雑魚

第26話 雑魚

「一人で待っているとは、馬鹿な奴だな」

 噴水の縁に座っていた恭次は、十人の男に囲まれていた。
 
「……雑魚に用は無い」

 囲んでいる十人の姿を一通り確認すると、低い凄味のある声で言い返す。
 
 まるでオーラを纏っているような近寄り難い雰囲気を醸し出している。
 
「その勇気に敬意を表して、特別に許可されたペンタゴンをお見せしよう」

 十人の男たちの前に、正五角形の光が現れる。
 
 ソレを一瞥した恭次の身を、燃えるような赤いオーラが覆った。まるで炎に包まれたようだ。
 
「そんなもので、防げると思っているのか?」

「……いや」

 それでも立ち上がらない恭次に対して、男たちは嘲りの笑みを浮かべた。
 
「面倒だが、相手をしてやろう。さっさと掛かって来い」

「上等だ!」

 その声を合図に、十人は一斉に五角形を投げつけた。
 
 実体の無い炎が揺れる。
 
 五角形はぶつかり合ってそこで砕け散る。
 
「――いない!」

 炎のオーラはそのままに、恭次の姿だけが消えている。
 
 驚いて声を上げた男は、背後から首筋に触れる熱い感触に気付いた。
 
「ダークキャットすら用意していないのか。

 この俺様も、舐められたものだな」
 
 すぐ背後からの声が聞こえた直後、男は全身を炎に包まれた。傍にいた男たちの肌を、その熱気が撫でる。
 
 炎は断末魔の叫びすら灰と化した。
 
「……誰でも良い、報告を」

 男の死体が灰になるまでの時間の後、一人がようやくその指示を出した。
 
 一番遠くに居た男が飛んで行くのを見て、恭次の唇の端が僅かに吊り上げられる。
 
「準備運動を始めようか」

 オーラが揺らぐ。ソレは恭次の手の中で赤い剣と化す。
 
 男たちはその攻撃に備えて再び五角形を生み出す。
 
「随分と負担がかかる上に、効果が無いのでは報われない力だな。

 背後に回っても良いが、今度は正面から突き破るとしよう」
 
 恭次が一歩踏み出すと、男たちは一歩後退する。
 
 だが二歩目を踏み出した時は、その半分が踏み止まった。
 
 三歩目で、恭次は一番近くにいた男の正面に立った。
 
「この剣とその盾、どちらが上だと思う?」

 男は答えない。恭次は返事を待たずに剣を振り上げた。
 
「お前は、どちらに賭ける?

 命がチップだ。慎重に考えろ」
 
 男の頬に一筋の汗が流れる。
 
 誰一人として動かない。やがて恭次が口を開いた。
 
「――そうか。

 ならば、地獄で後悔しろ!」
 
 袈裟懸けに斬り下ろされた剣は、その勢いを止めることなく地面に突き刺さる。
 
 炎と血飛沫とが、視界を真っ赤に染めた。
 
 地面に落ちた男の口から、声にならない空気が洩れる。
 
 残された男たちは目の前の五角形を飛ばすが、その全てが赤い剣によって切り裂かれた。
 
「前言撤回だ。貴様らでは、準備運動にもならん!」

 瞬時に展開される、無数の糸。だがそれは、男たちの目には見えない。光の五角形も、それを消す事は出来なかった。
 
 恭次は剣を逆手に持ち替えて、握る両手に渾身の力を込めた。
 
「イン……フェルノ!」

 腹の底から絞り出された声は、圧力と熱気を伴う風と化す。
 
 瞬間、そこに地獄が現れた。
 
 消し飛ぶ着衣、溶ける血と肉。
 
 中央に立つ、一匹の鬼。
 
 地獄絵図は炎で覆われ、それが消え去った時、生き残っていたのは、番人たる鬼がただ一人。
 
「フム。制御も完璧か」

 恭次は再び噴水の端に腰掛けた。水は一時、蒸発していたものの、すぐに補給され、他には炎に包まれる前と変わったところは無い。
 
 なのに、男たちの姿は一片の欠片も残さずに消え去っていた。
 
「――凄い」

 遠くから撮影していたカメラマンが、一言、そう呟いた。
 
 無理を言ってカメラを借り出して来て正解だった。
 
 こんなものを撮り逃したとあっては、一生後悔する。
 
 その映像をテレビで公開することが出来るかどうかは別としてもだ。
 
「こんなに恐ろしい物だったのか、サイコソフトってのは。

 彼はソレを使い続ける限り、英雄か化け物にしかなれないだろうな。
 
 ――また誰か、近付いて行く。女性のようだな」
 
 空から現れた女性の姿を見付けて、止めていたカメラを再び回し始める。
 
 セレスティアル・ヴィジタントの者ではなさそうだと思い、止めるべきかと迷った。
 
 だがその女性の酷い剣幕に、しばらく様子を見る事にした。
 
「どうして何も言ってくれないの?!」

 ヒステリックなまでの隼那の叫び声も、カメラマンの耳にまでは届かず、何を言っているのか聞き取れない。
 
「何か言ってよ!」

 文句を言い続けていた隼那に対して、恭次は一言も言い返さない。顔すら上げて見せない。
 
 隼那は恭次が無事であったことを内心では喜んでいるものの、その安堵から張り詰めていたものを言葉にして一気に吐き出した。
 
 だが、それに何の反応も見せない恭次の態度に、やりきれない感情がどんどんと昂る。
 
 キッと吊り上げられた目尻にも、光るものが見える。
 
「鬱陶しいな」

 恭次のその一言に、隼那の怒りは限界まで上り詰める。
 
 ゆっくりと顔を上げる恭次の頬を引っ叩こうと手を振り上げたが、目が合うと、振り下ろそうとするその手が、まるで押さえつけられたように動かなくなった。
 
「味方のようだから放っておこうと思ったが、立ち去らぬと云うならそれなりの覚悟をしてもらおうか。

 見たところ、それなりに強そうだ。暇潰しには丁度良い」
 
 殺気。その据わった目からは、それが感じられた。
 
 気分が昂っているのは、隼那だけではなかった。
 
 軽い戦いで回り始めた心のエンジン。
 
 次の戦いを控えた緊張感。
 
 使い果たす事の無い炎のエナジー。
 
 キーを捻るだけで、それはいとも簡単に爆発を起こす。
 
 隼那の怒りは、ソレに触れる事で即座に恐怖へと入れ替わった。
 
 心だけでなく、体までもが小刻みに震え始めた。
 
『隼那、わたくしを出しなさい!』