第2話 通知表
「ねえねえ、知ってる、楓ちゃん?」
季節は夏、燦々と輝く太陽の日が差す小学校2年生の教室の中、その明るさとは対照的に、暗い――もとい、大人しい雰囲気を持つ幼い少女・式城 楓に向かって、楓の目の前に座り、話し掛ける一人の少女がいた。
話し掛けた方の子は、名を古賀 香霧と言い、彼女の方は明るく活発な雰囲気を持っている。
二人とも、どこか大人びた印象を周囲に与える、魅力的な少女だ。
大人びているのは、彼女たち二人だけではない。
教室にいるほとんどの生徒が、一昔前の子供たちと比べると、どこか大人びている。
それには、ちゃんとした理由があった。
メモリーワイヤー。極論を述べれば、それの発明が全ての原因である。
メモリーワイヤーとは、脳に最も近い記憶の形質を持ち、現在、体積に対する記録バイト数が最も高い記憶媒体である。
形状は10センチから20センチの黒いワイヤーであり、通常、プラグと呼ばれる直径5ミリ、長さ1センチの円柱状のものに取り付けられている。
現在、コレを記録媒体として使っていないコンピュータは無きに等しい。
何しろ、それ一本で、数テラバイトの記録容量があるのだから。
また、メモリーワイヤーは前述した通り、脳に最も近い記録の形質を持っている為、後頭部にプラグの差込口・ソケットを外科手術で埋め込み、そこにプラグを差し込むことによって、人間の記憶と直結する事が出来る。
これが、プラグシステムである。
ソケットを取り付ける手術は成功率が非常に高く、また10年前は1つ取り付けるのに10万円前後の費用が掛かったが、現在は技術の向上と価格競争の結果、1万円前後と、かなりリーズナブル。
学歴が未だ就職に影響する世の中に、それは一つの産業として成り立っていた。
そのメモリーワイヤーに、様々な情報、例えば大人の経験や学問の知識を詰め込み、子供の後頭部に取り付けたソケットに差し込むと、大人と同等の経験を積んでいたり、大人をも凌ぐような知識を持った天才的な子供が簡単に作れてしまうのだ。
「何?」
だから、この楓や、香霧のような大人びた雰囲気を持つ子供が多いのだ。
「世の中には、超能力を使えるようになるソフトがあるの、知ってる?
デュ・ラ・ハーンって言うんだけど、私、手に入れちゃった」
だが、子供ならではの好奇心までは変えられない。
机の上にあった消しゴムが、何らかのものに触れることなく浮かび上がった。彼女が既に、デュ・ラ・ハーンに感染している事の確かな証拠だ。
「……それがどうしたの?」
冷めた反応を示した楓。
香霧に呼ばれて、一度は目を離した机の上のノートに、再び複雑な何かを書き始めた。
何を書き込んでいるのかと思えば、どうやらそれは、コンピューターのプログラムのようである。
「もう、相変わらず冷たいな、楓ちゃん。
ねぇ、少しは凄いと思ってくれないの?」
楓は机の上にシャープペンシルを置いた。
「凄い、凄い」
パチパチパチ。
抑揚の無い声で言いながら、感情の籠らない拍手。それもたったの三回で終わり、楓は掛けた眼鏡を押し上げると、再びシャープペンシルを持って、ノートにプログラムを書き込み始めた。
「……ねぇ、何してるの、楓ちゃん?」
そのノートを覗き込むが、香霧にはその内容は理解出来ない。専門のソフトがあれば別だったのだろうが。
「サトリのプログラム」
「『サトリ』?
何、それ?」
「僕がママの仕事を手伝って、一緒に完成させようと思っている人工知能……自律思考型スーパーコンピューター。
まだ、あんまり賢くは無いんだ」
「どんな字を書くの、そのサトリって?」
「カタカナで『サトリ』」
「立場としては、お姉さん?それとも妹?それともペットかお友達?」
「……姉、かな?生まれたのは私より先で、生みの親は僕のママだから。
家族の一員として、漢字の名前を付けてあげた方がいいかな?」
「うん、その方が良いんじゃない?
