第11話 仮名クィーリー
「いらっしゃ……い…ませ」
アイオロスが店に入ると、その店員の一言を境に、賑やかだった店内に、一転して静寂が訪れた。
誰もがアイオロスを見つめ、凍り付いたように動かない。
パンデモニウムにいる以上、アイオロスの情報は、誰もが少なからず知っているからだ。
加えて言えば、エンジェルの翼を三対も背負っているとあっては、注目を集めるのも無理は無い。
アイオロスの場合は英雄伝に尾鰭が付きまくっているが、それでも、エマと会う前に狩ったエンジェルの数は、それでも5体に過ぎない。
パンデモニウムの一階の半分ほどのスペースは、何処でも大抵が昼は食堂、夜は酒場となるのが普通。
残り半分は、道具屋として武器や防具等の売買などを行っている。
アイオロスは迷うことなく、カウンターに向かった。
「このエンジェルの翼を賞金に替えたいんだけど、ココで良いのかな?」
「お……奥です」
「あ、そう。ありがとう」
言われるまま、アイオロスは平然と奥に進む。エマは、黙ってそれに従った。
廊下を進むと、やがてライフルやマシンガンなどを飾っているもう一つのカウンターに辿り着いた。
「いらっしゃい。……どうやら、噂のアイオロスさんだね?」
屈強そうな男が、カウンターには居た。
「ええ。
エンジェルを狩ったので、賞金を頂きたいのですが」
アイオロスは背負っていた翼をカウンターに置き、フゥッと息を吐いた。どうやら、重いのを無理して背負っていたらしい。
「……三対?流石は『風の英雄』アイオロス。狩ったエンジェルの数は数百に及ぶという噂にも、頷けるな」
「そ、それは二桁ぐらい、誇張されているようですが……」
「おや。これは焦げているね。魔法でも使ったのかい?」
「ああ、それはコチラの、僕の仲間が……」
「……仲間?」
店員はエマを見て眉を顰めた。
「噂では、アイオロスは一匹狼だと聞いていたのだが……」
「つい最近、仲間になったんです。
強いですよ。下手をすれば、僕より」
「それは嘘だな。でなければ、アンタが偽物のアイオロスなのか。
ま、確かに実力はあるようだがね。
見た目は弱弱しいと聞いているが、体捌きが他のデビルと、明らかに違う。
さて。賞金……か。
銀の延べ棒、6本で良いかな?」
「ええ、構いませんよ」
何故、金ではなく銀の延べ棒なのかと云うと、銀は、天使に対して攻撃するには効果的という迷信が広まってしまい、その価値が高騰してしまったからだ。
一説によると、『濁りを与える』と云う意味があると云う。
ちなみに、その銀の延べ棒一本――重さにして1kg程だろうか――で、二十一世紀初頭の日本の円に換算すると、100万円を優に超える価値がある。
同じ大きさの金の場合、その十分の一が良いところ。
金の方は、価値が下がってしまったかも知れない。
「ところで、拳銃は置いていないかな?」
「弾無しのは二・三丁あるが、多分、弾の調達はよほど大きな街に行かなければ出来ないと思いますぜ。
ライフルなら、幾らか弾があるのも置いてあるんだが……」
「そう。じゃあ、他を当たるよ。
――マジックアイテムなんて……置いてないだろうね」
「無いね。ウチは品揃えがイマイチでね。他の街に行くと良い。
……と言っても、簡単に移動できる範囲には、この街の近くにココ以上の街は無いんだが。
何しろ、大きな街であればあるほど、エンジェルに狙われやすいからね。
都合の良い武器の入手は、そう簡単じゃない。
拳銃なら、どこかで何とかなるかも知れないが……この近くに宛は知らないね」
「そう。
じゃあ、この延べ棒、一本だけこの街のお金に両替して貰えるかな?」
一本を残してコートの中に延べ棒をしまい込むと、アイオロスはそう言った。
「お安い御用だ。
この街は、大抵がドルを通貨としているんだが、構わないかね?」
「ええ。取り敢えず、ここで食事と宿を取りたいから、その為の代金を支払うのに、不便が無ければ。
しばらくの間、ロクなものを食べていなかったし、野宿続きだったからね」
アイオロス程のデビルにとっても、例の食糧を食べ続けるのは苦痛であるらしい。
偶には、美味しいと言える食事がしたかったのだ。
「少々、待ってくれ」
店員は、その場にしゃがみ込むと、暫しの後に二つの札束を手に立ち上がった。
恐らく、カウンターの下にでも隠してあった金庫にしまってあったのだろう。
「2万ドルだ。これで構わないかな?」
「ええ。十分です。
行こうか、クィーリー」
クィーリーとは、アイオロスがエマに与えた仮名である。
恐らく『エマ』と云うのは真名だとアイオロスが判断した為に、それを他人に知られない為の配慮として、二人で相談して付けた名前だった。
食堂へ戻ると、注目を浴びている事を全く気にせず、アイオロスは空いたカウンター席に座った。
クィーリーにも、隣の席に座るよう促す。
「店員さん。メニューを見せて貰えないかな?」
「あ、はい。ただ今」
すぐに届けられたメニューを受け取ってから、アイオロスはこう尋ねた。
「因みに、お勧めのメニューは?」
「日替わりランチセット等はいかがでしょうか?」
アイオロスはサッとメニューに目を通し、クィーリーにそれを渡した。
「じゃあ、僕はそれを。
クィーリーはどうする?」
「私も、同じものを」
「はい、承りました」
「ついでに、宿を一泊。部屋は二つ」
「それでしたら、今日の昼食と夕食、明日の朝食も込みで、お一人50ドルのセットがお得です。
同じ部屋なら、合計80ドルになりますが」
「アイオロス様、私は同じ部屋でも構いませんが」
様は要らないと思ったが、いい加減、アイオロスもそう呼ばれる事に慣れてしまった。敢えて訂正はしない。
「――本当に良いのかい?」
「ええ。むしろ、そちらの方が安心出来ますから」
「じゃあ、それでお願いします。
……ちょっと待って下さいね。
はい、100ドル札。お釣りはチップと思って受け取って下さい」
こういう、ちょっとしたサービス精神も、アイオロスの評判を高める原因になっているのだろうが、本人にその自覚は無い。
「ありがとうございます。
……ところでお客様、『風の英雄』アイオロスさんですよね?」
良く言われることとは言え、いい加減、『慣れた』を通り越してウンザリしている。
一時期は否定していたが、もう無駄と悟っている。
「……多分、そのアイオロスだと思います」
「実力の程はともかく、話すととてもそうは思えませんね。
――失礼。もっと、こう……オーラがある人だと勝手に思い込んでいたものですから。
あ、二〇五号室です」
鍵を差し出しながら、店員は言った。
「良く言われますから。ま、僕は気にしませんけどね」
苦笑して、アイオロスは鍵を受け取りつつそう返した。
「そうですか。……そうですよね。余りにも噂と違いますから、良く言われるでしょうね。
ところで、あなたの到着を待っていたお客様がいらっしゃるのですが、お呼びしてよろしいでしょうか?」
「――僕を待っている人?
心当たりが無いんだけど……」