第17話 堤防を崩す一穴
大和カンパニー本社ビル。
そこに連れて来られた時、疾刀は少なからず驚いた。
彼らが連れて来なくとも、疾刀ならば一度はココを訪れただろう。
楓を巻き込まずに済んだのは、不幸中の幸いだった。――と、疾刀は思っていた。
会社に到着した時間は、普段の出勤時と変わらない。なのに、ロビーを歩いている人数が、いつもよりも多い。
日本人、つまり主要な会社の人間を数えるのならば、いつもより少ないくらいだ。
しかし、そこを歩いている白い肌の欧米人は、社員にもいない訳では無いが、今までにそこで見たことのある人数を、遥かに上回っている。
「やあ、おはよう」
「お、おはようございます」
普段は話し掛ける事の無い受付の女性たちに挨拶すると、どこか怯えた反応が返ってきた。
だがそれでも、こんな状況でも出社し勤務しているのだから、大したものだ。
「上だ。のんびりしている暇は無い」
会社の状況を少しでも詳しく知ろうと、受付嬢と会話を続けようとした疾刀が小突かれた。
エレベーターが、傍にいた白人によって早めにボタンが押されて扉が開く。
僅かな重力の歪みを味わって上がって行くと、それは最上階まで止まらなかった。
最上階には、社長を始めとするする重役の部屋しか無い筈。
二人の男に誘導され、一番奥まで真っ直ぐと歩いて行く。
辿り着いた部屋は、社長室。
衛兵代わりなのか、二人の男が扉の両脇に立っている。
「風魔 疾刀を連れて来ました」
ノックもそこそこに、その扉は開かれる。
中には社長など居なかった。
代わりに居たのは、一人を除いていずれもが、若くは無い白髪混じりの白人の男。計5人が椅子に座っていた。
「……若いな。
とても優秀とは思えんよ」
向かって左端に座る男が呟くようにそう述べる。
疾刀には、その隣に座る男との区別がつかない。
いかにも会社の重役といった雰囲気があるだけで、特徴に乏しい男だ。
「ようこそ、疾刀君。
手荒な真似をして済まなかった。
そこの二人、早く椅子を用意しないか。仮にも客人に対して、失礼であろう。
少々、待ってくれたまえ。話は椅子が運ばれて来てからにしよう」
指示を出した、中央に座る初老の男。最も年上のようだが、最も威厳があるようにも見える。
老いで衰えていたとしても、そのがっしりとした肉体には十分な力と、静かな覇気が宿っている。
同じ階の別の部屋からだろう、革張りの高価そうな椅子が運ばれ、疾刀はそれに座るように勧められた。
だが、座らない。上司の物であろう椅子に、座る気は無かった。
「僕をココに呼んだ理由を教えていただけませんか?」
右端の男が、身振りで座るよう、指示を出す。やや細身の、神経質そうな男だ。
指示に応じる様子がないのを見て、不機嫌そうに口を開いた。
「君が優秀だと聞いたからだ。
そうでなければ、真に優秀な我々と顔を合わせることなど、許されんよ」
「許してもらわなくても結構です。
今からでも、退室しますから」
後ろに控えていた二人が、振り返った疾刀の行く手を遮る。
表面では平静を保っている疾刀だが、内心では苛立っていた。
丁寧な言葉遣いは、普段そうしているからという他に理由は無い。それでも、精一杯乱暴な口調にはしているのだ。
「待ってはくれないか。
部下たちの無礼は、謝罪する。
すまなかった。
使い慣れない言葉の為、必要以上に乱暴になってしまうらしい。
お前たちも、少しは気を付けないか。
ところで疾刀君。君には、武蔵研究所で、本格的にジャミングシステムの研究に取り組んで貰おうと思う」
「お断りします」
相手の言葉が終わらぬ内に、疾刀は返答として凛呼たる態度で声を上げた。
相手の要求は、半ば予想はついていた。確信は無くても、それ以外に心当たりが無い。
返すべき言葉も、既に決めてしまっていたことだ。
「これは命令なのだよ、疾刀君。断ることなど、許されない」
「断ればどうなるか、分かっているのかね?」
一人、最も若いと思われる者を除いて、代わる代わる老人たちは云う。
「我々は手段など選ばぬよ」
「いや、違うな。
最善の手段が非道なものであれば、私たちはそれを躊躇うことなく選ぶだけだ」
