第10話 新たな英雄候補生
ざわめく人ゴミの中、アイオロスは平然と歩いて行く。
まばらに散っていた人たちが、彼の行く手を避け、道が開いて行く。
様々な眼差しが、彼等に降り注ぐ。
いつしか、エマはアイオロスにピッタリと身を寄せていた。
アイオロスにとっては、周囲が騒ぎ立てるのは別に珍しい事でも何でもない。
その位は序の口。時には――
「ねえ、お兄さん」
このように、声を掛けて来る者も居るのだから。
「何だい?」
今回は、10歳前後の子供。
以前は、妖艶な美女に声を掛けられる事もあった。
その日の夜に、ベッドの中で、アイオロスは自分にある異名を付けられている事を知った。
「お兄さん、ひょっとして『風の英雄』アイオロス?」
「……多分、そうだよ」
街行く人々の会話のボリュームが、一つ上がったような気がした。
「じゃあさあ、ココでちょっと待っててくれない?
僕、お兄さんのサイン、欲しいんだ」
「……ゴメン、断っても良いかな?」
「えーっ」
不満そうに、その子は口を尖らせる。
「僕、お兄さんみたいなデビルになりたいから、もし会うことがあったら、サインを貰う事が夢だったのに……」
「友達に自慢したいからじゃないのかい?」
「うっ……」
図星だったらしい。
「代わりに、僕が君に名前を付けてあげようか?
いつか、君が一人前のデビルになって、僕と再会した時に、そうと分かるように」
「本当?じゃ、それでいいや!
友達にも、今日からその名前で呼ばせてやる!
でも、格好良い名前、付けてくれよな!」
「……ボレアス、では不満かな?」
「あっ!北風の神様の名前だ!」
「へぇ、良く知っているね。
……どうかな?気に入ってくれた?」
「うん!アイオロスも、風の神様の名前だよね?
僕とお兄さん、これで仲間だね!
僕がデビルになるまで、お兄さん、死ぬなよな!
絶対、大きくなったらお兄さんに言ってやるんだから!僕は『北風の英雄』ボレアスだ!覚えてるよな?って!」
「それは楽しみだ」
その子の頭を撫でたアイオロスは、いつの間にか笑顔を浮かべていた。
「20年、待つよ。それまでに、そう名乗れるだけになるんだよ」
「20年も要るかよ!10年で十分だい!
10年後には、お兄さんの耳にも、僕の名前が届くまでに強くなってやる!」
「分かったよ。
ところで、この街の『パンデモニウム』は何処かな?」
「ここを真っ直ぐ。右にあるよ。
じゃあね、お兄さん」
その子は、すぐに駆けて行った。その先には、子供が数人、群れている。恐らく、自慢しに行ったのだろう。
アイオロスが言った『パンデモニウム』とは、デビルの支援組織の名前だ。
宿や食事、酒などを格安で提供したり、情報や物の売買などもする便利屋さんである。
この組織があるから、デビルは成立する。
独立した組織では無い。国や企業の支援を受けている。
多々あるその役割の中でも、デビルにとっては、エンジェルを狩った際に、その証拠として翼を持って行くと賞金を支払って貰えるのが、デビルから見て、最も重要な役目と言える。
――尤も、エンジェルを実際に狩れるデビルは少ないが。
それが、専業デビルにとって、唯一の収入なのだから。
なので、アイオロスはエマに対して、例の研究所を丸ごと消し去ったあの魔法の使用を禁じた。例え、相手がエンジェルでも。
……余程の事が無い限り。
エンジェルを倒しても、その証拠となる翼が無ければその事実を認めて貰えないので、あんな強力な魔法を彼女にしょっちゅう使われていては――勿論、アイオロスの命が危険に晒されると云う危険性も考慮に入れてのことなのだが――、収入が一切無くなってしまうからだ。
中には、山賊狩りをしたりする兼業デビルも居るが――と云うより、そちらの方がデビルの大半を占めるのだが――、アイオロス程の戦闘能力を持つデビルともなれば、エンジェルを狩って得る賞金と比べると、山賊狩りは苦労の割に実入りが少ない。
でも、大抵のデビルはそうしないと生活して行けないのだ。
背に腹は代えられぬ、と云う奴である。
因みに、アイオロスが今までに狩ったエンジェルは、エマと出会う前に計5体。
それでも山賊狩りより儲かるのは、偏に賞金が莫大な為である。
一体のエンジェルを狩れば、贅沢をしない限り1年は楽に暮らせる。
「いらっしゃ……い…ませ」