第5話 夜の地下鉄にて
デジタル時計が、午後の十一時を示す。
プラットホームに、地下鉄が到着した。
降りた客は、楓を背負った疾刀のみ。乗り込む客は一人も見られない。
「もう、こんな時間……。
楓ちゃんが寝てしまうのも、無理は無いですね」
頭の中で夕食の事を考えながら、階段を上がる。
この時間でも食事出来るような店は、近くでは思い当たらない。
気は進まないが、コンビニ弁当で我慢するしか無いだろう。
改札口でSAPOCAを翳し、出口に向かう。
ふと顔を上げると、昨日は楓がいた場所に男が座っている。
顔は伏せられていて、見えない。
短めの髪を真っ赤に染め、逆立てている。
あまり関わり合いになりたくない手合いだ。
一つ、気になる事があった。男の身体からだろう、一本の糸が伸びているのが見える。
糸は膝ぐらいの高さに、通路を横切ってピンと張られている。
思う所があって、頭の中でスイッチを操り、一度消してから再び付け直す。
予想通り、スイッチを切った間だけ、その糸は見えなくなった。
今、使っているサイコソフト『キャット』には、サイコワイヤーを見えるようにする能力が備わっている。
それが無いと役に立たないからなのだが、それを使わなければ見えないと云う事は、即ちその糸はサイコワイヤーであるということだ。
男は相変わらず、顔を伏せている。
静かに、足音も立てないように気を付けて、男に近付く。
そしてサイコワイヤーを跨いで、通路を横切ろうとした。
「待てや、オッサン」
男の声と共に、目の前をサイコワイヤーが横切った。迂闊に触ると危険なので、立ち止まった。
「……何か、僕に御用ですか?」
振り返ると、男が立ち上がった。
精悍な顔つきで、未だ十代と思われる若々しさだ。
比べれば確かにその男の方が年下のようだが、まだ二十五でオッサンとは呼ばれたくなかった。
「コイツが、見えるんだな?」
更にサイコワイヤーが増える。
誤魔化しても仕方が無いので、疾刀もキャットのサイコワイヤーを何本か展開し、相手のサイコワイヤーを捕らえる。
「『CAT』された?まさか。
まあ、いい。
子供は、降ろしてやった方が良いぜ。
ちなみに聞いておくが、オッサンのレベルは幾つだ?」
「僕は未だ、二十五歳ですよ。未だオッサンと呼ばれる歳ではありません。
それと、君と争うつもりは僕にはありませんよ」
赤髪の男が、顔位の高さに掲げるようにして右手を構える。長身の疾刀にとっては、胸程の高さだ。
「火傷するぜ」
ボウッ。
炎がその手の上で踊る。
発火能力者だろうか。そんなサイコソフトの存在は、疾刀は聞いた事が無い。
エネルギーを炎に変換する、ドラゴンの亜種のようなサイコソフトだとしたら、キャットでは防ぎ切れない。
サイコワイヤーは見えなくなるが、範囲型のサイコソフト『パンサー』に切り替える。
炎が消え、男が驚いたような顔をした。
「何だよ!やっぱり反超能力能力者かよ!つまらねぇ野郎だな!
しゃあねぇ。他を当たるかぁ!
あばよ、オッサン!」
唾を吐き捨てて、男は出口へと走って行く。後には、今朝までは無かった筈の落書きが残されていた。疾刀はその落書きの文を読む。
「クルセイダー……緋神 恭次。
ま、二度と会わないでしょうけどね」
会う事があるとしたら、あの特徴的な頭で思い出すだろう。
そんなことよりも、使っていたサイコソフトの方が、疾刀には気になっていた。
「五年前までのサイコソフトは、網羅している筈なんですけどねぇ」
疾刀の父親や祖父がそういう事に詳しく、開発中のサイコソフトまで知っていた。
一般に出回っているものなら、疾刀もチェックしているのだが。
「あんな危険な物、普通に出回る筈は無いし……。
――まさか」
奈津菜の話と、篠山の話を思い出す。
東京で式城 紗斗里と共に消えた研究データの方はともかく、ダークキャットを狙うドラゴン使いと、先程の男のもの。
二つのサイコソフトの出所が同じという可能性はある。
そして、クルセイダーという名前。
ジャミングシステムを面白半分で破壊・もしくは無力化する者たちを『キラー』と呼ぶが、彼らが徒党を組んでいる事がある。
「クルセイダーなんて名前のキラーチームが無ければ良いんですけど……」
直接関わることは無いだろうが、間接的に関わる可能性は十分に考えられる。
そうなれば、ドラゴン使いと先程の火使いを同時に相手にすることになる。
最新のジャミングシステムも自身のアンチサイ能力に追い付いていないことを知っているだけに、そういった事態になるのは避けたかった。
「警察は、この分野にかけては無能に近いしなぁ……」
特例を除いて、公務員のサイコプラグの着用は認められていない。
そういった点では、一般の警備員の方が役に立つ場合が多い。
階段を上がって地上に出ると、近くのコンビニへと足を向ける。
明日もコンビニ弁当になるだろう。
明後日は、そんなことにならないように頑張らなければと思う。
ドンッ。
コンビニから出て来た男にぶつかった。
先程見たばかりの赤い頭が目に飛び込んできて、疾刀は露骨に嫌な顔をした。
「済まねぇ、急いで――何だ、さっきのオッサンか。
アンタも夕食はコンビニ弁当か?」
男が両手に掲げた、いっぱいになった袋を見て、嫌な予感がした。
無視して店に入ると、予想通りに弁当は目ぼしい所が無くなっている。
「迷惑な奴ですねぇ、あの子は。
……あ!」
しかも、今さらながら、両手が塞がっている事に気が付いた。
今までそれに気が付かなかったというのも、間抜けな話だ。
結局は親切な店員に手伝ってもらってカップ麺とサンドウィッチを買うと、その日は帰って寂しい夕食を済ませる事になった。