香霧の涙

第39話 香霧の涙

『香霧!』

『楓ちゃ~ん……』

 瞬時にして香霧は、楓の傍へとサイコワイヤーを伸ばすと、テレポートして来て、楓に抱き付いた。
 
「香霧!」

「うえぇぇぇーん。お兄ちゃん、死んじゃったよぉー!」

 号泣する香霧。楓は、慰めの言葉を掛けるより、強く抱きしめることを選んだ。
 
「なっ、何なの、この子!

 ……あ!香霧ちゃんじゃないの!」
 
 突然の香霧の出現に、5人は驚くが、すぐにそれがデュ・ラ・ハーンの力によるものだと理解した。
 
 睦月は、何度か家に遊びに来たことのある香霧を覚えていて、そして理解した。
 
「死んだのは、彼女のお兄さん?」

「うん。助けたかってけど、何の手助けも出来なかった……」

 楓は、己の無力さが東矢を助けられなかった原因だと、自分を責めた。
 
 だが、仕方の無い事だろう。
 
「けど、彼の死は無駄ではありませんでしたよ、楓」

 今だけは、そう言った紗斗里を、楓は許せなかった。だが、事実その通りなのだ。
 
 楓にも分かっている。デュ・ラ・ハーンの呪いから逃れる方法。それは――
 
「デュ・ラ・ハーンに戦いで勝てば良い。

 それが、唯一、製作者がデュ・ラ・ハーンに残した、生き残る方法……。
 
 楓。あなたの考えていたプログラム、少し修正させて貰いますよ。
 
 そのプログラムを使って、超能力を使う能力を増幅します。
 
 そうすれば、デュ・ラ・ハーンに勝つ確率は跳ね上がる筈ですから。
 
 それが通用すれば、香霧ちゃんも助けられますね」
 
「僕も、香霧とネットを組んで、香霧を助けてみせる」

 楓は、香霧を抱く手に力を込めた。
 
「それは良いアイディアだ。

 同時に、僕ともネットを組むと良いでしょうね。
 
 ただ、お二人ともイマイチ理解していないようですが、ネットを組むということは超能力を使う能力を共有する手段です。
 
 二人同時に、二人の併せた最大限の力を発揮できる訳では無いですからね。
 
 飽くまでも、相手の能力を一時的に借りるだけですから。
 
 まあ、今回の場合、楓が香霧ちゃんと同時に感染したわけでは無いですから、問題無いとは思いますが」
 
「分かってる。

 紗斗里の方こそ、本当に超能力を増幅するプログラムなんて組めるの?」
 
「問題ありません。……参考までに、その為のプログラムの一部を、見せて差し上げましょう」

 表情を見る事が出来ないが、その声は自信に満ちていた。
 
「――大体分かった。確かに、それなら出来そう。

 でも、ただ超能力を増幅するだけで、あのデュ・ラ・ハーンに勝てるかなぁ?」
 
「少なくとも、複数のグングニルを具現出来なければならないのですから、それは必要最低限の能力です。

 あとは、分身を防ぐ為にアンチサイ――キャットやパンサー辺りが必要になるでしょうね。
 
 イージスは……グングニルが相手だと、頼らない方が良いでしょう。
 
 ……分身する技術、盗めましたか?」
 
「ううん。そんなこと、気にもしていなかった。

 ただただ、東矢さんを助けられない自分がもどかしくて……」
 
「気持ちは分かりますよ、楓」

「ゴメンね、香霧。お兄さんを助けられなくて」

 グスッと鼻を啜り上げてから、香霧は顔を上げた。
 
 その顔は、涙を流した跡が残っているものの、意外にも笑顔だった。
 
「良いんだ。お兄ちゃんも、死ぬことを覚悟の上で、自らデュ・ラ・ハーンに感染したんだから。

 その上で、デュ・ラ・ハーンを使って遊んで……私も、その覚悟はもう、出来てるんだ。
 
 だから……私が死んでも、泣かないでね、楓ちゃん」
 
「香霧は僕が助ける!」

 断言した楓の気持ちに、香霧は嬉しくなって、ぶわっと涙を溢れさせた。
 
