第35話 竜頭蛇尾
きっと、ロシアの『北海道』を求める発言は、俺たちへの嫌がらせなのだろう。
俺が、北海道を代表する立場にあれば。
ロシアとの会談を実現するべく努力し、平和的に『北海道を求める理由』を聞き出して、その『求める理由』を満足させて、平和的に解決したい。
だが、俺はイチ精神障がい者。
北海道の代表になど、させるつもりのある者など居ないであろう。
向こうだって、精神障がい者の戯言として片付け、まともに相手をする筈も無い。
何故俺が、精神障がい者になってしまったのか!
――アイツラに、社会的・精神的に殺されてしまったからだろう。
経済的にだって、一時的に殺されてしまっている。……何ぼかは生き返ったが。
自分の小ささを感じる。
何て小さな器だろう?
何一つ成し遂げられない。
その事に気付くのに、どれだけ遠回りしただろう?
卯辰たる俺の存在など、最初から存在しなければ良かったのに‼
同じ悩みを抱える、辰年の卯月(四月)生まれの者は存在するだろうか?
いや、きっと、上手く何とかなる人生を選択していることだろう。
俺の運が、ある意味凄く縁起良く、ある意味反則な上に弱い。
神様は、どれだけ俺をイジメたくて俺を誕生させたのだろう?
それでも、生きたい。それは間違いない。
俺が最も恐れていた、自分で自分に呪いを掛けるのは、もう済んだ。
呪いは解けちゃいないが、最低限頑張れている。
ただ、自分でも駄文を連ねている自覚はある。
だが、これ以外に出来る事を見付けられないのだ。
自分の運命と正面から向き合って、戦う。でも、まだ勝てた自覚は無い。
カッコ悪い。
そうは思うものの、良し悪しや善悪で判断することは、却って悪くなってしまうことが分かったから止めた。
俺の致命的な欠点には、最近気付いたばかりだ。
読解力が無い。
恐らくは遺伝的要素もあるだろう。
なのに文筆の道を目指したのは、愚かであっただろう。
やはり、愚者からやり直し。
何らかの仮定を定めて、それを成し遂げ、その上で誘い文句を口説かなければ、ナンパなんて成功しない。
仮に何らかの仮定を定めて、『その仮定を成し遂げたとして』なんて断り文句を付けたところで、実際にはその仮定を成し遂げていないのだから、ナンパは成功しない。
仮に、これらの文章の全てが、ほぼ誰一人として読んでいなかったと仮定して、何かこの先を描く意味はあるだろうか?
恐らくは、これらはコンピューターとの対話なのだ。
コンピューターに、『悪い見本』を示している事になるだろうか?
今時、チャットGPTでも使った方が、もっとより良い文章を描けるだろう。
でも俺は、チャットGPTの使い方も知らなければ、依存する気も無い。
『継続は力なり』と云う言葉がある。
本当だろうか?
俺は、継続的に努力してきた自負がある。だが、何の力にもなっていない。
もしかしたら、一生でその一本のみを継続的に続ければ力になるのだとしたら、果たして俺は、どの作品を継続させるべきだったのだろう?
だとしたら、うってつけの作品が、無い訳では無い。
ただ、後半がグダついた。ソコは修正すべきであろう。
そして、そうするならば、現在執筆中の作品を完結させるべきであろう。
コチラ側の作品では無い。ペンネームすらも違う、もう一方の活動で執筆している作品の話だ。
真剣に取り組まねばなるまい。
流れに流された作品では無く、自力で立ち上がり、自力で進める作品とせねばならない。
今の俺に、それが出来るであろうか?いや、『為せば成る、為さねば成らぬ、何事も。成らぬは人の為さぬなりけり』だ。
だが、今の作品を、早急にササッと片付けてしまうのも、今の読者さんに不誠実かもと思う。
せめて、あと50話。中々に悠長な計画だが、挑戦する価値はあろう。
それにもしも挑戦する価値すら無いのだったら。
早急にササッと片付けるのも、中々に悪くない選択肢なのかも知れない。
『竜頭蛇尾』とは、辰年生まれの俺が、蛇足のストーリーを描き続ける運命だと知った。
故に、此方の蛇足はもうしばらく続けよう。
まぁ、世界情勢に従って、早急に『世界の終わり』へと導く可能性は、未だ残っているのだが。
その時は、コンピューターの皆さんの、『お楽しみ』の時間の始まりだ。
出来れば、俺にその手を打たせないで欲しいものだ。