紗斗里の打算

第33話 紗斗里の打算

 午後になって楓が研究所へ向かうと、驚くべきことが起きていた。
 
 研究所に向かう途中の睦月が運転する車の中でも、何かがあったことは睦月から聞かされていたが、その詳しい内容は伝えられていなかった。
 
 だから、研究所に入った途端、楓は驚いた。
 
「いらっしゃい、楓」

 紗斗里が、楓とプラグで繋がっていないのに、『紗斗里モード』に移行していたのだ。
 
「ネットを組んでいただいて、ありがとうございます。

 お陰で、貴重なデータを色々と手に入れる事が出来ましたよ。
 
 念の為、グングニルが発動可能かどうかは、試しておいて下さいね」
 
「どうして?」

 紗斗里が、楓とプラグで繋がっていないのに『紗斗里モード』に移行していたことに対して楓は「どうして?」と言った。
 
 紗斗里は楓が『Tiger White』白虎を発動してフェンリルを使う能力を封印しているので、その心の内に秘めた思いを理解出来なかった。
 
 その「心の内に秘めた思い」という大きな氷山の、その一角である「どうして?」という疑問を理解出来なかった。
 
 その為に誤解して、「グングニルの発動を試しておいて欲しい」という紗斗里の要望に応えなければならないという事に対して「どうして?」と言ったのだろうと判断してしまった。
 
「グングニルを使えるようになっていなければ、デュ・ラ・ハーンとは戦えないのではありませんでしたか?」

「そうじゃない。どうして、紗斗里が『紗斗里』モードに移行しているの?」

「楓とネットを組んでいるからですよ。

 言いませんでしたか?僕とネットを組むことと、僕とプラグで繋がる事は近似しているのですよ。
 
 そして、ネットを組めば、仮想的に楓の脳を借りて、僕は一部の超能力を使えるのですよ。
 
 例えば、僕がテレパシーを利用して楓たちの会話を聞いていたように。
 
 そして、その能力を応用して、超能力のジャミングシステムを、疾風さんに頼んで開発してもらう事にしました。
 
 
 僕の考えを伝えます。
 
 デュ・ラ・ハーンとは、恐らく人間の脳に第二の人格を与える事で、眠っている超能力をその人格に制御させる能力を目覚めさせるソフトです。
 
 そして、僕の能力ならば、デュ・ラ・ハーンの能力の一部を分離して、1年という寿命の期限無しに、プラグシステムの一部として、それぞれ一部の能力を持った超能力覚醒システムを作り上げる事が出来る、と思います。
 
