第二開発室

第2話 第二開発室

「なあに、その子。

 まさか、疾刀の隠し子?!」
 
 会社に着いてすぐに、同僚の新見にいみ 奈津菜なづなに、偶然出会った。一緒に仕事をする以上、隠しておけるようなこととは思っていなかったので、すぐに紹介する。
 
「義理の妹の、楓です。

 家に一人でいるのは嫌だと言い出したもので、連れて来たんです。邪魔はしないように言っておきましたから」
 
 少し、『義理』の意味合いとは違っているとは思われたが、完全に間違いとも言い切れないだろうと思い、疾刀はそう紹介した。
 
「義理の、って、じゃあ、お父さんの隠し子なの?」

 興味津々で訊ねて来る奈津菜。言われて、そうしておいた方が話が早いかも知れないと、疾刀は思ってしまった。
 
 都合の良い事に、五年前から両親は行方不明だ。
 
「さあ、どうでしょう?」

 結局、疾刀はそんな曖昧あいまいな言い方で、言葉をにごす事にした。
 
「どうでしょうって、どういうこと?」

 とぼけたまま、疾刀は答えない。奈津菜は次に、楓に向かって話し掛ける事にした。
 
「こんにちは、楓ちゃん。

 私は疾刀の恋人の、新見 奈津菜。よろしくね」
 
 奈津菜の言い出した言葉に、疾刀は驚き、慌てふためいた。
 
「余計な事を、この子に吹き込まないで下さいよ!」

「いいじゃない。どうせあなた、付き合ってる人もいないんでしょう?」

「そういう問題じゃ、ないと思うんですけどね」

 疾刀の言葉に、奈津菜は耳を貸さない。
 
 そのうち楓と、一緒に食事をする約束まで取り付けてしまっている。
 
 勿論、疾刀も本人の意思とは関係無しに巻き込まれていた。
 
愛想あいそは無いけど、けっこう可愛い子じゃない。

 そうそう。そういえば、見た?今朝のニュース。
 
 式城しきしろ 紗斗里さとりが失踪した、って」
 
 エレベーターに乗ったところで、奈津菜は早速その話題を持ち掛けた。
 
「ええ、勿論。

 これで、日本がこの分野でトップに立っていられるのも、あとわずかでしょうね。
 
 影響、大きいですよ。この事件は」
 
「そう?私は、何も起こらなくなるだけだと思うわ。

 だって、今までに開発されたサイコソフトの八割に関わっていたんでしょ、彼女。
 
 少し異常な数値だと思わない?本物の天才だったっていう事よ、それって。
 
 彼女のお陰で完成したシステムだけど、今までの進化が早過ぎただけなのよ、彼女のせいでね。
 
 それが、正常な速さに戻るだけ。
 
 彼女にこの業界の技術が追い付くまでにかかると言われている30年の間、下手をすれば一つもサイコソフトが開発されないなんてこともあり得るんじゃないかしら?」
 
 ニュースでも似たようなことを言っていたことを、疾刀は思い出した。
 
 三階に到着したところで、揃ってエレベーターから下りる。社内で最高の成績を誇る第二開発室は、もう、すぐ目の前だ。
 
「そういえば、彼女ってどんな姿をしているのか、知ってますか?

 僕、見たことないんですけど」
 
 新聞を見ていて、気になったことだ。研究所の写真は掲載されていたが、彼女自身の写真は無かった。
 
 ニュースでも同様で、そもそも五十年も前からの有名人なのに、その姿が紹介されているのを、疾刀が一度も見たことがないというのも、おかしな話だ。
 
「そういえば、私も見た事無いわ。

 けど、少なく見積もっても70過ぎの婆さんよ。見る価値、無いんじゃない?」
 
 女性として見るならともかく、有名人として見るのなら、見る価値は年齢なんかで決められるものではない、と疾刀は思った。
 
「けど、永遠の若さを保てる、完全なる代謝制御たいしゃせいぎょソフトも、開発されたばかりじゃないですか」

 少なくとも彼女は、業界では世界一の有名人。疾刀としては、その姿ぐらいは知っておきたいものだと以前から思っていた。
 
「おはようございます」

 部屋には新人の、上月こうづき 千種ちぐさが居た。加えてチーフの篠山しのやま 多紀たきで、大和だいかずカンパニー札幌本社第二開発室は成っている。
 
 少々大きな都市とはいえ、地方のイチ企業に過ぎなかった大和カンパニーを、日本中に支店を持つまでに育て上げる切っ掛けとなった『ダークキャット』シリーズを生み出したのが、この開発室だ。
 
