賭け

第4話 賭け

 地区大会は、全道大会の予選では無い。
 
 実はアーチェリーという競技、競技人口が少ない為、顧問の先生が許可すれば、全道大会には出られるのだ。……少なくとも、北海道においては。
 
 だからと言って。
 
 パフェは半端な成績で突破するつもりは無かった。
 
「ウィリアム、賭ける?」

「嫌だね」

「そう言わないで。

 アタシが満点取ったら、アタシの勝ち。それ以外はアンタの勝ちで良いわ」
 
「……賭ける気が無い」

 ウィリアムの成績は、土曜日である前日に出てしまっている。700点には届かなかったものの、余裕で優勝。
 
 どうやらそれを、不満としているらしかった。
 
「アンタが勝ったら、キスしてあげる。条件としては、どうよ?」

 振り返ったウィリアムの表情を、どう表現していいのか。
 
 嬉しさが、全く見られなかった、ということはなかった。
 
 ただ。
 
 苦悶の表情が、強く表れていた。
 
 悲しさも、少し混じっていただろうか。ともすれば、涙を流したい位。
 
「……冗談よ。本気にしないで」

「からかうな!」

 そっぽを向いたウィリアムの背が、怒りを帯びている。
 
「気付け、っての。アタシの気持ちに」

 囁くような独り言は、ウィリアムの耳には届かない。
 
「アンタの欠点を教えてあげるわ」

 組み立てた弓を持って、ウィリアムの後ろを過ぎながら宣告する。
 
「集中したら、的しか見えなくなるでしょ。

 アタシには、風の流れが見える。その差がアウトドアのアーチェリーという競技にとって、どれだけの意味を為すのかは、分かっているでしょ?」
 
 ウィリアムの表情を見ることも無く、パフェは先輩方と弓を並べる。
 
 新入生のクセに、生意気だ!と言う先輩は、全くいない。皆、穏やかで優しい。
 
 そういう雰囲気を、あらかじめ知ってから、二人はこの高校を受験したのだ。……勿論、成績とは相談の上だが。
 
 時間の許す限り、パフェはサイトをいじる。
 
 満点を取るには、最初の一射が最高の峠。
 
 勿論、どの一射も外すわけにはいかないのは当然だが、狙う為の基準は、一射目で決まる。
 
 サイトの位置が1ミリずれただけでも、10点を外す。二射目からは、一射目を基準に、微調節すれば良い。
 
 パフェの緊張は、ピークに近い。
 
「……一緒に、全道、全国と優勝するんだから」

 小声で、弓に話し掛ける。
 
 的しか見えない。
 
 集中力が高まると、その状態にパフェもなる事がある。
 
 問題は、緊張のピークが過ぎた後に、集中を伴いながら、ベストコンディションを保てるかどうかだ。
 
 そうすると、極限へと至る。
 
 風が、見えるのだ。
 
「頼むよ、相棒」

 赤い弓に、愛し気に触れる。
 
 
 間も無く、女子の個人戦が始まった。
 
 ブザーの合図で、一礼した後、50メートルのラインを跨ぐ。
 
 軽く、オープンスタンスだ。体の正面側を、ほんの少し的に向ける立ち方。逆をクローズドスタンスと言う。
 
 立ち位置も、勘を頼りに微調整。
 
 狙うべき的を見据え、「敢えて数値にするなら、10.0」とまで言われた、尋常ならざる視力を発揮すべく、集中する。
 
 全員が準備を終える頃に、再びのブザー。
 
 そのブザーから、2分30秒の間に、三射しなければならない。
 
 一射50秒ということになるが、最初はそのブザーの前に矢を番える事が出来るので、単純に3で割った時間で三射を放つというのとは、ちょっと違う。
 
 パフェは、最初の一射に1分半を使うつもりでいた。
 
 会話は、ルールとして禁じられている、というわけでは無いと思うのだが、その緊張感の中に身を置いた者なら、三射終えるまでに会話をしようとする奇特な者など、ほぼ居ない。
 
 暗黙の了解事項なのだ、その独特の雰囲気を知っている者なら分かる。
 
 ルールとして禁じるまでも無く、マナーとして会話はしない。
 
 そして、その雰囲気の中でパフェは――
 
 ――見える。風が。
 
 強い風を防ぐ為、という目的もあるのだろう、矢が外へと飛んでいかないように、そこは塀で囲まれた環境。
 
 複雑な気流となっているが、今、パフェにはそれが見えていた。
 
 或いは、ヴァンパイアの血によって、為せる業であろうか?
 
 弓を構えて引きながら、フォームを決めつつサイトを的の中央に合わせる。普通は、その状態で矢を放つ。
 
 だがパフェは、そこからどのタイミングで、或いはサイトの狙いが中央から外れてでも、風と相談する。
 
 ――完成!
 
 クリッカーの金属音がチンッと鳴る。直後、ストリングがうなる。そして――
 
 50メートル先で、矢が畳を鋭く叩く音。
 
 10点の、更に中、インナーテンの中央だった。
 
 サイトの調整は完璧。満足感に浸る間も惜しみ、二本目の矢を番える。
 
 二射目は、矢を番える時間も合わせて、20秒程度で終える。三射目も。二射目と三射目に関して言えば、十分に速射と言えるほど素早い発射だっただろう。
 
「よしっ。パーフェクッ!」

 一礼してから戻り、弓をスタンドに立てると1分も経たず、ブザー。得点の確認と、矢の回収の合図だ。
 
 時間をかけて射るパフェだが、中には、三射を終えられずに引っ込む者も居る。
 
 2分30秒は、速射が出来ない者にとっては時間として短すぎるのだが、一射目の矢を番えて、合図から一射平均50秒という時間は、弓ではあるが、『真剣勝負』の数字として、変える訳にはいかない数字だった。
 
 パフェの予定通りの30点。矢も無事。言う事無しの展開。
 
「ウィリアムッ!アタシが勝ったら、どうしてくれる?」

「賭ける気は無い、って言っただろう!」

「カラオケ、奢ってよ。昼間の安い時間で良いからさ」

「そのくらいなら……って、どうして僕を巻き込もうとするんだよ!君の試合じゃないか!」

「モチベーションの問題。一時間で良いから、さ?

 ……出番だから、次、来る時に色好い返事を期待しておくからね♪」
 
 弓を持ち、ブザーまでの僅かな間で、集中力を再び高める。
 
 軽いノリと重厚なプレッシャーを、共に乗りこなす。半端なプレイヤーでは出来ない、パフェの強みだった。