そうねぇ、糸偏の『紗』に、北斗七星の『斗』、それに里の『里』で、紗斗里っていうのはどう?」
「式城 紗斗里かぁ……。良い名前かも知れない」
楓の反応に満足し、ニコッと笑った香霧。
「でしょ?
それで、紗斗里はどのくらいの知能を持っているの?」
「僕には分からない。けど、僕以上の知能を持っている筈だよ。特に計算能力は」
そう。メモリーワイヤーの唯一の欠点は、それが記憶するだけの代物である為、公式は覚えられても計算能力を直接向上させる能力が得難い事だ。
数学の天才の知能をメモリーワイヤーに詰め込んだとしても、容量不足で、全ては詰め込めないし、こればかりは、人間がコンピューターに勝てないのだ。
「凄いじゃない!
じゃあ、紗斗里もデュ・ラ・ハーン使えるのかなぁ?」
「……分からない」
「じゃあ、デュ・ラ・ハーン貸してあげるから、試してみてよ」
差し出されたプラグを見て、楓は拒むようなジェスチャーをした。
「無理。紗斗里には、専用のソケットしか無いから。
プラグは、僕と繋ぐ為だけの専用のものが一つだけ、あるんだけど……」
「なぁーんだ。
じゃあ、楓ちゃんだけでも使ってみない、このデュ・ラ・ハーン?」
香霧が差し出すデュ・ラ・ハーンを、楓は再び拒む。
「駄目。僕は紗斗里と繋がらなければならないから、ママの許可が下りたソフトは使っちゃいけないの」
「大丈夫。一度付けるだけで良いから。
常に付けていなくちゃならないものじゃないんだから」
そうは言われても、楓にとって、一人で自分を育ててくれた母親は、絶対的な存在だった。
だから、母親の言った事は必ず守らなければいけない。
これは、楓の母親が、楓よりは長い人生の中で、彼女の母親から学び、悟った事の一部でもあった。
「駄目だよ。だって……ウイルスが入っているかも知れないし」
どうにか考え出した言い訳が、コレだったのだが、これにはとんでもない返し技があった。
「大丈夫。デュ・ラ・ハーン自体がウィルスだから」
「……えっ?」
これには、感情の乏しい楓も、驚きの表情を露わにした。思わず、手からシャープペンシルが転がり落ちた。
ウィルスを友達に勧めるとは、香霧もとんでもない少女だ。
恐らく彼女は、好奇心でそれを手に入れ、楓も自分と同じように、超能力を使えるソフトと言われれば、興味をそそられるだろうと考えて勧めているのだろう。
「一度、取り付けてみるだけで良いからさぁ。やってみなよ」
「けど、僕を通じて紗斗里にウイルスが感染したら困るし……」
本気で困った顔をしても、香霧はお構いなしだ。
「大丈夫。
そのコンピューター、インターネットに繋がってる?繋がっているんだったら、感染している筈だから。
ほら、私が付けてあげるから」
そう言って、楓の背後に回り込んで楓の後頭部をプラグが差し込まれたソケットが、六芒星を描くように12個。その中央に、六角形をした何も差し込まれていないソケットが一つあって、合計13個のソケットを発見するに至った。
「何、この六角形のソケット?
あ、そうか!これが紗斗里のプラグと繋ぐソケットね!
じゃあ、適当に一個外してと。……コレで良し!」
ビクッと、楓の体が震えた。瞬間的に頭の中にあのイメージが送り込まれる。あの、デュ・ラ・ハーンのイメージが。
「あ……、あ……」
「終わった?じゃあ、外して元に戻すよ」
楓の右目から、ツーッと頬を伝う涙が零れた。
「……思い出した」
「何を?」
香霧が、髪を挟まないように気を付けて作業を終え、自分の席に戻り、楓の涙を見た。
「……えっ?どうしたの?
