第18話 紗斗里の提案
「疾風。プログラムは全部で100ページ以上になるが、それを全て理解する覚悟はあるのか?」
「うへ~、100ページ以上かよ!
でも、そのくらいのプログラムは珍しくないし、やらない訳にはいかないだろう」
「私も手伝います」
睦月がそう言い出し、疾風から奪うようにしてプログラムに目を通すが、すぐに頭を押さえてふらついた。
「目眩がしそう。
風魔君。君、こんなの理解出来るの?」
「出来なかったら、ウィルス駆逐家にはなれませんよ」
どうやら睦月に言われたウィルス駆逐家というその名前が気に入ったらしく、疾風はそれを用いた。
「しかし、100ページ以上ものデータを、記憶出来るかどうか……」
「そもそも、マシン語の命令として成り立っていない命令もあるのですから、無駄だと思いますがね。
やめませんか、プリントアウト」
紗斗里がプリンターから吐き出される紙の束を見て、「紙の無駄遣いだ」と思いながらそう言った。
「いや、何が切っ掛けになるかも分からない。だから、俺もやるだけの事はやってみる」
「そうだね。僕のやっていることも、無駄なのかも知れないんだ。やるだけの事をやってみるという姿勢は正しいのかも知れない。
うわぁー。嫌なデータ、見つけちゃった」
紗斗里が苦虫を噛み潰したような顔をして言うと、5人が紗斗里の方を向いた。
「どうした、紗斗里?」
「聞かない方が良いですよ?」
「知らなくちゃ分からないだろう。何の参考になるかも分からない。言ってみてくれ」
「いやね、インターネットの方を検索していて見つけたデータなんですが、デュ・ラ・ハーンの感染者の1年後における死亡率、生死不明者も含めると、世界中で合計1万人以上の感染者から集めたデータによると、100パーセントですって」
「いやああああ!」
睦月が泣き叫んだ。疾風が苦虫を噛み潰したような顔をして。
「確かに、聞かない方が良いデータだったな」
「まあ、そんなデータは僕の性能にかけて書き換えて差し上げますよ」
紗斗里はそう言って眉間に右手を寄せてから。
「あ、眼鏡は掛けていないんだった。……調子狂うなぁ」
「そうそう、そういえば、お前、眼鏡はどうしたんだ?」
「楓がデュ・ラ・ハーンに感染された直後、眼鏡を外したところ、視力が矯正されていた為、掛けずにいただけですよ。
楓の友達の兄上にも、感染後、同様の現象が起きたそうですから、恐らくデュ・ラ・ハーンによる効果でしょう。
楓も、幼い頃から僕の画面を見続けていましたからね。目も悪くなるというものです。
単なる視力強化だけでなく、身体のコンディションを最高に保っている様子ですから、その面では助かりますよ」
「そうか。今後は、楓ちゃんの不調で研究を中断されることも無くなるんだな」
「そういうことです」
疾風はハッと気づいて、プリンターの方を向いた。その前には、ぎっしりとマシン語でプログラムを書き込まれた紙の束。
疾風は心の底から深いため息をついた。
「10年か。10年あれば、楓ちゃんは助けられると思うが、しばらくしんどい仕事が待っていそうだなぁ」
「実は、そんなに時間を掛けて貰っては困るのですがねぇ」
苦い顔をして、紗斗里。疾風も苦笑いをした。
「そうだな。その10年の間に、どれだけの犠牲者が出るのか、分かったもんじゃないからなぁ」
「それもありますが、楓にデュ・ラ・ハーンを譲ってくれた、楓の一番の友達も、デュ・ラ・ハーンに感染しているのですよ。
出来れば、楓の為にも、彼女も助けてあげたい」
「だからと言って、死へのカウントダウンを遅らせるプログラムの作成も手は抜かないでくれよ。
でないと、最悪、どっちも助からないなんてことになりかねないからな」
「その事で、一つ提案があります」
紗斗里はピッと人差し指を一本、立てた。
「楓が帰った後、今夜一晩、僕の電源を入れたまま、放置しておいて貰えませんか?
恐らく、僕の性能ならそのプログラムは一晩で完成します。
その作業に専念する為、僕の端末にも触れないで欲しいのです。お願い出来ますか?」
「俺に頼まれても、なぁ。
どうします?式城先生」
「……え?」
呼ばれてからひと呼吸。疾風が再び呼び掛けようとした時に、睦月は反応した。
「話を聞いてなかったんですか!?」
責めるように言う疾風。睦月は「ごめんなさい」と頭を下げた。
疾風も、睦月の楓に対する溺愛ぶりは知っていたが、その命が危機に晒された時、睦月がこんなにも脆いとは思わなかった。
楓が居る時の、笑顔に満ちた彼女と、いない時の冷静沈着な彼女とのギャップにも最初は驚かされたが、今の彼女には驚きを超えて呆れてしまう。
リーダーたる彼女がこんな様子で、本当に楓は助かるのだろうかと、疾風は本気で心配になった。
紗斗里は、先程の言葉を睦月に向けて繰り返した。それに対する彼女の反応は――
「分かりました。あなたの要望に、全面的に協力しましょう。
小柴君。他の研究室にも、今夜一晩、紗斗里の端末には触れないよう、伝えて頂戴」
この日は結局、それ以上の結果は出なかった。