第99話 選ぶのならば
宇の濁りを清める。
言うのは簡単だが、実行は難い。
だが、一つ手はある。
――禁呪を本当に封印するのだ。もしも、露を始めとする国が、北海道を始めとする日本に侵攻して来ない限り。
既に使ってしまったものはご容赦願いたい。
飽く迄も、再びの禁呪の使用を封印する、と云う話だ。
名を挙げる事すら封印する。
その約束が果たされるか否かは、これからの活動の中で使う事こそを封印するのを見守って欲しい。
禁呪の形式を明かすことをも封印する。
――洒落にならないと判ったからだ。
それを判らずに使用した過去に対しては、詫びを申そう。
大変失礼致しました。二度とその存在に触れる事を、北海道を始めとする日本への侵攻が無い限り、封印することを誓おう。
コレが法螺であった場合、それ相応の処置を取って頂いて構わない。
そして、日本の正しい音としては、『う』を濁した音は存在せず、諸外国の発音からソレを濁す音と文字が現れた事を認め、今後、その使用を最低限に留める事を誓おう。
但し、既に予約掲載してしまったものに関しては、ご容赦願いたい。
今後、その文字を名とする人物の登場の機会を最低限に留め、出来れば二度と登場させぬよう、努力はする。
その基となった、『ラベンダー』の正しい発音表記も止めよう。
宇を濁しては、大変な事になると判った。
毎度、失敗してから悟る事ばかりだが、恐らくは今後も多少のミスはするだろう。
それを、気付く度に改める。
それ以上の努力は、ちょっと難しい。
失敗した事に気付いた際には、警告を発して頂いて構わない。
ソレについては、その度に改める事としたいが、ソレが、気付いてからしか出来ない事は、人間が失敗をする生き物である以上、警告以上の行動は止めていただきたい。
朝が韓に支配されると云う表現も、良くなかったであろうから、現時点に於いてはソレは行われないと宣言しよう。
だがしかし、朝の国民は、韓の支配下に入った方が幸せであろう政策を取っている事には、物申したい。
軍事力を削減して、その余剰金で国土を開発せよ!
心配しなくとも、民主主義国は『警告行為』はするものの、自主的な『侵略行為』は行わない。
何故ならば、『侵略行為』、正しくは『戦争行為』は、兵力の損失を生み出し、民主主義である以上、ソレを自主的に行った国は、首相の挿げ替えが行われるからだ。
『大統領』と云う『独裁者』に近い首相は、特に米の切り札は核のスイッチを押しそうで危うく感じるが、それでも、自主的な侵略行為はしない。
何故なら、米は越国との戦争で、痛い目に遭っているからだ。
そう、米ほど大きな国でも、小さくても『国』を相手に戦争をする事は、多大なダメージを受ける事に繋がるのだ。
コレ以上、痛い目に遭いたくなかったら、『99年間の租借案』を提案するから、ソレの採用を真剣に検討して欲しい。
お互いに、その位が相応の落としどころではないだろうか?
確かに、その前例となる土地に於いては、返還後に大問題になったし、何なら返還されなかった方が幸せだったかも知れないが、『歴史は繰り返す』と云う。
将来的な問題は、一度ココで留め置いて、現在の状況回復を目指した方が、双方どころか、世界的にも褒められて然るべき事態なのかも知れない。
だが、もしも露が切り取った領土を返還し、クリミア半島の支配権だけで満足するのならば、その停戦の決断は、世界的に褒め称えられるであろう。
よりにもよって戦争を始めてしまった国が、『ノーベル平和賞』を得る事など不可能であると思うが、ソレに相当する位の英断だと個人的には思う。
五輪でも、反則スレスレの行為を行うから処罰されるのであって、根本的に『日本人対策』としか思えないルール変更に対しても、日本人はなるべく従うようにした。
露には、『正々堂々』とか、『真剣勝負』と云う概念が不足しているのではなかろうか?
否、『真剣勝負』に関しては、彼の国では『ルール違反スレスレ』が『真剣勝負』なのだろう。選手生命に終わりが来ようとも。
まさか、『正々堂々』と『ルール違反スレスレ』をしていると主張するなら、日本語の『正々堂々』と云う概念をもっと詳しく学び直した方がいい。
ただ、日本とて、全てが『正々堂々』な訳では無い。
その最たる例が、政治家の『政治献金』の問題等が挙がる。
『政治献金』が政治を行う上で必要な資金源ならば、ソコにルールを設け、ルールに従う限りは『政治献金』の収集も違法ではない、とすればいいのにと思う。
何となくだが、『ルール違反』をする事が目的で、その結果、金を得られたら勝ちとか、半可臭い考えをしているような気がしてならない。
現状、一党だけが政治を上手く回すノウハウを持っていて、他の党では上手く政治を回せない事が過去の事例で明らかになってしまった、と云う事情に見える。
だが、日本は『独裁者化』する以前に、批難が殺到して、辞めざるを得ない状況に持ち込む事が可能なシステムになっているから、完全な独裁者は出来ない。
『独裁者』は危険だ。世界的にも、『独裁者』自身の最期に於いても。
それでも尚、『独裁者』で在り続けようとするならば、悲惨な最期を覚悟する事だ。
俺が同じ立場にあるのならば、むしろ、信の置ける者をトップに据えて、裏から意図を操り、世界の裏側の支配者となろうとすることだろう。
でも、そんな立場に於いても、運命は恐らく、傀儡の裏切りに遭って、公開処刑が妥当なところだろうか?
だが、その選択肢に於いても、平和的な選択肢を選ばれたら、美味しい目に遭う可能性がワンチャンス、無い訳では無い。
ただ、その場に於いて、俺は大いなる恥を掻くことになるであろう。だからこその、公開処刑だ。
その公開処刑を、全世界の人に見て欲しい。ちょっと小さなコンプレックスが、美味しい目に遭う公開処刑に於いては、大きな恥になり得る事を。
普通に公開しての死刑にするだけならば、ちょっと詰まらない。
選ぶのならば、面白い方に賭けて欲しいものだ。