私、泣かせるようなこと、したかしら?」
その涙に、香霧も動揺する。自分では、親切のつもりでやったことなのだ。
泣かせるような事は、何一つやった覚えが無い。
なのに、楓は泣いている。その理由は、すぐに明らかになった。
「自殺用ソフト、『デュ・ラ・ハーン』」
「ええっ!何それ?どういうこと?!」
楓は涙を拭った。
「このウイルスに感染した人は、感染してから丁度一年後に、突然死んでしまうの」
「えっ!
でも、だって、私のお兄ちゃん、もう少しで1年ぐらいになるのに、そんな兆候は全く無いよ?」
「突然、死んでしまうの。何の兆候も現れず。
デュ・ラ・ハーンのメッセージは受け取ったでしょう?」
その、『突然』を強調した楓。その後の質問に、香霧は頷いた。
「でも、アレが本当だなんて……」
「信じられない?
けど、僕に言わせれば、脳に刺激を与えて死に至らしめるよりも、似たような方法で人間に超能力を使う能力に目覚めさせることの方が信じられない。
実際、多数の死者が出ているんだから。僕たちが産まれたのと同じくらいの年に。
知ってる?僕たちが生まれるより前の時代には、インターネットを通じて得た情報をメモリーワイヤーに書き込んで、それをソケットに入れて使うなんて方法が流行っていたんだよ。
けど、どこかの馬鹿な大学生が、インターネット回線に繋がっているパソコンにデュ・ラ・ハーンを繋いだせいで、インターネットを通じて様々なところにデュ・ラ・ハーンが感染して、世界中に広まったの。
どうしよう。僕、まだ死にたくない」
「私だって同じよ!
何とかならないの?例えばその、紗斗里っていうスーパーコンピューターで」
楓が頷く。
「僕もそれを考えていた。けど……」
濁した語尾に、香霧は不安を覚えた。
「けど、何?」
「うん。実は、紗斗里の知能って、知識や計算能力を除いた、例えば想像力では僕と大差が無いんだ。
だから、どんな結果が出るのか……」
「不安なわけ?」
楓が再び頷いた。泣き出しそうな顔をした香霧を見て、楓は眼鏡を外し、天を仰いだ。
コンピューターとしての性能を考えれば、紗斗里はとても優秀だ。楓も、死なない為にはそれに頼らざるを得ないのだが、楓は誰よりも、そう、作り手である母・睦月よりも紗斗里の性能を知っている。
だから、無理だろうという予想はついていた。
だが、それを香霧に言う訳にはいかない。
言えば、彼女は本当に泣き出してしまうだろう。
そう考えると、楓も泣きたくなってきた。
だが、感情を押し殺す術は、母の人生経験をコピーしたソフトから学び取っていた。
人間の表情は、笑顔と真顔の二つだけさえあればいい。
それが、睦月の辿り着いた結論だった。
ふぅっ……。
ため息をついた楓は、今度は俯いた。
紗斗里に学び取らせるためにプログラムを書いたノートが目に入った。
このプログラムが、今の二人にとってどれだけ役に立つだろうか?
そのプログラムについては、今は触れないでおこう。
これが、ワクチン作成の鍵となれば、二人が助かる可能性はまだある。
何しろ、紗斗里の情報処理速度は、秒間テラバイト単位超である。人間とは比べ物にならないほどに速い。
「……あれ?」
違和感があった。
何だろう?
原因は、机の上に置いたままの眼鏡を見た時に気付いた。
「眼鏡、かけてないのに……」
楓は、生来強い近眼だった。眼鏡を掛けなければ、そのノートに書き込まれたプログラムの文字など、余程接近しないと読み取れない筈なのだ。
それなのに、今ははっきりと読み取れる。
これは……まさか、デュ・ラ・ハーンの能力だろうか?
「香霧。デュ・ラ・ハーンに、視力を高める効果はある?」
「うん、私のお兄ちゃん、お陰でコンタクトをつけなくても済むようになったよ」
「やっぱり」
眼鏡は、鞄から取り出したケースにしまっておく。もしかすると、デュ・ラ・ハーンは自殺機能を取り除けば、非常に優秀なソフトなのではないだろうか?
