グングニル

第31話 グングニル

 最上階には、もう部屋と部屋とをさえぎる壁は半分ほどしか残っていなかった。
 
 振動はその壁が崩れ落ちる時のものであり、音は壁を壊した爆発による爆音であった。
 
 窓のガラスも、残されているものは少ない。
 
 僅かな欠片を残して吹き飛んでいるか、最低でも罅が入っている。
 
 外壁は比較的被害が少ないが、天井はもう少しで落ちて来そうだ。
 
「流石に、手強いな」

 煙の向こうに、消えかけた四つの命の火があるのが分かった。
 
 その四人も、確かに手強かった。だがしかし、公園で戦った女性と同じレベルでしか無かった。
 
 本当に手強いのは、今、背後に立っている黒髪の男、唯一人だった。
 
「――酷い男だ。味方まで巻き込んでしまうとはな」

 黒髪の男は、足元に転がっているテレビカメラの破片と、それを握ったまま千切れた手首とを見下ろして呟く。
 
「少々、疲れていたからな。制御が甘くなっていたようだ」

 恭次は振り返りながら、つい先程、肘から先を失ったばかりの左腕の出血を、自ら焼くことで止めた。一瞬の激痛は、歯を食いしばって耐える。
 
「こんな街に、君ほどのサイキックがいるとは思わなかった。

 単にサイコソフトの性能が高いだけなのかも知れないが、どちらにしろ我々がココに来たのは、お互いにとって不幸な出来事だったな」
 
「いや――」

 明らかに不利な筈の恭次が、不敵な笑みを浮かべる。
 
「俺にとっては幸運だった。この世に生まれ落ち、貴様ほどの相手と、これほど楽しい戦いを繰り広げる事が出来る。

 これ以上無い娯楽だとは思わないか?」
 
「私は望んで戦っている訳では無い!」

 そのケベックの怒声どせいすらも、今は恭次を喜ばせるだけでしかない。
 
 もう余力が残っていない事は、ケベックには見えている。
 
 これまでの戦いに大きな差が生まれなかったのは、ケベックが人を殺したくない為に全力を出していないせいでもあったが、恭次が後先を考えぬ攻撃を仕掛けていたという理由の方が大きい。
 
 なのに、あの余裕の態度は何だと云うのだろうか?
 
 まさか、本人が自分の限界を認識していないせいではないだろう。
 
「……怒りは、破壊力を高める為の最高の手段だ。良い勝負になりそうだ」

 恭次の残された右手が、その胸に押し当てられる。
 
 大きく、ひと呼吸。そして一気に全身に気合を入れる。
 
 肌が赤らむ。
 
 その顔には、先程までのような疲れは、一切見られない。
 
 傍から見ていても、その身体にははち切れんばかりのパワーが満ちあふれているのが分かる。
 
 何よりも、超能力を発揮する為のエネルギーがみなぎっていた。
 
 それが見えるケベックは、驚愕きょうがくに顔を大きく歪める。
 
 最初に会った時の、倍以上のパワーを感じる。
 
「最初からこうしていれば、その男を死なせずに済んだのかも知れぬな。

 さあ……行こうか。
 
 ラウンド2――」
 
 言いかけた恭次の耳に、低い機械音が聞こえた。
 
 振り返れば、エレベーターが上がってきている。
 
 良いところで邪魔が入ったと、少し機嫌を損ねる。
 
 少し考えて、その闖入者ちんにゅうしゃを先に片付ける事にした。
 
 僅かに歪んだ扉が左右に開く。
 
 恭次が軽く投げた火の玉が、その隙間を通り抜けた。目に見えた結果には興味を示さず、再びケベックと向き合う。
 
 そして「さて」と切り出してから、爆音が一向に聞こえて来ない事に気付く。
 
 振り返れば、そこには無傷の男女三人組が立っていた。
 
「何者……いや、記憶にあった。

 名前までは憶えていないが、アンチサイ能力者と、その妹だったな。
 
 それに、その女は――」
 
 恭次の視線が奈津菜=アテネに向けられて止まり、その顔が困惑の表情を浮かべた。
 
 頭が混乱して頭痛まで覚え、軽く叩いて押さえる。
 
 そんなことはどうでも良いと言ってしまえばそれまでの事が、何か引っかかるものがある。
 
「……誰だ?いや、どっちだ?

