疾風の将来

第35話 疾風の将来

「「ならば、どうすればいい?」」

 疾風と紗斗里の声が重なった。
 
 紗斗里はそれこそ、そのことを悟っていたのだろう、わざと疾風と言葉を重ねたのだ。
 
 一字一句すら間違わなかったのは、偶然の要素もありながらも短い文節であった為だろう。紗斗里は満足して疾風にニコッと微笑みかけた。
 
「決まっています。それに対抗する力を普及させれば良いのですよ。

 その為の所長への嘆願状をしたためたのですが、チェックして貰えませんか?」
 
「こっちのディスプレーに出せるか?」

「勿論。――どうぞ、ご覧下さい」

「私も覗いて良いかしら?」

 チーフである睦月が言った。当然の申し出を、紗斗里も疾風も喜んで受け入れた。
 
「上出来。

 俺たちの申し出だったら分からんが、他でもないお前の申し出なら、所長も認めざるを得まいよ。
 
 そうなると、俺は他の研究所に異動になりかねないなぁ。せっかく、この研究室に馴染んでいたのに」
 
「……何故、疾風オジサンが異動にならなければならないのですか?」

「決まっているだろう。

 俺の仕事は、これからはジャミングシステムの開発だからなぁ。
 
 この研究室は、恐らくサイコプラグシステムのソフト開発に携わる事になるだろう。
 
 仕事の内容が違う以上、異動は当然の成り行きだ。
 
 ……おっと。異動が嫌だとまでは言ってねぇぞ。
 
 ただ……な。……分からねぇか、俺の気持ち」
 
「しばらく、そちらに馴染むまで寂しくなる、と言いたい訳ですか?」

 紗斗里の言葉に、疾風は寂しそうに微笑み、頷いた。
 
「大丈夫ですよ。この研究室にいる限り、僕の端末を通じてコミュニケーションは取れますよ」

「いや。ジャミングシステムに関しては、最終的には専門の会社を設立しなけりゃあ、広めるには難がある。

 俺が社長になろうとは思わんが、俺はどう転んでもその会社へ、引き抜かれることは避けられまい。
 
 そうなると、お前とも接触出来なくなる」
 
「現代には、インターネットという便利なものがあるじゃないですか」

「インターネット回線で、お前の能力をフルに発揮出来るか?恐らく出来まい。

 だから、専用のスーパーコンピューターが必要になる。
 
 あとは、ソイツがお前さん並の性能を持っている事を祈るのみだよ」
 
「未だ、試作品も出来ていない段階で、そんな事を言っていて良いんですか?

 当分は、この研究所のお世話にならなければ、実現出来ない夢物語に思えますが」
 
 疾風は立ち上がり、紗斗里に歩み寄った。
 
「もちろん、未だしばらくはこの研究所の世話になるつもりだ。

 少なくとも、目玉となる商品の試作段階を終えなければ、独立することは不可能だ。
 
 当然、試作段階にも入っていない現状では、頼る相手はお前しか居ない。
 
 頼むぞ、相棒。――紗斗里よ」
 
 紗斗里の端末が、ポン、ポンッと叩かれた。
 
「任せて下さい――と言いたいところですがね。これが中々。――手強い。デュ・ラ・ハーンは。

 ……と言うより、メモリーワイヤーのプラグ部の性能がね。プラグ部が、まさかこんなに高性能だとは思っていなかったよ。
 
 これなら、ソフトを性能別に作るとしたら、プラグ部だけで足りてしまうのではないかな?」
 
 疾風がハッハッハと笑った。
 
「プラグ部が高性能なのは当然だよ。

 紗斗里も調べていれば分かっていたことだとは思うが、メモリーワイヤーのプラグ部には、あの万能細胞から作り出された疑似脳細胞が使われているからね。体積に対する記憶量において、メモリーワイヤーを唯一上回っている可能性のある、人間の脳細胞がね。
 
 恐らく、ジャミングシステムを作り出すにも、その万能細胞から生み出された疑似脳細胞を使う必要があるのではないかな?」
 
「それを使わずに作れるものなら、僕がとうの昔に作り出していますよ」

 苦笑いを見せた紗斗里。
 
「何を言っている。お前にその意思とアイディアがあれば、楓ちゃんのソケットに差し込まれているメモリーワイヤー内に組み込んでいてもおかしくないのではないか?」

「疾風おじさんは、僕にデュ・ラ・ハーン並みのソフトを――まぁ、厳密に言えばウィルスですが――、それを作り上げる実力があると、本気で思っているのですか?」

「勿論。

 お前さんは、俺たちが全力を注いで作り上げた、最高の作品だからな。他には負けやしねぇよ」
 
 疾風はそれで紗斗里を褒めたつもりなのだが、それにしては紗斗里の顔色が、イマイチ優れない。
 
 それどころか、眉間に皺を寄せ、渋い顔をしている。
 
「残念ですが、専門的な能力では、僕でも他のコンピューターに及びつかない部分も少なからずあります。

 デュ・ラ・ハーンは、その典型ですね。
 
 ところで、疾風オジサン。ジャミングシステムを開発する会社って、札幌でなければいけない理由でもあるのですか?
 
 東京の方が、何かと便が良いと思うのですが。
 
 それに、東京にいれば、僕もより疾風オジサンに協力しやすいのですよ?」
 
「いや。俺は故郷の札幌に錦を飾ろうと思っているんだ。それだけは、譲れん!

 歳も50を過ぎて、これを逃したら次のチャンスは無い!
 
 俺は、コレに賭けているんだ!」
 
「お子さんも、コンピューター関係の仕事に就いているとか?

 継がせるつもりはあるんですか?」
 
「当然!」

 疾風は胸を張って言い切った。
 
「その為に、幼い頃からパソコンに触れさせているんだ。

 断るとは言わせん!」
 
 熱弁する疾風の肩と、紗斗里との端末をポンッと叩く者がいた。睦月だ。
 
「お二人共、そろそろ仕事の話から、私語に変わってきているのではないかしら?

 人の命が掛かっているのですよ?
 
 そろそろ、仕事に打ち込んでくれないかしら」
 
 この研究室の中で、睦月一人がピリピリとした空気を纏っていた。
 
 「命が掛かっている」。この事実を、誰よりも、本人よりも真剣に考えているのは、彼女だけであろう。
 
「じゃ、また後でな」

「ええ。お互い、全力を尽くしましょう」

 二人は互いに、サムズアップしてからそれぞれの仕事に戻った。
 
 そして――7日が過ぎた。