第24話 抜牙
「結城さーん。結城 狼牙さーん」
「おい、呼ばれたぞ」
「言われなくても分かっている。
……ついて来い」
呼ばれた狼牙は、虎白を引き連れ、診察室に入った。施術をする椅子毎に、個室になっているのが、この病院のありがたいところである。
「やあ、結城君。……と、そちらはどなたかな?」
「へー……美人さん」
虎白は、春華の話を聞いていなかったのだろうか、彼女を見てそう呟いた。
「ありがとう。でも、治療には迷惑だから、出て行って下さらない?」
「河合。彼も、僕と同じ病気なんだ。
今度、予約を入れて治療を施してやってくれないか?」
「あ、そうなの。
じゃあ、交換条件として、あなたの血液検査を……」
「それはやめてくれと言った筈だろう」
「……医学の進歩の為には、大切な研究だと思うんだけどなー」
「このウィルスが大勢に感染すると、大変な事になる。だから、やめてくれ」
春華は、囁くようにこう言った。
「……ヴァンパイア・ウィルス、って奴?」
これに驚いたのは、虎白だった。
「なっ……!
アンタ、何でそれを知っているんだ?コイツのカノジョも知らない筈なのに!」
うろたえる虎白。狼牙と春華の顔を交互に見て、返事を待った。
「一年に一回ぐらいのペースで同じ歯を抜きに来るなんて、事情も話せない、って言うんだったら、やる訳ないじゃない。
大丈夫よ。誰にも話してないんだから。結城君の治療の時には、看護師たちの人払いまでやってあげてるんだから、そのくらいの交換条件は当然でしょう?
……で、結城君。何故、この人の血を吸って、感染させたの?あんなに、他人に感染させることを拒んでいたのに」
「……直接、僕が吸ったわけじゃない。色々と事情があってね。間接的に、感染させてしまった。
……僕の過ちだよ、後悔している」
「俺も、後悔している」
虎白までもが、そう言った。
「じゃ、とりあえず牙は抜きましょうか。
座って」
言われるがままに狼牙が座ると、春華はいきなり歯を抜くためのものらしい道具を手にした。
麻酔用の注射ではない。ペンチのような代物だ。
「おいおい、麻酔もしないのかよ」
「本人の希望でね。……あら。今回は随分と立派に育ってる」
「麻酔無しで、痛くないのか?」
「痛いらしいわよ。ただ、耐えることが出来るだけで」
「……まさか、俺の牙を抜く時も――」
「希望するなら、麻酔を打つわよ。タダじゃないけどね。
……よっ、と」
見れば、簡単に牙は抜かれている。さほど痛くないのだろうか?狼牙は無反応だ。
「……冗談じゃねぇ。コイツにも勝てるように、感染させたんだ。俺も、麻酔無しで構わないゼ」
「……今、やれ、っての?……まぁ、そんなに時間のかかることじゃないし、麻酔無しならやってあげてもいいけど……。
安くは無いわよ?」
「袖の下なら、払う。次からは、予約を入れるから、その時はコイツと同じ条件にしてくれ」
早速差し出された、四万円。不服なのか、春華は眉を寄せた。
「次回から、結城君と同じく袖の下を免除してあげるから、今回はもう少し出しなさい」
「OK」
今度は、気前良く十万円。春華の口元はマスクで覆われていて見えないが、笑顔を見せている気配がする。
「てっきり、七万円止まりだと思ったんだけどね。ありがたく、頂戴するわ」
文句を言って減らされる前に、素早くそのお金は奪われた。
「――最近、出費が重なるなぁ……。
なんか、良い仕事、ねぇかなぁ……」
「アナタ、何の仕事をしているの?」
三本目の牙を抜きながら、春華。
「極・道。
見えねェか?そんな風に」
「……えっ?」