楓は視覚に意識を集中したため、もう一つのことを発見するに至った。
「あれ?
香霧。あなたの体から糸が伸びているように見えるんだけど」
「あ、これ?これはね、サイコワイヤーって言って、色々な超能力を使う時に利用するものなんだよね。
さっきの消しゴムを持ち上げたのもこれの効果だし、それに……ちょっと待ってくれる?……いくよ」
そう言った直後、香霧の姿はその場から消え去った。
消え去る直前、彼女の体から伸びたサイコワイヤーが、廊下の方へと伸びていたことに、楓は気付いていた。
――まさか。
一つ、思い至った事があった。それを確認する為、楓は廊下へと向かい、教室を出る直前、香霧とぶつかった。
「見てた、見てた?
これはね、テレポーテーションって言って、要するに瞬間移動する超能力なの。
凄いでしょ」
目を爛々と輝かせる香霧を見て、楓はほっとした。
どうやら、悲観的な考えは吹き飛んだようだ。
出来れば、もう二度と香霧を泣かせる真似はしたくなかったが、彼女が一体いつ、デュ・ラ・ハーンに感染したのかは知っておきたい。
それによってタイムリミットは決まる。
これは聞くべき。聞かなければならない!
「香霧」
「なぁに、楓ちゃん?」
元気に問い返す香霧。その様子に楓は一瞬質問を躊躇った。
「デュ・ラ・ハーンに感染したのはいつ?」
「昨日の晩よ。
誕生日のプレゼントに、お兄ちゃんがくれたの」
良かった……。
香霧の機嫌を損ねず、またタイムリミットまで十分に時間があると知って、楓はほっとした。
恐らく、香霧が死ねば楓も死ぬ。
逆に、香霧が助かれば楓も助かるだろう。
所謂、運命共同体だ。
「僕と香霧で一緒に、この能力に磨きをかけていこうか。
そしたら、何か活路を見い出せるかも知れない」
「うん、いいよ。
とりあえず、今日の放課後、お兄ちゃんに教わった事は全部教えるね。
お兄ちゃんは大した使い方をしていないから、私が教わった事は今日中に全部教えられると思う。
お兄ちゃんったら、女の人の裸を見る為にばかり力を使っていたから」
「そうか。透視も出来るんだ」
「うん、簡単よ。それだけなら一分で教えられると思う。
サイコワイヤーを伸ばすイメージをしてくれる?」
「サイコワイヤーを……伸ばす……イメージ」
これは簡単だった。
手を伸ばすのと同じ様なイメージをすれば、あっさりと現れて、自由自在に動かす事が出来た。
それも、一本ではない。
次々に現れるサイコワイヤーが、楓の体を包んでゆく。
それはデュ・ラ・ハーンの能力によってのみ見えるようになっているらしく、二人を除く周りの生徒にはそれが見えていないのか、それに反応した児童はいない。
しかも、二人にとってはそれが確かに見えているにも関わらず、それは決して視界を妨げるものでは無かった。
楓は、無尽蔵に増えるそのサイコワイヤーの制御に負担を覚えて、一本を残し、他の全てのサイコワイヤーを引っ込めた。
「すっごーい、楓ちゃん。私なんて、3本しかサイコワイヤーは出せないのに。
楓ちゃんとデュ・ラ・ハーンって、相性が良いかも知れないね」
「……そうかな?」
「絶対そうだよ!楓ちゃんと紗斗里が協力すれば、絶対助かるよ!」
だとしたら。楓は思った。
「そうなったら、香霧も必ず助けてあげる」
「うん!」
満面の笑みを浮かべて香霧は返事した。その笑顔を見て、楓は香霧を必ず助けなければと心の底から思った。その過程で、自分も助かるのだと。
「じゃあ、サイコワイヤーの使い方を教えるね。
まずは、サイコキネシスね。
この場合は簡単よ。
楓ちゃん、パソコン使えるんでしょう?その、マウスの使い方と一緒よ。
サイコワイヤーの先端で対象物を掴んで、サイコワイヤーと一緒に動かすだけ。やってみて」
言われるままに消しゴムをサイコワイヤーで掴み、動かしてみた。
確かに簡単だ。
どのくらいの速さで動かせるのだろう?
