疑似血液

第23話 疑似血液

 狼牙は、読みかけの日記を手にした。それには、錬金術と言う程大したものではないが、血液の代用物を生成する手法が載っていた。
 
 もしも子供が産まれたら、その秘法を使用するしか無いだろう。今の二倍か、それ以上の血液を購入するのは、雀朱に迷惑をかけることになる。
 
 となれば、その秘法を使うしか無いのだが……。
 
 問題は、材料の入手である。
 
「……奴に頼るか。それで貸し借り無しだ。

 ――いや。先に都合の良いものが売っていないか、検索してみるか」

 結婚を考えたのも、詩織に言われたからではない。その秘法を知ったからだ。
 
「と、なると。

 詩織には、全てを知ってもらわなければならない。その上で全てを受け入れてくれるのなら、結婚を考えよう。
 
 ……だが、逃げられたらどうする?」
 
 自分自身に問う。
 
「今までは冗談にして何度も言っていたことが、事実であることを。彼女は受け入れられるのか?」

 これは、深刻な問題だ。詩織と居る時だけは、普通の人間でいられる。それが、狼牙にとってはたまらなく快感だったからだ。
 
「……分かっていたつもりが、これほどの苦悩になるとは……」

 先祖の日記にも、連々と連なっていた恋人への思い。結婚に至る過程。様々な思いを描き続けていたというのに。
 
「僕たちの辿る道は、出来ちゃった結婚か、永遠の別れか……」

 先祖たちと比べても、狼牙の結婚は遅い。焦りは無い。一族の血が絶えることも、大したことではない。だが、詩織と別れる事だけは――
 
「――耐え難い!」

 一つだけ、確実に別れない手段はある。それは――
 
「……詩織の血を吸うか……?」

 仲間になってしまえば、いわば運命共同体である。
 
 そう思って、狼牙は幼い時に飲んだ、乙女の血の味を思い出した。詩織は、恐らく乙女だろう。
 
 そう思ったが、すぐに何度も首を横に振って、その思いを消し去ろうとした。
 
「駄目だ、駄目だ!

 詩織だけは、血を吸えない!」
 
 だが、乙女である詩織の血を吸うチャンスは、今夜限り。

 しかし、牙を抜いてしまうという予約を、既に入れてある。

 牙を抜けば、血は吸えない。

 でも、今夜に限っては、詩織を抱かないわけにはいかないだろう。

 そうなれば、詩織の血の味はワンランク以上、落ちてしまうだろう。どうせ吸うのなら、味の良い時の方が良い。……いや――
 
「クソッ!何故、あんな約束を……!」

 予約をキャンセルしようか?それとも……
 
 ピピピピッ!
 
「……はい」

 鳴ったスマホに、苦悩や苦痛を吐き出すように出た。今度はディスプレーを確認した。登録はされていないが、恐らく虎白だろうと予想した。
 
「……機嫌、悪そうだな」

 予想通り、掛けて来たのは虎白。この番号は、登録しておく必要があるかも知れない。
 
「半分は、君のせいだ」

「悪かったな。

 ……忘れては、いないよな?」
 
「ああ。午後二時に、迎えに行く。
 
 それともう一つ。――疑似血液は要らないか?」
 
「疑似血液ぃ~?」

「ああ。僕は、疑似血液を作り出すつもりだ。その秘法を、解読したばかりだ。

 秘法は簡単には教えられないが、疑似血液をついでで作成し、譲っても構わない。
 
 値段は、原価計算が未だ済んでいないから、確実な約束は出来ないが、1リットルで2千円ほどもあれば、恐らく作れる。
 
 大量生産は保存の効く期間の問題もあるから、一度に最大5リットル程度しか作れず、今現在は、その最大限を作成したら、3リットル程度は余る予定だ。……欲しいか?」
 
「勿論!保存は、どのくらい効く?」

「最低でも七日間は。今現在の状況では3リットル程度しか提供出来ないが、買わないか?」

「買う、買う!出来れば、もっと!

 ……で?幾らで売ってくれるんだ?原価は2千円程だと聞いたが、時間と手間の問題で、もう少しは上がるよな?」
 
「ほう……。意外に理解が早くて、助かる。

 1リットル4千円案と1万円案があったんだが、恐らく専用の冷蔵庫を入手すれば、もっと沢山作れるんだが、僕自身は、未だそんなに必要性を感じていないんだが……どちらが良い?」
 
「ぐっ……!!経済的な余裕があったら、早めに専用の冷蔵庫を入手出来るっていう、含みを持たせた提案かよ!

 分かった、1万円案で当面は頼む。但し、専用冷蔵庫を早期に用意して、その原価が回収出来たら、4千円案に切り替える約束をくれ。頼めるか?」
 
「ああ、その条件で構わない。

 ただ、作成に七日間、短くても六日間はかかるので、材料の入手等を含めると――十日間か、短縮出来ても一日程度。つまり、最低でも九日間は待っていただこうか」
 
「ありがたい!