「今日はチーフ、遅れるそうです」

「チーフの遅刻なんて、いつものことじゃない。

 それより見た?今朝のニュース!」
 
 二人が話し込むのも、いつもの事だ。今日はいつもより長引くかも知れない。
 
 疾刀は楓を自分の席に座らせ、ロッカーへと向かう。
 
 千種の視線が楓の方に向くが、紹介は奈津菜がしてくれた。
 
 ジャケットをハンガーに掛けて白衣に着替えると、空きの机から椅子だけ運んで、楓はそちらに座らせた。
 
「トイレに行きたくなったり、喉が渇いたら言うんだよ」

 黙って頷く楓の頭をパーカー越しに撫でてやると、自分はパソコンを立ち上げて、仕事を始めた。
 
 今、疾刀が担当している仕事は、会社の看板商品『ダークキャット』シリーズの、最新のハードである型番CA-Dの専用ソフトの制作である。
 
 『ダークキャット』は、『キャット』と呼ばれるサイコソフトと同様の原理で作用する。
 
 サイコワイヤーと呼ばれる、超能力の作用点を決める、通常の人間には見えない糸を、同じサイコワイヤーで追尾して絡め取り、その機能を封じてしまうという原理だ。
 
 その為、ハードではサイコワイヤーの機能する範囲とその数の上限が、ソフトではその追尾性能ついびせいのうが決まってしまう。
 
 ダークキャットはプログラムによって機能する為、サイコワイヤー一本毎に、打ち消す条件や打ち消さない条件を決められるのが大きな利点だ。
 
 本体がおよそ2センチ立方と小さく、ボタン電池一つで一ヵ月以上は機能を続けるというのも良いところだ。
 
 ただ、欠点もある。
 
 自分の体内や、他者と接触して使われる力をジャミングする事が出来ないというのが、その一つ。
 
 例えば、接触してのテレパシー等がそれに当たる。
 
 自分の肉体の機能を高めるようなものも駄目だ。
 
 透視等は、透過する対象にサイコワイヤーを伸ばさなければならないのでジャミング出来るが、聴力を高めて聞き耳を立てるというのは止められない。
 
 透視も、手等の肉体で透過対象に接触して使われると、キャットの原理では防げない。
 
 そもそもが、サイコワイヤーを使わない超能力は防げないというのが、最大の欠点だろう。
 
 疾刀が実力を発揮するのは、その機能を引き出す為のソフト開発においてであった。
 
 ハードの方は、大きさや電源を大きくすれば、機能はどんどん高められる。
 
 だからこそ、ソフト開発においては、ダークキャットの生みの親である両親の遺伝であろうか、親譲りの実力の高さを誇る疾刀が、この開発室の実力者であり、その為、この開発室が日本一との評判が立っているのだ。
 
 会社の創業者も、疾刀の祖父だ。疾刀はこの会社と縁が深いのだ。
 
「ちょっと、井戸端会議いどばたかいぎに行ってくるね」

 そう言って出て行った奈津菜には、ちょっと困った特技がある。
 
 元は話し好きが転じてのものなのだが、他の開発室の技術を、完全な形で無いにしろ、無断で持ち込む事が良くあるのだ。
 
 特に、井戸端会議と言って出かけた帰りが怖い。
 
 ついたあだ名が『社内スパイ』というのだから、シャレにならない。
 
「風魔先輩は、あのニュース、気にならないんですか?」

 千種が、疾刀に向けて、そう訊ねた。
 
「いや、気にはしてるよ。ココに来るまで、新見さんとも話してたしね。

 ところで、新しいハードの設計はどう?上手く行きそう?」
 
「はい、順調です。

 この分だと、CA-Dと同じサイズで作れそうです」
 
 千種は千種で、ハードのコンパクト化という点では筋が良い。
 
 彼女も、この開発室の陰の実力者と言って良いだけの才能を秘めていた。
 
 お陰で今年は、他の開発者の追随を許さない程の成績が期待されている。
 
「チーフが遅れるって、何かあったの?」

「何か、トラブルがあったらしいです。

 そう云う先輩こそ、何かあったんですか?急に妹さんなんて連れて来たりして。
 
 随分と歳が離れてますよね?
 
 それに、あんまり似てないように思えるんですけど……」
 
「義理の妹だからね」

「深く詮索しない方が良いみたいですね」

 そうしてくれると助かるよ、と、疾刀は心の中で感謝の言葉を述べた。
 
 これ以上のことを聞かれても、ただただ返答に困ってしまうだけだ。
 
 楓本人は何も話そうとしないし、疾刀も無理に聞き出そうとはしなかったというせいもある。
 
 その後、昼まで疾刀と千種はそのまま順調に仕事を進めた。
 
 その間、篠山チーフも奈津菜も、開発室には姿を見せなかった。
 
 昼の約束だけはしっかり覚えていたらしく、昼休みに入った途端に奈津菜は戻って来た。