一方、ミアイは風神王に謁見を大至急で申し込み、化粧室を借り、めかし込んで待機中だった。ミアイの祖国、光朝国では見たことも無かった、美容にも良い質の高い化粧品。それらが真新しくて、丁寧に化粧をしながら、呼び出されるのを待っているのだった。
「ふぅ……にしても、綺麗な鏡ですわね。化粧はこの位で良いとして、ドレスもこれで問題ないでしょう?
ホフメイスター、謁見への準備はこれでよろしいかしら?
鏡が美し過ぎて、いつもの私より五割増しで美しく仕上がっているように見えてしまうのだけれど」
ミアイが祖国から連れて来た執事に声を掛けた。執事はすぐさま答えを返す。
「はい。光朝国のマナーで言えば、充分でしょう。
ですが、これだけの化粧品があっては、化粧が薄すぎるかも知れません。しかし、化粧が濃過ぎるのも|却《かえ》って下品に見えてしまう気がしますので、|私見《しけん》の範囲を出ない|範疇《はんちゅう》での意見ではございますが……」
「そう。アイヲエル担当の執事か、メイドを呼んで頂戴。批評して頂くわ。
はしたない真似かも知れませんけれど、神王様をお相手に失礼なレベルでは、お話になりませんもの」
「はっ。|唯今《ただいま》」
それを待つ間、ミアイは鏡と|睨《にら》めっこし、リップが少し薄いかしら?と、下品にならない程度の色合いの口紅を、ちょっとだけ厚く塗る。そして、「濃過ぎると言われるかも知れないわね」と考え、軽く化粧紙で拭き取り、薄く塗り直す。
コンコンッと、ドアがノックされる。ミアイは「どうぞ」と軽く|促《うなが》す。ドアの一枚すら、光朝国とは質が比べものにならないわね、とミアイは密かに思った。
「お嬢様、アイヲエル様のお付きのメイドをお連れ致しました。
ささ、どうぞ」
「失礼致します」
ミアイも見慣れた、アイヲエル専属のメイドがやって来た。この人ならば、嫌がらせで無い限り、正しい評価を下して頂けるでしょうと、ミアイは少しホッとした。化粧も、地味ながらミアイよりもずっと巧い。或いは、地味だからこそ、実力を感じる。
「お呼び立てして、申し訳ありません。
用件というのも、|身嗜《みだしな》みのことですわ。ワタクシのこの化粧とドレス、神王様をお相手に謁見するのに、失礼ではないかしら?それを確認したかったもので……。失礼ながら、お招き致しました」
「ホホホッ。神王様は、余程酷くない限り、お許し下さります。
ですが、私見を挟むとしたら……ちょっと失礼致します」
メイドはパフでファンデーションを軽くミアイの肌に乗せ、薄くパウダー状のチークも重ねた。
「この位までは、濃過ぎない化粧として許されると思いますが、ご自身でご覧になって、どう思われます?」
ミアイは椅子を回転されて鏡の方を向かされると、じーっと自分の顔を眺める。回転する椅子というのも便利なものだわと、そんなことも考えながら。
「……そんな……ダメ、美し過ぎるわ。化粧一つでこんなにも違うだなんて……。
こんな綺麗な鏡に映されては、ワタクシが思っていたより美人に見えてしまって、自信過剰になってしまうわ」
「でも、下品と言う程ではありませんでしょう?」
「それは……そうね」
正式な謁見なら、もう少し濃い方が良いのかも知れない。でも、緊急でとの断りを入れたから、これ以上はダメねと思い、感謝の言葉を述べる事にした。
「ありがとうございます。──少々、田舎者の化粧が身についてしまって、恥ずかしく存じます」
正直に言ってから、本当に恥ずかしくなって、ミアイは赤面した。
「田舎者だなんて、とんでもない!
