第14話 真名
「それが……少々言いづらい事なのですけど……跡形も無く、綺麗さっぱりなくなってしまいまして」
「……へ?」
整ったフラッドの顔が、やけに間抜けな表情のまま、凍り付いた。
カメットも大口を開け、流石に驚きを隠せないでいる。
「嘘!
あの建物が跡形も無く壊れるなんて……信じられない!冗談でしょう?」
「それが、本当なんです。
僕が、こんな下らない事で嘘を吐くと思いますか?」
言われてフラッドがハッと冷静に戻る。
確かに、こんな下らない事で嘘を吐く理由は思い付かない。――否、『利益を独占するつもり』ならば、嘘を吐いてもおかしくは無い。
だが、相手が相手である。この時ばかりは、アイオロスの名声が効いた。日頃の行いが良かったお陰と言える。
「……そうですね。疑ってスミマセン。
けど、何がどうなって、研究所が壊れたのですか?」
アイオロスも、そう訊ねられると困ってしまう。
返答に困り果てて、とりあえず何か言っておこうと声を出し掛けた時、先に放たれたクィーリーの声が制した。
「……ゴメンナサイ」
女性らしい、可愛らしい声でクィーリーが謝罪の言葉を口にした。
「……あなたが壊したとでも言うのですか?まさか!
そんなことは無いでしょうから、エンジェルのした事を、あなたに謝って貰う事は無いですよ。
――!
そう云えばあなた、女性なの?!」
慌てて気付いて、クィーリーは口を両手で塞ぐが、もう手遅れである。
アイオロスも、どちらかと云えばそちらの方が聞き慣れていた声だった為に気付かなかったが、クィーリーは魔法を使い続ける為の集中が途切れたのだろう、つい先程の謝罪の声は、確かに女性の声だった。
アイオロスは、彼女の細かな仕草に女らしさが滲み出ている事に気が付いて、偽るのはただ無駄なだけのような気がして来た。
「スミマセン。この声で喋るように言われていたのに、油断してしまって……」
再び声を改めて、今度はアイオロスに対して謝罪するクィーリー。
その声に違和感を感じ、アイオロスは声を変えない方が良いであろうことを悟った。
「もういいよ、エマ。
声を変える必要は無い。用心の為だったけど、いざと云う時には、僕が盾になる」
言ってみてから、ちょっと恥ずかしいセリフだったと、少し顔を赤らめて後悔する。
何故か、店の中に居る客も店員も、揃ったように彼ら4人に背中を向けていた。
アイオロスがふと、フラッドの方を見てみると、一度小さく「エマ」とアイオロスの言葉を繰り返すと、突然、驚いた顔になり、すぐに真顔に戻ってアイオロスに訊ねて来た。
「まさか、今、真名で呼ばなかった?」
「――あ!」
不注意であった。このままでは正体まで知られてしまうかも知れないと思い、アイオロスの顔が蒼褪める。
「――話すのは、食事が終わってから、私の借りている部屋ででも、改めて行った方が良いようですね。
今は、食事を済ませる事に専念しましょうか」
「……そうして貰えると助かります」
アイオロスは、心底そう思った。
やがて、フラッドたちにもスープが届く。トールを除く3人は、スプーンで掬って静かに啜っていたが、トールは豪快に、皿を持ち上げて口を付け、盃に満たされた酒でも一気に飲み干すような勢いで喉に流し込んだ。
火傷してもおかしくない温度だったが、彼の頑丈そうな身体なら、平気なのだろう。
一人で3人前を頼んでいた筈なのに、一番最初に飲み終えそうな勢いだ。
「で、アイオロスさん。そこの研究所で、収穫はあったのかい?」