 僕は、それをサイコプラグシステムと名付ける事にしました。
 
 それを開発すれば、いずれデュ・ラ・ハーンは消え去るでしょう。
 
 そして、その時には超能力に対抗する装置の開発も、必要でしょう。
 
 それを僕はジャミングシステムと名付け、先程も言った通り、疾風オジサンにそれの開発の中心人物となって貰う事にしました。
 
 疾風オジサンは、いずれ、それを利用して、故郷の札幌に、ジャミングシステムを専門に開発する研究所か会社を作りたいと言っていました。
 
 ですので、それは疾風に任せます。頼まれれば、手伝い位はしますけどね。
 
 何しろ、サイコプラグシステムは、ジャミングシステム無しには、非常に危険な存在ですから。
 
 
 そして、この研究所も、ただの武蔵たけくら研究所では無く、サイコプラグシステムを専門に開発する研究所として、『武蔵サイコシステム研究所』と名称を変えるつもりです。
 
 僕の勝手な判断ですが、基本的にこの研究所は僕の為にあります。
 
 その僕の意見を、聞き入れないとは言わせません。
 
 睦月先生や疾風オジサンには相談し、上へとその意見を通して貰うよう、働きかけてもらうようにお願いしてあります。
 
 楓。どうか、生き残って下さい。
 
 あなたが居なければ、僕の計画は成り立ちません。
 
 僕も、出来る限りの事をしてあなたを助けます。
 
 しかし、最後にモノを言うのはあなたの力です。意志です。……努力です。
 
 
 そうそう、努力と言えば、楓。あなたが考えていたプログラムは、あと1か月で仕上がります。
 
 それが、デュ・ラ・ハーン対策の決定打となれば良いのですが」
 
「1か月?1週間にはならない?」

 楓は東矢のことを思いやり、そう要望した。
 
 紗斗里も楓の思いをすぐに思い知ったのだろう、暗い声でこう言う。
 
「正確には、28日間。残念ですが、それが限界です。

 東矢さんの為に、訊ねたのでしょう?それで、一週間と」
 
「うん」

 楓は頷いた。「うん」と声を出したのは、紗斗里に知らせる為だ。そうでなければ、頷くだけにしたい気分だった。
 
「それにしても、デュ・ラ・ハーンの言っていた、面白いものが見れるって、どういう意味だったんでしょうねぇ?」

「そんなものも聞いていたの!?」

「いけませんか?」

「香霧の場合、デュ・ラ・ハーンとの会話はテレパシーを繋いでいても聞こえなかったのに」

「それは、香霧ちゃんが楓の意図して送った声以外はシャットアウトしていたからでしょう?」

「なるほど」

「というわけで、残念ですけど東矢さんには、デュ・ラ・ハーン対策の為の犠牲となっていただきましょう。

 その死の瞬間、何が起こるのか。
 
 それによっては、打つ手を変えなければなりませんからね」
 
 明るく言った紗斗里に、楓は不快感を覚えた。
 
 人の命が失われようとしているのに、そのことを明るく言った事に対して。
 
 所詮はコンピューター。命のありがたみが分かっていないのだろう。
 
 コンピューターは、データさえ残っていれば、全く同じものを作る事が可能だからだろうか。
 
 人間のように、全く同じ経験を積む事によって全く同じクローンを作る事が不可能であるのとは、ワケが違うのだ。
 
「寿命を引き伸ばすプログラムの方はどうなったの?」

「ごめんなさい。楓の考えていたプログラムを組む事に全力を注いでいて、全く進展がありません。

 楓の考えていたプログラムの方が、根本的な解決に繋がると思いましたもので」
 
「お願い。先に、寿命を延ばすプログラムを組んで。

 そうしないと、東矢さんが死んじゃう!」
 
「残念ですが、それを実現可能なパーセンテージは、ほとんどゼロに等しいです。

 何しろ、一度は完成したと思ったそのプログラムが、全く通用しなかった訳ですから。
 
 その上、ただでさえ解読困難なデュ・ラ・ハーンが、一部、書き換わってしまって……。
 
 どうやらデュ・ラ・ハーンの効果には何の変化も無いようですが、分析にも時間がかかるのです。
 
 
 よろしいですか、楓?
 
 デュ・ラ・ハーンへの対策の方法は、1万人単位の人間の命に関わっているのです。
 
 そう簡単に、たった一人の為に、失敗することが目に見えている時間稼ぎに時間を割く訳にはいかないのですよ」
 
「でも、東矢さんは香霧にとって大切な人!

 香霧にとって大切な人は、僕にとっても大切な人だよ!」
 
「余計な時間を割いた為に失われる一人一人の命も、誰かにとって大切なものなのではありませんか?」

「でも……。

 なら、僕がもし、東矢さんの立場になったら、紗斗里はどうするの?
 
 それでも紗斗里は見捨てると言うの?」
 
「……いえ。楓は、僕にとって大切な人だから、無駄かも知れないと分かっていても、その『かも』の部分に賭けて、全力で救うための手を打ちます」

「なら、僕の気持ちも分かってくれるでしょう?」

「楓では無く、香霧ちゃんの気持ちを分かっているつもりですよ。でも……。

 恐らく、彼は手遅れです」
 
「そんな……いい加減な判断で物を言わないでよ!」

 責め立てる口調で、楓が言った。彼女が激情に心を乱すのは、珍しい事だ。
 
「いい加減な判断ではありませんよ。

 楓。あなたは二度、東矢さんの心を覗こうとしましたね?
 