 いや、そんなことはどうでもいい!
 
 貴様、強いな!それも相当に!」
 
 様子がおかしいことは、三人ともすぐに気が付いた。
 
「まさか!」「プロメテウス!」「あなたもなの?」

 三人が同時に叫ぶ。その中の楓の言葉に、恭次は敏感に反応した。
 
「――プロメテウス……?――何だ?聞いた事が――いや、そんな筈は無い!」

「思い出して!あなたとそれ以外との区別を、はっきりと!」

 楓が叫ぶ。
 
 頭を掻きむしり、苦悶の表情を浮かべる恭次。苦しんだ挙句、その原因を消し去ろうと炎を生み出そうとする。
 
 だが、今は疾刀がそれを妨害している為に、上手く行かない。
 
 しばらく頭を抱えてから、喉から僅かな声を絞り出す。
 
「俺は……誰だ?――俺の、名前……」

「思い出して!あなたの名前ではなくて、もう一つ――」

「俺は――緋神……」

 小さく、呟く。
 
 唇の動きを見た楓が、必死の形相ぎょうそうで叫んだ。
 
「違う!」

「緋神――恭次。――間違い……無い、な?――ああ。間違い、無い」

 もう、恭次=プロメテウスに苦しみは無い。
 
 炎は、残念ながら生み出せない。
 
 握った拳を、頭上からひと振り。その手の内に、赤い剣が生み出されていた。
 
「残念だ。その男が居る限り、俺は戦いを楽しめない」

 一歩、前へ。
 
 奈津菜=アテネも、二人を庇うようにして前へ進み出る。
 
「――退け。力の使えない貴様と戦っても、面白くない」

「そう思いますか?

 私は、何の不自由も感じませんけど」
 
 肉眼では不可視の盾と槍とが現れる。
 
 それだけの能力しか無いとは言え、その能力だけは他では及びもつかない。
 
 それだけに、彼らの業界では有名だった。二人同時にその名を叫ぶ。
 
「「アテネ!」」

「それが分かったのでしたら、降伏して全てのソフトを渡していただけませんか?

 私も、無益な殺生は好みませんので」
 
 二人が沈黙する。式城 紗斗里とすら互角に戦えると豪語したケベックですら、沈黙する他無かった。
 
 好戦的な恭次=プロメテウスでも、彼女とだけは戦ってはいけないことくらい、分かっている。
 
 渋々ながらも、恭次=プロメテウスは後頭部のサイコソフトを取り外す。
 
 最後の一つを取り外すと意識を失い、その場に倒れた。
 
 恐らく再び起き上がった時には、元の恭次に戻っているだろう。
 
「さあ、あなたも――」

 ケベックの方を向いた奈津菜=アテネの顔が、瞬時にして強張る。同時に、右手の槍を振るった。
 
 槍が打ち払った、空を切り裂き飛来したもの。それは――
 
「グングニル!

 こんなところに、何故そんなものが!?」
 
「それはコチラのセリフだ。

 サイコソフトの捜索リスト第二位、無敵の女神アテネ。
 
 これだけの失態を犯しては、私だけでなく娘の身にも、何らかの処分が加えられてしまう。
 
 だがアテネを手に入れる事は、それを挽回しても、お釣りが来るほどの手柄だ。
 
 恐らく、大人しくそのソフトを渡してはくれないだろう。
 
 悪いが、力づくで奪わせてもらおうか」
 
 その手に握られる、最強の槍。その前には、女神の盾も紙切れと化す。
 
 奈津菜=アテネはグングニルのみを構えて、もう一人のグングニルの使い手と対峙した。
 
「では、頂上決戦と参りましょうか」