第46話 李花ー最終話ー
「ふーん……」
十五年後。李花はガムをくちゃくちゃ噛みながら、狼牙の日記の、一番良いところを一冊読み終えて、その日記を閉じた。
「あんなクソ親父、楽しくもねェ人生を送ってんだろうと思ったら、なかなか楽しそうな時もあったんじゃねぇか」
「コラ、李花。『お父さん』でしょ?クソ親父って呼び方は止めなさい」
「いいじゃない。親しさの裏返しなんだからさ。
反抗している訳じゃねェんだし。どちらかって言うと、好きだよ、私、あの親父。母さんが羨ましい位。
でも、母さんみたいな美貌の持ち主には、丁度良い相手なのかもね。
私も、親父みたいな男、見つけたいなー」
「見つかるわよ。あなた、私の若い頃より美人なんですから」
そう。李花はとんでもない美貌の持ち主になっていた。
両親の、良いパーツだけを集めて、それを釣り合いが取れるようにバランスを整え、その上、隔世遺伝による、金髪と金色の瞳の持ち主だ。
美しいのは、顔だけではない。
胸こそまだそんなに大きくは無いものの、それを補ってなお余りある程の、スタイルの良さを誇っているのだ。
細いのに、筋肉質。余計な脂肪など、まるで見当たらない。――いや、むしろ、胸につく脂肪が足りない位だ。
背が高く、足が長い事は言うまでもあるまい。
ただ……中身、つまり心の美しさでは、母・詩織に圧倒的な差で軍配が上がる。
「李花ー、はい、牛乳」
ドンッと出されたのは、ビールジョッキにいっぱいの牛乳。毎朝のコレが、彼女を育てていたのだ。
「ねぇ、母さん。私にも、そろそろ疑似血液、飲ませてよぉー。
輸血用の、本物の血液じゃなくていいからさー」
「まだ早いわよ、あなたには」
「でも、親父はもっと若い内から啜っていたんでしょう?」
「父さんは父さん。あなたは、あなた。未だ、血への渇きは無いんでしょう?なら、飲む必要は無いわよ」
「じゃあ、母さーん。私、喉が渇いたー。血を飲まないと、狂っちゃいそうだよー」
「『じゃあ』っていうのは何なのよ。『じゃあ』って言うのは。飲みたいから言っているだけでしょう?」
「そうなんだけどさぁー」
その時。
ピンポーン。
――チャイムが鳴った。
「あ、李花。悪いけど、出てくれない?」
「はーい」
李花は、カレンダーを見てからドアフォンに向かった。もしかしたら、時期が来たのかも知れない。期待して、李花は扉を開けた。
「あ、お祖父ちゃん!」
『おおっ、李花か?』
玄関の扉を開け、李花はドラキュラに抱き着いた。
「そろそろ来る頃じゃないかと思って、期待してたんだ。
……今日も、アレは?」
「勿論じゃ!
ほい、ワードラゴンの、疑似血液」
実は、李花が歩けるようになるまで、ドラキュラは狼牙と同居していた。
同居を止めても、月に一度、こうして、李花の為に特殊な方法で培養したワードラゴンの疑似血液を持参して訪れるのだ。
その理由は、一つ。ワードラゴンの血液には、ヴァンパイアの牙の伸縮能力までもがあることが判明したからだ。
学校に通う李花の牙を、イチイチ抜くことによって、怪しまれることを危惧しての事だった。
歯を見せることの無かった、暗い性格だった狼牙の学生時代と違い、李花は良く笑うからだ。
『軽雁』は、そもそも『粒あん』が良いのか『こしあん』が良いのか等の問題から、未だ完成に至っていない。
「ありがとー♪
早速、いっただっきまーす♪」
瓶に入った疑似血液を、李花は一気に飲み干した。
「ぷはーっ。生き返るぅーっ!
お祖父ちゃん。また来月も、お願いね♪」
「勿論さ。
……上がっても良いかな?」
「うん。
母さーん、お祖父ちゃんが来たよー」
李花の弁当を作っていた詩織は、慌ててパタパタパタと駆けて来た。
「あらあら、お祖父さん。電話でもして下されば良かったのに」
「収入が無いものでね。公衆電話も滅多に見かけんし……。金貨を換金すれば良いのじゃが、頻繁にじゃと怪しまれる。
私のコレクションを売れば、良い金になるんじゃろうが、やはり、気に入った物は売る気になれなくてね」
「さあさあ、上がって下さいな。主人は、まだ眠っていますけど」
「会えば口論になる狼牙とは、別に会う必要が無い。
私は、絶世の美女である李花ちゃんと、相変わらず美しいお嬢さんに会う為に来たのですよ」
「フフッ。もう、お嬢さんなんて歳じゃありませんけどね」
「私と比べたら、まだまだお嬢さん。これからも、そう呼ばせていただきますぞ」
「ねぇねぇ、お祖父ちゃん。明日、学校が休みだからさぁ。能力を扱う訓練を、またやってくれない?」
「良いとも。……だが、そんなもの、使う機会など、そうあるものではないぞ?」
「分かってるわよ。
でも親父――父さんみたいな事もあり得るじゃない。
だからさ。そんな時の為にも、能力は身に着けておきたいのよ。
ね、良いでしょ?」
「まあ、私は暇だからな。可愛い孫の為。その位はお安い御用だ。
……そろそろ、登校の時間では無いかな?いいのかい、李花?ゆっくり私と話をしていても」
慌てて李花は、腕に巻いた電子腕時計を見た。
「いっけなーい!急がないと!
……はっ!朝食!
……牛乳だけでいいや。飲んで行こう」
李花はダッシュで食卓へと戻り、一気に牛乳を飲み干す。
「母さん、お弁当は?」
「ああ、もうちょっと待って。
……今日、寝坊しちゃったのよね。間に合うかしら?」
「えーっ!出来てないのー?
……いいや。
そのお弁当、お祖父ちゃんに食べさせてあげて。私は、適当に何か買って食べるから。
じゃあ、行ってきまーす!」
鞄を持って、李花は家を出た。そして、自転車に乗って学校へ向かう。
「今日こそ、日記に書けるような、波乱に満ちた一日が訪れますように」
自転車で駆けて行きながら、李花はヴァンパイアの一族に伝わるおまじないをした。
そんなおまじないなど、彼女には必要無かったのかも知れない。
何故なら、彼女は、ヴァンパイアなのだから。
彼女には、波乱に満ちた学園生活が待っていた。
そして、今日もまた、日記に新しい1ページが綴られるのであった。
続