楓は立っているクラスメイトの頭の天辺よりも高い高さを保って、ホワイトボードに向けて消しゴムを飛ばしてみた。
ドンッ!
消しゴムがホワイトボードにめり込んだ。ピシッと、ホワイトボードにヒビが入る音がした。
これには、楓も振り返った香霧も驚いた。
消しゴムだから、隣の教室まで貫通しなかったものの、小石なら下手な拳銃よりも強い威力を発揮させるのではないかと思わせる程の威力だ。
「すっごぉ~い」
香霧が静かにそう言った。クラス中が静まり返って、ホワイトボードに出来た穴に注目していた。
もしこれが、クラスメイトの頭に当たっていたら……。そう考えるだけで、楓はぞっとした。
「やっぱり楓ちゃん、才能あるよ。私、あんなこと出来ないもん」
「壊すつもりはなかったのに」
ポロッと転げ落ちるように、ホワイトボードにめり込んだ消しゴムが地面に落ちた。
それも実は、楓の手によるものである。
落とされた消しゴムは、2・3度床を弾んでから、児童たちの死角に入ってすぐ、素早く楓の机の上へと舞い戻った。
「これって、学校じゃやらない方が良いんじゃないかな?
今のみたいに、結構危険を伴いそう」
「そうね。人目にもつくし。
さっきもテレポートした時、私が目の前に突然現れて、驚いていた子もいたし。
楓ちゃん。放課後、時間は取れる?」
「4時頃……までなら」
「十分ね。
楓ちゃん家の近くに、確か、公園ってあったよね?
場所はそこにしようか。私が楓ちゃん家に迎えに行くね」
「うん。
ところで、壊れたホワイトボードはどうしようか?
アレを直すような超能力って、ある?」
こっそりと指を差す楓に、香霧は眉間に皺を寄せ、子供にはあるまじき表情をした。
「うーん……。ヒーリングが、ホワイトボードにも効くのかどうか……。
少なくとも私の力じゃ、手で直接触らないと、試す事も出来ないから、あからさまに目立つのも嫌だし、やりたくないな。
でも、楓ちゃんなら、サイコワイヤーで触るだけでも出来るかも知れないよ」
「どうやればいい?」
「簡単よ。サイコワイヤーで傷口に触れて、直るように念じるだけ。
あとは、楓ちゃんの能力次第で範囲が決まって、直っていくの。
まあ、それが出来ればの話だけどね」
「やってみる」
楓の体から、3本のサイコワイヤーが伸びた。
その数は、直す範囲を広げる為と、制御できる限界との兼ね合いで決まった。
そのサイコワイヤーがホワイトボードの方へと伸びて行き、ある程度、サイコワイヤー同士が距離を置いて、破損部に触れた。
「念じる……念じる……念じる……。
香霧ぃ。どう念じたら良いの?」
「直って下さい、直って下さい、直って下さいって。
私はヒーリングが苦手だから、これ以上、どう説明したら良いのか分からない。
頑張って、楓ちゃん」
「うみゅぅ……」
何とも頼りにならないアドバイスだが、楓は香霧の言った通りに念じてみた。直って下さい、直って下さい、直って下さいと。
「……ん?」
念じる内に、何か手応えを感じた。そして頭の中に声に近いイメージのメッセージが流れ込んだ。
『Ya-Ha-!
お困りかね、Lady。そんな時は、Meの出番!