 病院では足元を見られてな。190cc一本で十万円と吹っ掛けられたからな。
 
 ……ん?入れ物はどうする?」
 
「僕が、格安で入手するよ。その分はサービスだ」

「定期的に作るとして。

 コンスタントにどの位作れる?」
 
「君に渡したら、3リットルの追加作成に入れる。僕が1週間に2リットル飲むとして……そうだね、一週間に2リットルは売り渡せる」

「……早期に専用冷蔵庫を入手出来たら?ついでに、専用冷蔵庫の予算も聞いておきたい」

「そうだね……。『専用』と考えても、保存期間や手間・原価を考えたら、1週間に7リットルの提供が限界だと思ってもらいたい。
 
 冷蔵庫そのものは、さほど高いものでなくとも大丈夫だから、6万円~7万円?性能はさほど高性能でなくとも良いから、その程度だがね」
 
「いや、下手に安物買って、早期に壊れました~、今回の分は失敗です~、ってなられても困るから、二十万ぐらいで、ちゃんと高性能なのを買ってくれよ。

 それと、疑似血液だったか?その価格も、最初の3リットルは20万で買う!次週以降は、1リットル4千円で頼む!
 
 作ったら、作った分だけ余すのは全部買い取る!」
 
「ほう……太っ腹だねぇ。ヴァンパイアを増やし過ぎでもしたのかい?」

「そうなんだよ!コッチ、『ヴァ』は俺を含めて7人もいるんだよ!

 7人で一人一日200ccとして、1週間で約10リットル必要なんだよ!
 
 何なら、疑似血液の製法を有料で教えてもらいてぇ!」
 
「フム……そうだね。手間と時間を考えると、その方が僕にとっても有益だ。秘伝とはいえ、一般人に被害が出る事態になるよりはずっとマシだね。

 少々吹っ掛けるが、構わないかな?」
 
「ああ。百万までは覚悟してる」

「四十万で良いだろう。

 口頭では手間だ。製法をプリントアウトして、機会を作って手渡すよ。代金と引き換えに。
 
 ……それで構わないかな?」
 
「金額の確認の手間を省くために、100万の封帯付きの札束一つ渡して済ませたい。

 秘伝だという話だし、俺もこの金額は妥当だろうなと思う。
 
 偽札ではない事は、『極道』の一角を名乗る者として、保証する。
 
 景気良く受け取ってくれよ。俺としても、その方が気分が良い」
 
「フム……良かろう。

 子供が産まれたら、その子のための血液も、その疑似血液で誤魔化すつもりだから、その分の確保の為にもなるからね」
 
「出来ちゃったのか?」

「いや、そうなる予定だ」

「何だ、未だか。なら、まだ気にする問題では無い訳か。早めに対策をする必要性はありそうだがな。

 それにしても、あの医者め。とんでもねェボッタクラーだぜ。缶コーヒー一本分ぐらいの血液に、十万円だとよ。ボッタクるにも程があるぜ。
 
 ああ、そういや、アンタはカノジョさんに正体をバラしてンのか?」
 
「いや……未だだ。まだ、躊躇いがある。いつ、正体を明かすのかがポイントなんだが……悩んでいても、結論が出ない。

 君なら、どうする?」
 
「俺か?俺なら……そうだな。さっさと血を吸って感染させて、ヤッちまって子供作って、強引に結婚するね」

 狼牙は、心底疲れ果てたように項垂れ、ため息をついた。
 
「君に相談した僕が馬鹿だったよ」

「気に入らねぇか?」

「当然」

「彼女の方も、アンタに気があるから、付き合っているんだろう?秘密を共有すれば、好いている者同士、共存出来ると思うゼ?

 それとも、『ヴァ』以外に秘密を持っているのか?例えば、浮気とか」
 
「浮気は断じてしていない!」

 物凄いボリュームで、狼牙は叫んだ。
 
「デケェ声、出すな!鼓膜が破れちまうゼ。
 
 彼女の方は、結婚を考えている様子は無いのか?」
 
「プロポーズされたのが付き合う切っ掛けだったし、時々、それを匂わせて来ている事もある。だから、最初から頭の中にある筈だ」

「なら、いいじゃねぇか。それとも、そんなに秘密をバラすのが怖いか?」

「当然だ。――君なら、恋人や妻に言うか?」

「冗談交じりみたいに言ってみろよ。すんなりと受け入れてくれると思うゼ?」

「……冗談でなら、何度か言ったことがあるが――」

「それが本当だ、ってとこまでは……?」

「言っていない。冗談だと後で言っている」

「俺なら、恋人に対して秘密を隠すことよりも、嘘をつくことに罪悪感を持つね!」

「……ヤクザにも罪悪感なんてものがあったのか」

「雀の涙ほどにな。偏っているから持っていないように思われがちだが、身内に対しては強く持っているゼ」

「……恋人も、身内の内、か」

「その通り」

 人間、考え方は色々あるものだ。狼牙には、その色が七色の虹に見えた。そして、少し勉強にもなった。
 
「ありがとう。幾らか参考になったよ。

 では、午後二時に会おう。……急げば、疑似血液の製法も間に合うが」
 
「OK、代金は用意しとく。

 頼りにしてるゼ、旦那」
 
 貸し、二つ目だ。
 
 狼牙は心の中でそう呟き、電話を切った。