 一度目はノイズが混じり、二度目に至っては、心を覗くことも出来ませんでしたけど。
 
 それが、確かな証拠です。
 
 彼の脳は、機能を停止しようとしています。
 
 楓にも、いずれそのような症状が現れるでしょう。
 
 
 その時が訪れる事は、恐らく止められません。
 
 それへの対処法は、二つ。遅らせるか、乗り越えるか。
 
 今、僕が組んでいる方が乗り越える方、楓が作れと言っている方が、遅らせる方です。
 
 遅らせる方のプログラムを作っても、それを広めるのに時間が掛かり、更にその後に乗り越える方のプログラムを作って広めるのに時間が掛かってしまう上、遅らせる方のプログラムをプログラムを手に入れた方々が、乗り越える方のプログラムを手に入れる可能性は、必ずしも高いとは言えないでしょう。
 
 例え、インターネットを利用して広めても。
 
 
 そうなると、遅らせる方のプログラムを先に組んだ場合、乗り越える方のプログラムを先に組んだ場合と比べて、遅らせる方のプログラムを必ずしも高くは無い確率で手に入れて、その上、乗り越える方のプログラムを必ずしも高くは無い確率で手に入れた人数だけ、多くの人を助ける事になりますが、それに差し引くことの、遅らせる方のプログラムを先に組む日数の内に死ぬ・もしくは手遅れになる分の人数だけ、助かる人数が少なくなってしまいます。
 
 さて、楓。どちらが得なのか、分かりますか?」
 
 楓は、思案の末にこう答えた。
 
「話が長くて分からない」

「か~え~で~」

 何とも情けない声で、紗斗里は呼んだ。
 
「分かりました。

 楓。あなたには、コンピューターの演算を読む『Dolphin』の才能があります。
 
 僕は先程説明した事を強くイメージしておきますから、それを読んで理解して下さい。
 
 分かりましたね?」
 
「うん、分かった。紗斗里とサイコワイヤーを繋げば良いんだね?」

「集中すれば、インターネットを通じて僕の思考を拾う事も出来る筈ですが、少々難しいでしょうね。

 そうして下さい、楓」
 
「了解」

 楓は席に着いて、わざわざ紗斗里のあの六角形のプラグの先端にサイコワイヤーを繋いだ。
 
 それによって、より鮮明に紗斗里の思考――正確には演算を読み取る事が出来た。
 
 そして、紗斗里が言っていた、死期を遅らせるプログラムを組むことによって、余計に失われる命の数が、凡そだがしっかりとした計算の下、理由も示された上で数字として示されていた。
 
 更には、楓が東矢の立場にあったらという、その時の紗斗里の考えも、打算と共に示されていた。
 
 それによって、楓は初めて知る事が出来た。紗斗里の計算による、他人と比較した時の、楓の実力の高さを。
 
 特に超能力に関しては、桁違いの数字として。
 
「……僕は、そんなに優れているの?」

「ええ。これは、僕と共に成長してきたからという程度では、説明のつかない能力の高さです。特に、超能力という点に関してはね。

 楓。あなたは、天才と名乗って良いだけの資質を秘めている」
 
「でも、メモリーワイヤーに頼っても、学校での成績は底辺に近いよ?

 それなのに、どうして天才なの?」
 
「天才だから、学校の成績が良いとは限りませんよ?

 それに、今の楓にはフェンリルという便利な超能力があるじゃありませんか。
 
 今の楓なら、他人の思考能力を借りれば、満点、もしくはそれに近い成績を収める事も十二分に可能ですよ。
 
 もちろん、それは立派なカンニングですから、褒められたものではありませんけどね。
 
 
 それにしても、どうして僕とのゲームを通じて頭を使うようにしているのに、成績が底辺に近いのですか。
 
 あなたの知能は、他の子供に引けを取らないばかりか、大人をも上回っている筈ですよ!
 
 いい加減に本気を出さないと、睦月先生の代わりに、僕が説教を始めますよ。まったく」
 
「ごめんなさい」

 ディスプレーに、わざわざトランスした時の楓の顔――つまり紗斗里の顔を表示して、怒った表情を見せる紗斗里に、楓は素直に頭を下げた。
 
「分かればよろしい。

 さて、このままの状態で、トランス出来ますか、楓?」
 
「このままって、サイコワイヤーを繋いだ状態で?」

「その通り。

 原理から言えば、出来る筈ですが」
 
「……やってみる」