を一つ、買い取ろう。そこに生活の為の自給自足の体制を整えて。
理論は私が教える。
アイオロス。そしてエマ。君たちも協力してくれないか?魔法の、教師として。
生徒は、私が集める。
やがて、大きな組織になるだろう。
何処の国にも属さない、パンデモニウムと協力した、デビルの育成機関ともなり得る。
暴走中のエンジェルを退治するには、適した機関となる筈だ。
どうかな?」
「……どうしよう、クィーリー?」
「私は、アイオロス様の意思に従います」
「じゃあ、せっかくの師匠の頼み、鍛えて貰った恩もある。協力しよう」
「ありがたい。
まずは、先立つものが必要だ。エンジェルを狩ろう。それで資金を集めて――」
「それなら、師匠、良いものがありますよ。
良いかい、クィーリー?」
「ええ、勿論。
100万ドルもあれば、足りるでしょうか?」
「ああ、確かに、私が手にした賞金も使えば、余る程の金額だが、どうやってそんな大金を手に入れた?」
「レースで師匠に賭けたんですよ。
足りないなら、僕が貰った賞金も幾らかあります。
魔法使いの為の学校と云うのは、エンジェルを狩る為の人材育成の為では無いのですか?」
「それもある。
さて、問題は、ルシファーとあの二人だ。
魔法を封印されたからと言って、解けるとは思えないが、エルフとジャイアントの合いの子、どう育つものか……」
「教師として、報酬を与えて貰えば協力してくれると思いますよ。
交渉は、僕がします」
「済まない、助かる。
私は、何を以ってお前たちへのお礼とすれば良いのだろう?」
「恩返しと思って下さい。
師匠のお陰で、僕は今まで、デビルとしてやって来れたのですから」
「ありがとう。それしか、言いようが無い。
イリス。私に、真名の封印を施してくれ。多分、それが最も強力な封印だ」
「どの名を封じるの?」
「そうだな……。
『アルフェリオン』にしよう」
「ソレを封じると、私以外に、アルフェリオン自体の名前を知る人が居なくなってしまうかも知れないけど、良いの?」
「仮名を付ければ良い。『ミスリル銀』とかな。問題は無いさ」
二人がそう話している間に、アイオロスとクィーリーの方も話していた。
「ねぇ、アイオロス様。
私たちも、子供を作りましょうよ。
フラッドさんとトールさんの間に産まれる子供と良い友達となれるよう、早い内に。良いでしょう?」
「……まぁ、構わないけど」
「――ウォーディンさんたちも、子供を作らないのかしら?」
「『産む』じゃなくて、『作る』ってところがミソだね。
本当に、実験として人間を作ってしまいそうだよ、師匠の性格だと。
それにしても……」
アイオロスは虚空を眺めながら、言葉を途切らせた。
「『それにしても』、何です?」
「いや。
この面子の子供が通う学校。平穏無事だと良いんだけどね」
「そうですね――」
アイオロスの期待通りに、平穏無事で済むのか、それは分からない。
ただ――
アイオロスはとりあえず、心の中でデビルとしての度に「さようなら」を言ったのだった。