使いたいのはヒーリングかナー?No-、No、ヒーリングでは物を直せないネー。
物を直す超能力はRepair。トテモ難しいネー。
Meがその為のイメージを送り込むから、Youが完成させて下サーイ』
それに続いたイメージは、本当にイメージとしか表現出来ないようなイメージだった。
そのイメージから感じ取るに、ヒーリングとリペアーの差は歴然。
ヒーリングは人や動物の持つ自然治癒力を根源として完成させた超能力であるのに対し、リペアーは限定範囲内での時間の巻き戻しに近い。
そうであるのなら、リペアーはヒーリングに似た効果も生み出せるだろうが、難易度が格段に違う。
だが楓には、そのリペアーをも発動させる高い能力が眠っていた。
見る見る内に――俯いて集中している楓には見る事が出来なかったが――ホワイトボードが直っていった。
「すっごーい、楓ちゃん。やっぱり、楓ちゃんって、デュ・ラ・ハーンと相性良いんだ」
「……直ったの?」
ざわめきと、香霧の声で、楓は顔を上げた。
ホワイトボードは、見事なまでに復元していた。
そのような事が、通常、有り得ないという常識をプラグシステムによって得ているクラスメイトは、友達と共に、今起きた怪奇現象について様々な事を話し、憶測し、驚きを隠そうとしなかった。
「香霧。使ったことの無い超能力を初めて使おうとした時、デュ・ラ・ハーンの声が聞こえなかった?」
「ううん。お兄ちゃんに教わった通りにしたら、その通りに使えたよ。
それに、デュ・ラ・ハーンはまだ使い始めたばかりで、お兄ちゃんに教わった超能力しか使った事無いよ?
楓ちゃんは何か聞こえたの?」
「うん」
楓は頷く。
「デュ・ラ・ハーンって、思った以上に優れているのかも。
ママに知らせたら、良い研究材料にするかも知れない」
「あ、それ良い!
そしたら、デュ・ラ・ハーンの致死効果を無効化出来るかも知れないよね」
キャハハハと香霧が笑い騒いでいると、ガラッと教室の扉が開いて、このクラスの担任である反田 恵美が通知表の束を抱えて入って来た。
「皆ー、自分の席に戻って頂戴ー。通知表、配るわよー」
その言葉に、香霧は露骨に嫌な顔をした。
「試験なんて、プラグシステムがある今の時代には、関係無いのにねー。
どうして大人って、子供に優劣をつけたがるのかしら?」
まるで、楓に「ねぇ?」と共感を求めるように言った。
だが、その香霧の願いは通じなかった。
「僕は、そうは思わない。
思うに、特別に優秀な子供を見付けたいんじゃないかな?
特別に優秀な子供を特別に優秀な大人に育て上げ、世の中に貢献させたいんだと思う」
「でも、それって通知表で分かる事?
通知表じゃ分からなくても、特別に優秀な子供っていると思わない?
別に、自分の成績が悪いから言っている訳じゃ無いんだけど」
「通知表は、飽くまでも参考だと思う。
自分がどんな分野に才能を秘めているのか、どんな分野には向いていないのか。
けど、プラグシステムの存在で、ほとんどの学校はその在り方を変えなければいけないのに、その変化を起こしていないと思う。
でも、だからと言って、どう変われば良いのかまでは、僕にはまだ分からないけど。
それと、僕の場合は特別だと思うけれど、優秀なソフトを持っている子供は、社交的な人間として育つ為以外には、学校は不要だと思う。
いや、むしろ学校以外の機関があった方が良い。
人と付き合う為の基礎知識はソフトから学べるけれど、いざ、それを使う為の応用力は、実際に使ってみなければ分からないからね」
楓はそう言っている内に、香霧は聞いている内に、自分たちの欠点に気が付いた。
「私たちって……」
「うん。社交的な人間としては失格かも。他に友達もいないし」
そのうち香霧が呼ばれ、次いで楓が、先生から通知表を受け取った。
二人とも、成績を見てハァーッとため息をついた。
「僕たちって……」
「言わないで、その先は」
二人とも、記憶力を試される教科以外の成績はボロボロだったのだ。