ただ、この国が豊かであるが故に、化粧品も充実しているだけで御座います。……失礼を申しました、申し訳ございません」
詫びられたが、ミアイは何処に失礼な発言があったかと考えた。結果、自らの祖国が貧しい国であると遠回しに言われたであろことに気付き、それにいち早く気付いたメイドに感心した。ホフメイスターなら、気付いていたかどうか……そんなことを考える。
「詫びて頂くまでもございませんわ。事実ですもの。
この国に嫁げるであろうことを、感謝致しますわ。……だと言うのに、アイヲエルったら……」
「神子の教育不足はお詫び申し上げます。
何しろ、器用なだけに、何事も三日坊主で……。
いっそ、旅でひと皮むけて帰って来た方が、まだマシな神王になるかも知れないと、密かな期待はあるのですが……。
これで三日で帰って来たら、三日三晩の説教を──いえ。行き過ぎた考えでした。お忘れ願います」
「ワタクシとしては、三日で帰ってきて頂きたいですわ」
だが、覚悟を決めた男の決意は、三日で覆るのでは本当の覚悟ではない。そこまでは、ミアイの知ったことではない。
すると、不意にドアがノックされて、謁見の場に招待された。ミアイは化粧が間に合ったことに、心の底から安心する。そして同時に、風神王との謁見することに緊張感を持った。
ミアイは、素顔でも面喰いのアイヲエルが婚約を認めるほど、元々美しい姫だった。だが、この先は美しいだけでは許される範疇では無い。
しっかりと交渉すべく、軽く話す内容を頭に浮かべて、玉座の間に案内された。
そして、風神王と向き合ってすぐ、公式の挨拶をしようと、まずカーテシーで一礼し、挨拶の言葉を切り出そうと気合いを入れた直後。
「ああ、お硬い挨拶は要らん。
|愚息《アイヲエル》の婚約者だ、儂の|義娘《むすめ》にも等しい。
用件は分かっておる。──アイヲエルが|出奔《しゅっぽん》したのだったな。
ミアイ嬢には申し訳無いが、こればかりは、光朝国の許可が下りねば、判断致しかねる。
取り急ぎ、馬車を用意してある。許可が下り次第、使うと良い。
光朝国にも、大至急との注文と共に、事情の説明にも使者を向かわせた。
あとは……何か用件があったかの?」
「──いえ。周りにも良くして頂いておりますし、生活も至って快適で、|弛《たる》んでしまうのではないかと逆に不安になってしまいます。
あとは、アイヲエルを帰せば言うことも無いのですけれども」
「|愚息《アレ》は意外と頑固じゃ。そんなところだけ、儂と似てしもうた。
ミアイ嬢さえよろしければ、アレが帰るまでこの城で滞在していて貰っても一切構わないのだが」
「いいえ、|義父様《おとうさま》。アイヲエルは監視しておかなければ、何処で美女を見付けて勝手に|娶《めと》るか分かったものではありませんわ。
一国の姫とは言え、まだまだ田舎者の自覚はありますもの、アイヲエルの旅に同行するのはどうってことはありませんわ」
「そうか……。偉いものじゃのぅ、ミアイ嬢は。
この城に居着いて、楽な暮らしで堕落してしまっても良いのに、アイヲエルの心配をして旅に同行する決意を固めておるのか……。
アイヲエルに、大事にするよう、しっかりと言い含めておかなければならぬな」
話を聞いていて、堕落してしまうのも楽なのかも……と安易な方に考えが飛んで後、『正妻』の立場をキープする為にはアイヲエルを追わねばならぬと心の兜の緒を締めた。
「ええ。楽な方向に逃げてしまうのは、却って後悔することが多いことでもありますことですし。
正妻として!アイヲエルの手綱は握っておかなければ、あの|馬《アイヲエル》は御せないとも思うことでもありますし。
ええ、私は自分の意志で、アイヲエルを追う事を決意しておりますもの。多少の山谷は乗り越えなければ付き合うのも難しい方だと、今回の件で良く分かりましたもの」
そして、ホホホと笑って話を切り上げた。
「ウム、アイヲエルは得難い婦人を|娶《めと》ったのかも知れんのぅ……。
じゃが、今暫しの時を我慢しとくれ。
流石に、光朝国の許可が下りねば、国際問題になりかねん!
全く、何のために許可を取らねば旅立つ事を許せぬと言ったことが、|アイツ《アイヲエル》には判らんか!
帰ったら雷を落とす故、許してやっておくれ。
──否、ミアイ嬢からも、合ったら雷を落としてしもうてくれ。
その方が、あ奴の為にはなるのかも知れん」
風神王、ヴァターも言うことは済んだようだった。
そこで、ミアイが退室を申し出る事にした。
「そろそろ、ワタクシも退出させて頂きます。
お忙しい中、お時間を頂いてしまい、深く感謝を申し上げます」
「ウム。ミアイ嬢になら、アイヲエルを任せても大丈夫そうじゃ。
誰ぞ、ミアイ嬢を。
そろそろ食事の時間じゃろう。ソチラに案内致せ」
するとアイヲエル担当のメイドがミアイを案内し、無事にホフメイスターの下に戻り、緊張が一気に|解《ほぐ》れてドッと汗と疲れが出る。
無理もない、風神王という超越者が持つオーラと、然程長時間では無いとは言え、正面から向かい合ったのだから。
「……アイヲエル殿は、|義父様《おとうさま》に匹敵するオーラを、王になったら纏えるのかしら?」
そんな疑問を口にしながら、メイドの手で汗を掻いたドレスが着替えられ、ミアイは食堂に向かう。全くもって、豪華さでは変わらない着替えに、風神国の豊かさを実感して実家の貧しさを憂うミアイ。そして、昨晩のディナーを思い浮かべ、思わず|涎《よだれ》が口の中を|潤《うるお》す。
「全く、アイヲエルはこの国の何が不満なのかしら?」
国を統治する事の不安。そんなシンプルな不安がアイヲエルを突き動かしたのだとは、ミアイには想像が付かないのだった。