 その涙を隠すよう、楓の胸に顔を埋め、何度も「ありがとう」の言葉を繰り返した。
 
「俺にもようやく、デュ・ラ・ハーンのことが分かって来たな。

 最初は、故郷に錦を飾るにはもってこいの素材を見付けただけのつもりだったんだが、まさか、本当に人が殺されるとはな。
 
 死体を見せられた訳じゃないんだが、ああもはっきりと映像を見せられて、ようやく闘志が湧いてきた。
 
 死因が超能力による自覚の無い自殺なら、超能力を封じちまえば良い。
 
 これで、直接的な人助けが出来るってもンだ。
 
 勿論、超能力による犯罪を防ぐことにも繋がるだろうがな。
 
 自覚の甘さを、思い知らされたような気分だよ。
 
 よしっ!やるぞ!」
 
 パンパンッと、疾風は自分で頬を叩いた。気合を入れる為だろう。
 
「香霧。警察は呼んだ?」

「ううん。お兄ちゃんが倒れたから、救急車だけ呼んでおいた。

 楓ちゃん……。多分、デュ・ラ・ハーンに勝っても助からないよぉ。
 
 だって……デュ・ラ・ハーンとの戦いが始まった時には、既にお兄ちゃんは気を失って倒れていて、心臓も止まってたんだもん。
 
 楓ちゃん……私、死にたくないよぉ……」
 
「何ですって?」

 楓よりも早く、紗斗里が反応した。
 
「香霧さん。デュ・ラ・ハーンとの戦いが始まった時には、既に東矢さんの心臓が止まっていたというのは本当ですか?」

「……誰?」

 姿の見えない相手からの問いかけに、香霧は戸惑う。
 
「これが紗斗里だよ、香霧」

「えっ、この馬鹿でかいパソコンが?」

 目の前にある端末を見て、香霧は驚いた。
 
「パソコンとは、失礼な。

 コンピューターと呼んで欲しいですね。出来れば、スーパーコンピューターと。
 
 これでも、個人の持つパソコンとは比較にならない程の高性能を誇っているのですよ。
 
 日本でシンギュラリティを起こす第一号のスーパーコンピューターとなる予定なのですよ?」
 
「楓ちゃん、毎日、こんなのの相手をしているの?」

「こ、こんなの……」

 紗斗里は『こんなの』呼ばわりされて、強いショックを受けたようだった。
 
「うん。『こんなの』って言うけど、ゲームさせたら強いんだよ?」

「ゲームさせる為に、ここではこんなのを使っているの?」

「その為だけじゃないんだけどね」

「そうですよ!僕はゲームをする為に居る訳じゃありません!

 ゲームは、僕の知能を試し、向上させるために行っているに過ぎません!
 
 見ていなさい!近い将来、僕は世界中にその名を知られるコンピューターとなって見せます!」
 
 この宣言は、紗斗里が思っているのとは別の形で、実現することとなる。が、それはまた別の話。
 
「なんか、邪魔しちゃったみたいだね。

 帰るね、楓ちゃん。バイバイ」
 
「あ、待って、香霧」

 止めるのも聞かず、香霧は再びテレポートで帰ってしまった。
 
「大丈夫かな、香霧。強いショックを受けていたみたいに見えたけど……」

 仲の良い兄が死んでしまったのだ。ショックを受けない筈が無い。
 
「追うかい、楓?」

「ううん。多分、今は下手な慰めの言葉を掛けるより、一人にしてあげた方が良いと思うから」

「その辺の、微妙な人間の心理は、僕が学習し足りない部分ですね。そこは、楓の判断に委ねましょう。

 さあ、楓。対デュ・ラ・ハーン用プログラムを組みますよ。
 
 脳を貸して下さい。トランスしますよ」
 
「うん」

 その後、1ヵ月経っても、香霧からの連絡は無く、楓からのテレパシーにも、香霧が答えることはなかった。
 
 学校では会うが、言葉も交わそうとしない。
 
 そして。
 
 対デュ・ラ・ハーン用プログラムは完成した。