第26話 香霧の兄
数日後のある日。
ピンポーン。
「はーい」
今日は、楓と香霧は、午前10時から、香霧の家で会おうと相談してあった。
何でも、楓が香霧の兄に用事があると言うのである。
この日、香霧の兄が家にいる事は、確認済みだ。
チャイムの音に、香霧が玄関まで走って行くと、やはり来客は楓だった。
「上がって、上がって。楓ちゃん」
「おじゃまします」
案内されたのは、香霧の部屋。楓が来るとあって片づけたのか、それとも普段から整理整頓しているのか、部屋の中は綺麗だった。
「ところでさぁ。どうして私のお兄ちゃんに用事があるの?」
「そこまでは読まなかったの?」
「『読まなかった』っていうか、読めなかったの。読むつもりもなかったけど。
きっと、タイガーのせいね。
ネットを組む事が出来なくなっていたのか、読心術を使う事が出来なくなっていたのか、どっちなのかは分からないけど」
「あ、それは僕がネットを組まなかったからだと思う。
香霧はネットを組まなかったら、読心も出来ないんだね」
「言ったでしょ?私のテレパシー能力は、一方的な音声の送信だけだって」
「そうだね。
ところで、お兄さんは?」
香霧がぶすっとした顔で答える。
「まだ寝てる。
昨日の内に、今日は楓ちゃんがお兄ちゃんに用事があって、来るからって言っといたのに。
そういう性格だから、彼女も出来ないんだ、っての。
そうだ!今から叩き起こしに行ってやろう。
楓ちゃんも来る?」
楓はぶんぶんっと首を大きく横に振った。
「じゃ、ちょっと行ってくるね」
静かに扉を閉じ、立ち去った香霧。この部屋に入る前に見た、隣の扉が香霧の兄の部屋だろうと、楓は予想していた。
その予想が正しかったのか、香霧の足音は、数歩歩いた程度で止まり、乱暴に扉を開ける音が聞こえ、次には「起きろー!」との香霧の叫び声。
これは迷惑な事をしてしまったと、楓は後悔した。
そして、ドスーンという音が聞こえたかと思うと、さほど間も空かずに扉が開き、閉る音。
足音が聞こえ、楓のいる部屋の扉が開いた。
「ちょっと待っててね。着替えてから来るって言ってたから」
暫し、黙ったまま香霧の兄を待つ二人だが、やがて楓がポツリと呟いた。
「香霧のお兄さん、どうしてデュ・ラ・ハーンを香霧に譲ったのかなぁ?」
「どうしてそんなことを疑問に思うの、楓ちゃん?」
「だって、クルセイダーのメンバーなら、他のデュ・ラ・ハーンを感染させて使っているメンバーが、1年で亡くなったって情報を、何件も知っててもおかしくない筈でしょう?
なのに、香霧がそのせいで死んじゃうかも知れないのに、どうしてデュ・ラ・ハーンを譲ったのかなぁ、って」
「私が無理を言って強引に譲ってもらったんだよね。
お兄ちゃんが、余りにも超能力を見せびらかすから。半年以上、時間が掛かっちゃったけど。
……そういえば、どうして私のお兄ちゃんに用事なの?」
「それは……」
楓は言い淀んだ。だが、よくよく考えてみれば、香霧に秘密にしておく理由は思い付かない。
結局、話してしまう事にした。
「香霧のお兄さんから、クルセイダーのリーダーについて詳しく教えて貰って、そのクルセイダーのリーダーに会おうと思ったの。
それで、セレスティアル・ヴィジタントの詳しい情報を得て、デュ・ラ・ハーンを作り出したコンピューターを奪ってみようと考えたの。
そしたら、紗斗里に頼めば、それを利用してデュ・ラ・ハーンのワクチンを作り出して貰えそうだから。
勿論、直球ストレートな質問で教えてくれるような情報じゃないだろうから、テレパシーを使おうと思っているんだけど」
「セレスティアル・ヴィジタントって、アメリカを本拠地とする、世界最大のキラーチームの事?」
「うん。デュ・ラ・ハーンの製造に、セレスティアル・ヴィジタントが深く関わっているから、そこにはデュ・ラ・ハーンを作り出したコンピューターがある筈なの。
それが手に入らないと、デュ・ラ・ハーンのワクチンは作れそうにないから。
……このことは、黙っておいてね。気付かれないように読心するつもりだから。
ここ何日かの訓練で、白虎を発動させなくても、ネットを組まないテレパシーも出来るようになったし。
一方的に読み取るだけのテレパシーも出来るようになったんだ」
「それで、テレパシーの訓練ばかりしてたんだ。おかしいと思ってたんだ。
――で、気付かれないようにする読心術って、どうやるの?」
「接触テレパシーって言って――」
コンコンッ。
ノックの音に二人は振り向き。
「間の悪い兄キ」
香霧が毒づいた。
「香霧ー。入っていいかなー?」
「いいよー、入ってー」
「お邪魔しまーす」
入って来たのは、高校生かと思われる、香霧とは随分歳の離れた、優しそうな青年だった。
「……本当に香霧のお兄さん?」
楓がこう思ったのも、無理はあるまい。
「そうよ。今年、17だっけ?」
香霧の兄・東矢は頷いた。
「はじめまして。えーと……確か――楓ちゃん。
古賀 東矢です。
それで、何の用かな?」
「はじめまして」
楓はすくっと立ち上がり、東矢の方へと歩み寄って、右手をスッと差し出した。
握手を求めているのだろうが、背の高い東矢に対しては、かなり高めに手を差し出さないとならなかった。
「式城 楓です」
楓の思惑を知らない東矢は、自然に楓の掌を握り返していた。