四人が続け様に放った言葉は、単純に一人が同じ事を言うよりも、遥かに高い圧迫感を与えた。
その絶妙な間の取り方が気になって、疾刀は頭のスイッチをキャットに切り替える。
予想通り、五人はサイコワイヤーで繋がっていた。恐らくテレパシーであろう。
部屋に配置して会ったダークキャットのスイッチは切られているようだ。
中央に居るリーダー格の男の、向かって左隣に座っている黒髪の比較的若い男からは、更に外へと伸びているものも見える。
策士然とした、不気味な雰囲気のある男だ。
その男だけは、先程から一度も口を開いていないのも気になる。
「あなた方は、こんな事をして上手く行くとでも思っているのですか?」
プレッシャーを真っ向から受け止め、疾刀は低い声でそう切り返す。
「もちろんだよ。
この国で怖いのは、ダークキャットと式城 紗斗里だけであるからな」
「警察もあの軍隊擬きも、敵では無い」
「核でも使って派手に動かれると痛いが、都合の良い事に、この国では核兵器に対する規制が行き届いているからな。
今やこの国の民は、全て我々の人質だよ」
「だから、他国の軍も怖くない」
「それとも君は、クルセイダーに期待しているのかな?」
相手の云う通りではあったが、疾刀は何の反応も示さない。
下手に反応して、余計な判断材料を与えたくは無かった。
「彼らなら、ようやく動き出したよ」
「今のところ、我々の方が苦戦をしているようだ。
不意を突かれているし、まだトライアングルすら使っていないからな」
「使用許可を下しておこう。
君も、見るかね?」
興味は少しあったものの、疾刀は伸ばされた迫ワイヤーをCATした。
ついでに、見えているサイコワイヤーは全て封じておく。
四人の表情が一変する。黒髪の男だけは、驚いた様子を見せなかった。
先程までとは打って変わって、てんでバラバラに四人は狼狽える。
「ただのキャットだ、狼狽えるな」
野蛮な男たちのリーダーだとしたら、その男の方が相応しい。だが、中央に座っていないのでは、恐らく違うのだろう。
今のような状況となっては、尚更だ。
その男は、真っ直ぐに疾刀の方を見ていた。
ジャラッ。
何の音だろう。男が立ち上がると、金属の立てる音に近い、妙な音がした。
妙なのは、音だけでは無い。
何処とは未だ云えないが、その男を見ていると、何か違和感を感じる。
「何をするつもりだ、ケベック」
その男、ケベックを、光が包み込んだ。恐らくはファフニールだろう。
疾刀はポケットに手を突っ込み、忍ばせておいたダークライオンのスイッチに指を触れさせる。
残念ながらあの強烈なダークキャットは持ってきていない。電池切れを起こしたまま、替える余裕が無かった。
ダークライオンの方は単三電池を使用しているので、家に買い置きがあった。
念の為に持たせてくれた、楓に感謝だ。
相手がファフニールなら、しばらく持ちこたえられる筈だ。
「ケベック・フランツァ!」
中央の男の、迫力のある低音。ケベックはそれにも応える様子を見せない。
「君が我々に協力する理由は、果たして、何だったかな?」
右端の男が、嫌らしい笑みを浮かべて呟いた。
勢い良く振り向いたケベックが、殺気を込めてその男を睨んだ。それに対して、右端の男は片方の眉を吊り上げて、益々嫌らしい顔が作られる。
弱みを握られている。
そう云った事情でもあるのだろう。
ケベックは身を包む光を収めて、ゆっくりと椅子にその身を沈めた。歯ぎしりすら聞こえて来そうだ。
「さて、疾刀君。
君も、いい加減に強情を張るのは止してはどうかね?
この会社の者――いや、この国の者は、全て我々が人質に取ったも同然なのだ。
親しい者や、大勢の罪の無い人々を見殺しにすることが出来るのかね?
確かに、急な話ではある。一日だけ、心の準備を整える時間を与えよう。
監視の者は付けさせて貰うが、明日までゆっくりとすると良い」
「……分かりました」
話もロクに聞かずに、疾刀はそう答えた。
心は、既にそこには無い。
様々な思索が、頭の中を駆け巡っている。
黒髪の男と目が合った時に悟ったのだ。堤防を崩す一穴を見付けたことを。