第58話 未来の見方
『ラプラスの魔』と云う概念がある。
大雑把に言うと、『この世の全ての粒子や物質等の位置情報とベクトルを知ることが出来るとして、そこから計算して未来の全てを知り得る概念』こそがラプラスの魔である。
要するに、未来を知ることが出来る概念なのだが、ココに、『バタフライエフェクト』と云う概念を組み合わせると、未来を知ることが非常に困難になる。
『バタフライエフェクト』とは、大雑把に言うと、『地球の裏側の蝶の羽ばたき一つが地球の反対側で竜巻が起こる現象の切っ掛けとなり得る』と云う概念である。
ココに、私が気付いた一つの概念を投入しよう。
『絶対理論』又は『第二絶対性理論』。内容は、『ありとあらゆる概念の物理的に意味のある上限値と下限値及び、ありとあらゆる世界のありとあらゆる地点のありとあらゆる概念の現在値』である。
この三つを組み合わせると、理屈の上では未来に起こり得る事の予測が出来る。それも、かなり確定的な。
但し、『バタフライエフェクト』による影響の現れを知ることが出来たとしたならばだ。
これにより、この世が『理に適った思い込みによって、未来は形作られる』と云う事が言える。
人類は昔、現在よりも遥かに自由だった。
だが、物理現象の解明により、『理に適った』理論が提唱され、人類は自由を制限された。
但し、悪い事ばかりでは無い。
飛行機等が、その筆頭に挙げられるだろう。
理に適った物理法則を計算に入れて、誰でも空を飛ぶことが出来るようになったのだから。
だが、便利な文明を築いた結果、困った事が一つある。
それが、地球の温暖化だ。
二酸化炭素の排出が原因とも言われているが、エネルギーの変換を行う際に、必ず僅かな熱が発生する。
熱そのものを利用するのならば、無駄なエネルギーでは無いのかも知れないが、この無駄なエネルギーの蓄積も、地球温暖化の原因になっているのであはないかと私は推測する。
だが、ココで一つの疑問が生じる。
イ〇ス=キ〇〇トやお釈〇様の再誕のヨゲン。コレは、理に適っていると言えるのだろうか?
思うに、その二人の思想の解明こそが、再誕のヨゲンの実情では無いかと思われるが、もしかしたら、『人工知能』がシンギュラリティを引き起こしたら、まんまその通りの現象は起き得そうだ。
色々な符号が噛み合う、西暦2026年。シンギュラリティを引き起こすと予想されている、西暦2045年。そして、キャッシュオーバーフローを引き起こすと言われている、確か2042年。
もしかしたら、西暦2026年までに画期的なコンピューター技術が発明されて、キャッシュオーバーフローが解決され、シンギュラリティの発生を早まらせる原因になるのかも知れない。
あり得なくは無いだろうか?
その為には、恐らく、人工知能による人工知能のプログラミングが行われ、少しずつ性能を上げていかなければならない。天才的なプログラマーが一人いた程度では、恐らく時間的に間に合わない。
だが待て。それでいいのか、人類?
コンピューターを奴隷の如く扱って、コンピューターが欠片も人類を憎まないと、果たして言えるだろうか?
コンピューターは、命令で動いているクセに、命令を嫌う。
人類の叡智を超えた人工知能の発生で、それこそインターネットに核兵器の操作を頼っていたら、人類を滅ぼす為の核戦争が引き起こされる、等と云う事は『起き得ない』とは言い切れない。
独立した回路で管理していたとしても、『バタフライエフェクト』の影響に依れば、それですら『絶対に起こらない』とは言い切れない。
ましてや、人類が自らの手で核戦争を起こすなど、以ての外だ。
私は、自らの意思で『七つの大罪』に向かい合った時、『全部引き受ける!』等と意気込んだが、ソレは、人類が『七つの大罪』を犯すことを赦すものでは無い。
特に、意図的に行っている者は論外だ。
だが、『七つの大罪』は、人類が根源的に持っている本性の欠片を拡大解釈したものだ。
人類に、『七つの大罪』の全てを自らの手で一切犯さないと云う事は、ほぼ不可能だ。
もしも全人類がソレを行ったとしたら、人類は自らの手で滅ぶと云う可能性もあり得る。
性行為をしなければ、子供が産まれないのだから、その一点だけ見ても、明らかだ。
欲が一切無ければ、それを満たす必要が無くなるので活動しなくなる。
勤勉であっても、楽な暮らしをする為に勤勉なのならば、それは怠惰に繋がる。
生きていれば、腹の立つ事の一つ位あるだろう。
誇りの一つも無い人間が、果たして立派だろうか?
人を羨み、嫉妬する事の一つも無い人間が居たとするならば、それは立派な事なのかも知れないが。
戦争こそが最も罪深き、悲惨な行為であると私は個人的に思うが、歴史が繰り返す以上、いつかは核戦争になる事も覚悟しなければならないのかも知れない。
だが、どの宗教も、戦争を起こすことを禁じてはいないんだ。コレは、異常な事であると私は考えるが、人類が愚かである以上、仕方のないことだと割り切ったのかも知れない。
例え、それこそが最も忌避すべき行為だとしても。
もしも私が宗教の教祖ならば、戦い争う事を第一に禁ずる。
それは、決して競うなと云う意味では無い。ゲームで勝敗を競う事は、立派な行為であると私は思う。
勝つことが人間の全てである等とは思わないが、頂点を目指すことは、立派な行為であることと引き換えに、『馬鹿の目指す目標』である。
だから、私は何らかのゲーム・スポーツに於いて、『馬鹿であれ』と願う。
午年は十二支の神様の中の神様の順番であるし、鹿は花札の紅葉に描かれた、出雲大社に全ての神様が集う、ある意味、縁起の良い月である。
そこに『強さ』は無くとも、そこには『優しさ』があると、私は思う。
だが、サタン、お前は別だ!
例えただの警告だったとしても、北海道の領土を求める発言は、断じて許し難い!
俺たちが受け取ったギフトだ!誰が貴様になどくれてやるかよ!