第12話 プロジェクト
車はやがて、郊外へと出た。武蔵研究所までは、あと少し。
「紗斗里、喜んでくれるといいなー」
少なくとも、楓は紗斗里を名付ける事によって、一層仲良くなれるような気がして、喜んでいる。
だから、紗斗里とその喜びを分かち合いたいのだ。
「あらあら、紗斗里には未だ、そんな知能は無いでしょう?」
「……そっか」
だが、残念な事に、今の紗斗里は「嬉しい」と喜ぶだけの知能は持ち合わせていないのだ。
「僕とゲームをして勝っても、喜んでいないのかな?」
「残念ながらね。それだけの知能を持たせることが、あなたの仕事なのよ、楓」
「そっか。……でも、ゲームをしているだけで、そんな知能は芽生えるの?」
「あらあら。紗斗里の相手をしているのは、楓だけじゃないのよ。
ママが何のために研究所で仕事してると思っているの。
楓が大きくなったら、もっと色んな仕事をして、私の代わりに紗斗里を育ててね」
「うん!」
途中で警備員にIDカードを見せてから、二人を乗せた車は研究所の敷地に入った。
ここから先は、プライベートでは無い。
私語を控える事も、仕事の内だ。
二人の会話はピタリと止まり、睦月の顔は厳しいものになった。
「風魔君」
睦月は、トイレから出て来た白衣の中年男を呼び止めた。
「おお、戻られましたか、式城先生」
フルネームは風魔 疾風という中年男より、どうやら睦月の方が偉いらしかった。
疾風は嫌味にならない程度に、睦月を敬う態度を見せていた。
「あなた、専門はウィルス駆逐家よね?」
「そんな恰好の良い呼び方には相応しくないと自覚していますがね。
私の仕事は、単にウィルスのワクチンを作る事ですよ」
「どっちでも良いわ。
1年以内に、退治して欲しいウィルスがあるの。
取り組んで貰えないかしら?」
睦月の頼みを聞いて、疾風は片方の眉を吊り上げた。
「ほう……。期限付きとは珍しい。
何か事情でもあるんですか?」
「……デュ・ラ・ハーンって、知ってる?」
聞いた途端、疾風は顔を大きく歪めて後退りした。
「デュデュデュデュ、デュ・ラ・ハーン!?世界最悪のあのウィルスを?それも1年以内にですって?
馬鹿言っちゃいけない!
そんな事が出来るなら、とうの昔にデュ・ラ・ハーンはこの世から消滅していますよ!」
「お願い。私の娘……楓の命が掛かっているの。
あなた一人で、とは言わないわ。
私も、楓も、紗斗里も、研究所の全員の力を使って良いから、デュ・ラ・ハーンのワクチンを作って」
「そうは言われても、無理なものは――」
「お願い……!」
頭を下げ、泣きそうな声で睦月は言った。
「……分かりました。やるだけの事はやってみましょう!
だから、頭は上げて下さい」
「ありがとう……」
疾風はニコッと笑顔を見せて、睦月の背を軽く叩いた。
「さあ、そうと決まったら急ぎましょう!」
「……ええ」
睦月は疾風に従い、紗斗里のある研究室へと歩き始めた。楓も、軽い駆け足でそれについて行った。
「ねえ、疾風おじさん」
「何だい、楓ちゃん」
「僕、『サトリ』に漢字の名前を――」
楓が例の、『サトリ』の当て字の名前の話をしているうちに、3人は目指す研究室にたどり着いた。
中に居たスタッフは、全部で3人。――全員、女性だ。
疾風に言わせると、その研究室は『ハーレム(笑)』である。
「おかえりなさい、チーフ」
「ただいま。
皆、良く聞いて」
パンッ、パンッと睦月が手を叩くと、3人は彼女の方を向いた。
「今からしばらくの間、我々はあるウィルスのワクチンの製作に当たります」
睦月はそこまで言うと、言葉を区切って唾を飲み干した。
「そのウィルスの名は――」
その名前を言う事で、どれだけの反応がスタッフから返って来るのかを予想出来ていた睦月は、その名前を言う事を、一瞬、躊躇った。
だが、言うしかない。
「デュ・ラ・ハーン」
「デュ……!」
「そ、そんな……無理です!」
「良く聞け、皆!」
今度は、疾風が手を二度打ち鳴らして、注目を集めた。
「一人でやるわけじゃない。決して不可能では無いだろう。
何しろ私たちには、世界最高のスーパーコンピューター・紗斗里があるのだから」
「それは……ハードの面ではそうかも知れませんが、ソフト面に関して言えば、決してそうは言えません」
「……何故、そう言える?」
「『サトリ』は、人間の脳とリンクすることを前提に作られています。
その為、デュ・ラ・ハーンの蔓延しているインターネットと繋がっていません」
「それについては心配要らないわ」
疾風に代わって、睦月が話し始めた。
「出来るだけ早い内に、紗斗里はインターネットと接続します。
これは、チーフである私の決定です」
「チーフ!そんなことをしたら、デュ・ラ・ハーンが楓ちゃんに感染してしまいます!」
「……楓は、デュ・ラ・ハーンに感染しました。
ですから、期間は1年。
それで結果が出なければ、その『対デュ・ラ・ハーン』プロジェクトは無期限凍結します。
その条件で、やってみて貰えませんか?」
「そんな……もう感染しているなんて……」