抜いた歯が、ポロリと落ちた。
「結城君って、凄いヤクザ嫌いなのに、どうして結城君がヤクザであるアナタを私に紹介したの?」
言いながら、落ちた牙を拾う。
「成り行き、でね。
その分、いいように使われてしまいそうな気配がしたところだよ」
「そういや、例のレシピはどうした?」
「ああ、今渡して大丈夫か」
狼牙のポケットから取り出された折り畳まれた紙を、虎白が受け取る。
「何か、イケナイ取り引きを見届けてしまったわ」
「守秘義務は守って貰えるんだろう?」
「勿論。だけど、気になるわね」
「なに、単なる、疑似血液風ドリンクのレシピさ。僕ら以外には、必要な人はかなり限られた数名だ」
そうそう、狼牙は出掛ける前に、『鉄卵』とでも言うべき、水に入れておいたらその水に鉄分が溶け込むというものを、ネットで十個注文し、発注を終えてから出掛けている。
レシピには、『鉄釘等』と書かれていたが、狼牙は食品に使うアイテムであるそれを見つけ、そしてその単価は、何ともお買い得な約2千円だった。
「……そうそう。子分と言えば、俺の子分たちも牙が伸びてきて困っているところだから、アンタを指名する予約を入れて、抜いてやって欲しいんだが、頼めないか?」
丁度、四本目の牙を抜き終えたところだったせいか、虎白に頼まれたことのせいか、春華は大きく息を吐いた。
「ふぅーっ。分かったわ。袖の下も奮発してくれたことだし、頼まれてあげるわ。
これに、電話番号と名前を書いて。私の都合の良い日と時間を後で電話で教えてあげるわ。その日のその時間に、予約を入れて頂戴。急ぎでね。
それで構わないわよね?」
「ああ。
……っと、済んだか?
じゃあ、俺の牙も抜いて下さい」
「本当に麻酔は要らないの?」
「僕は、麻酔をする方をオススメするが……」
「要らん!アンタに耐えられるなら、俺も男で極道だ!耐えてみせる!」
狼牙と春華は目を合わせて肩をすくめる。
「じゃあ、抜くわよ」
春華は、専用の器具で牙の一本を挟んだ。そして、力を込めて牙を抜く。
「……!!」
虎白は声にならぬ悲鳴を上げ、全身をこわばらせて牙を抜く痛みに耐えた。
「はい、一本目」
「ゼェ、ゼェ……」
狼牙と春華の目には、限界に見えたが、虎白は根性で無言の催促をする。
結局、虎白は四本の牙全部を抜くことに耐えきったが、立ち上がる時にはフラついていた。
「虎白。次から、おとなしく予約を入れて麻酔をしてもらってから抜いてもらえ。根性で耐えるのも限界があるぞ?」
「冗談じゃねぇ。これでも一端の極道だ。慣れるまで耐えてみせる!アンタみたいにな!」
「僕は、慣れも確かにあるが、秘伝の秘法によるものだが?
小細工無しに抜くのは、確かに耐え難い痛みを伴うであろうことは想像に難くない」
「畜生!この卑怯者め!それならそうと、先に言いやがれ!」
「だから、麻酔を勧めただろう?理由は問われなかったから言わなかったが」
「……何で麻酔無しで平然と耐えられるのか、確かに疑問ではあったんだ。聞きゃ良いだろうがな、俺も!」
「なら、次回はどうする?」
虎白は、今回の苦痛とプライドとを天秤にかけた。少々悩みつつも、こう決断を下した。
「次回からは麻酔をお願いします、先生」
そう言って頭を下げる。
「じゃあ、帰ろう。
元気でな、河合」
「それじゃ、美人のお姉さん。都合のいい日程、早めに連絡してくれよな。
じゃ、帰らせてもらいますわ」
虎白はスマホの番号を紙に書いてから、狼牙と共に診察室を出た。
そして、事件がこの後に起こることを、狼牙が予想だに出来なかったことは、神ならぬ彼には、当然のことだった。