第23話 未知のソフト
「待って下さい」
開きかけた扉が、疾刀の呼びかけで再び閉ざされる。
「――何か?」
「あなたたちの、セレスティアル・ヴィジタントの目的は何ですか?」
「…………」
ドアノブに手を掛けたまま、ケベックは返事をしない。悩んでいるようにも見えた。
「云えないのですか?」
「――あるソフトを探している」
ややボリュームを抑えた声が、その口から漏れ出した。
「ハヌマーンという名前のサイコソフト。永遠の若さを保つことの出来る、完全代謝制御ソフトだ。
それが完成した事は、世界的なニュースにもなったから、君たちも知っているのではないかな?
もし見つけたら、即座に破壊する事をお勧めするよ」
ケベックが立ち去っても、しばらくは誰も口を開こうとしなかった。
ハヌマーンという名のサイコソフト。
ここにいる誰もが、そのソフトの存在を、奈津菜によって知らされていた。
「――ねえ、疾刀。私たちに何か出来る事は無いかなぁ?」
ただ黙っているだけでは怖いのか、最初に口を開いたのは奈津菜だった。
「……出来ない、でしょうねぇ」
ただ逃げ出すだけなら、疾刀一人で十分だろう。
問題は、その後に逃げ込む場所が無い事だろうか。
下手に手を借りようものなら、単に彼女たちが危険に晒されるだけだ。
「クルセイダーなら、何とかしてくれる?
私、クルセイダーの知り合いなら、一人はいるけど」
頼めることと云ったら、彼らにここがセレスティアル・ヴィジタントの拠点であることを知らせて貰うくらいのことだろうか。
手に握られたソフトを見下ろす。
コレを届ければ、何かの役には立つだろうか?それとも、自分の身を守る為に使った方が良いだろうか?
後頭部のソフトも取り外す。三つ目を取り外したところで、不意に視界がグラッと揺らいだ。
「あれ?」
カクンと膝が折れて、倒れそうになるところを机にしがみついて堪える。目眩を起こしたような感じだ。
「だっ、大丈夫?」
「ただの、目眩、だから」
全身に気怠さが感じられた。具合が悪くなり、手足には思うように力が入らない。
目に、大きな違和感が感じられる。
景色が遠く感じられ、はっきりと見えているのに、まるで歪んでいる様に感じる。丁度、強すぎる眼鏡を掛けた時のように。
眼鏡を外して机の上に置き、近くの椅子を手繰り寄せて座ると、深呼吸を一つ。それだけで、随分と気分が良くなった。
「ハンカチ、濡らして来ようか?」
「いや、もう大丈夫みたいだ……だか、……ら……?」
奈津菜の親切な言葉に答えようとして、疾刀は異変に気が付いた。
視界がスッキリしている。目の前の奈津菜の顔どころか、その向こうにある掲示物の文字までもが、はっきりと見えている。
眼鏡を掛けていないのに、視界がぼやけていない。いや、それどころか、眼鏡を掛けている時よりもはっきりと見える!
「――本当に、大丈夫なの?」
唖然とする疾刀の顔を覗き込む、心底心配そうな顔。
疾刀が、そのままの顔で掌に目を向けると、奈津菜もそれにつられて顔を動かす。
「……グリフォン、……チ…マ……キマイラ『YELLOW』、……GOKU-U……ゴクウ『WHITE』……。
知らないソフトばかりだ」
正確に云うなら、知らない訳では無い。知識として知っているが、自分で取り付けた覚えが無い。
グリフォンを見付けた時に、後で確認しておこうと思ったまま、今まで忘れていた。
「それを届ければ良いの?」
「待って」
問い掛けられてから考え込み、じっと4つのソフトを見つめる。
通常の名前の後に、色の名前を与えられたその形式番号。プロメテウスやスザクと同じだ。
昨日、楓は何と言っていた?
「この二つを届けて欲しい」
手渡したのは、グリフォンとマンティコアだ。やはり、残りの二つは気になる事がある。
「あと、ここがセレスティアル・ヴィジタントの拠点であることを報せて欲しい。
ついでに、コレも届けてくれるかな?
それと――」
ポケットからダークライオンを取り出して手渡すと、さらに言葉を続ける。
「もし、楓ちゃんに会ったら――いや、何でもない」
面倒を見てやって欲しいと云い掛けて、止めた。
それでは子供扱いすることになって、楓を傷つけることになりかねないと思ったのだ。
奈津菜はそれを笑顔で了承する。
「もし、楓ちゃんに会ったら、面倒は見てあげるわ。それだけで良いの?」
「あ……ええ。じゃあ、お願いします」
「任せといて!」
こんな状況だと云うのに、奈津菜は笑顔で元気の良い返事をすると、篠山と千種を連れて部屋を出た。
一人になった部屋の中で、疾刀はしばらくじっと二つのサイコソフトを眺めていたが、やがてそれを後頭部のプラグへと差し込み直した。
眼鏡を掛けていないのに、やはり視界は良好だ。
それも、ゴクウが五感を高め、あらゆる筋力を増強する機能を持つソフトであることを考えれば、当然だろう。
問題は、何故それを外していても……いや、外した途端に機能を始めたのかということだ。
体中の気怠さも既に無く、むしろ充実しているような感覚を覚える。
「――楓ちゃん……なのかな?やっぱり」
眼鏡を手に取り、ふと必要無い事に気が付いて躊躇うが、試しに掛けてみる。
突如として、視力が眼鏡に合わせて矯正された。外せばすぐに、元に戻る。
『止めないか。
負担が大きい。目を痛めるぞ』
どこからともなく聞こえて来た低い声。驚いて見回すが、誰かがいる筈も無い。
そもそも、声が聞こえて来たのは、まるで自分自身からのようだったのだ。
声の質も、自分のものによく似ている。
「……気のせい?」
耳を澄ましても、それらしき声は聞こえてこない。
疾刀は再びソフトを取り外そうと手を首の後ろに回そうとした。
だが、何故か突然、気が変わって手を止めた。
どうして気が変わったのか、疾刀自身にもその理由は分からなかった。