朝顔と霧の中

第38話 朝顔と霧の中

「全く。キリが無いわね、本当に!」

 研究所の廊下で、レインは憎しみを込めて壁を這うつたを引き千切った。
 
 蔓には朝顔の花が咲いているが、蔓の方は明らかに朝顔のそれより太い。
 
「これが、世界樹の力なの?

 他に原因が考えられないけど、信じられないわ。
 
 マウスも金魚も、何の変化も見られないのに」
 
 蔓が這っているのは、そこだけでは無かった。今や研究所の全域に、その蔓は行き渡っている。
 
 現在の食糧プラントでは、それの撤去作業の真っ最中の筈だ。
 
 食糧プラントに問題が発生した場合、事態は研究所内部のみの問題では済まされなくなってしまう。
 
「こんな事態だって云うのに、ゼノは何処に行っちゃったのよ!もう!」

 少し前までは傍にいた筈のゼノの姿は、いつの間にか消えていた。
 
 特に用事があるわけでも無かったのだが、レインはソレに気付いてゼノを探し始めた。
 
 本格的な蔓の撤去作業は結構な力が必要な作業だからと外され、彼女は身の回りのみを自主的に撤去しているだけであり、一人でいると責任感に潰されそうになる為、せめてゼノと話でもしたいと思っていたら、いなくなっていたのだ。
 
 女性の研究員は少ないので重宝されるのは良いのだが、その為、親しい者が少ないと云うのが、レインの悩みの種だった。
 
「まさか、屋敷に戻ったの?」

 下から順に探して、地下一階まで来たところで、レインはそう思った。
 
 地下一階は研究室が少なく、共同の施設が大半を占めている。
 
 その為、ゼノがいる可能性も低かった。
 
 またこの階は、一部の部外者が入る事を許可されることもある階なので、あまり長居をして姿を見られたくは無かった。
 
 それでもレインは、ゼノを探す。
 
 何かをしていないと落ち着かない上、自分の研究室が発生源の為、戻っても入り込む事すら出来ないのだ。
 
「――あれ?

 ……おかしいわね」
 
 踏み出した足が、突然おぼつかなくなって、レインは壁に手を付いた。
 
 目がかすんでいるかのように、視界がぼやけている。
 
「変ねぇ。

 熱でもあるのかしら?」
 
 額に手を当てる。ほんのり熱を持っている。
 
 但しそれは額だけではなく、顔全体が紅潮しているような熱さだ。
 
「まるで、酔ってるみたい。

 医務室で診て貰った方が良いかしら?」
 
 幸い、医務室はほんの目と鼻の先だ。時々壁に手を付きながら、レインはふらつきながらも医務室へと足を進める。
 
 だが、医務室迄のほんの僅かな距離が、やけに遠く感じられる。
 
 限界を感じて壁によしかかり、呼吸を荒くしながら医務室の方を見ていると、丁度良く地上からの階段などのある方から現れた数人の人が、医務室に入って行こうとしているのを見付けた。
 
「――あ、……あ……」

 呼び掛けようと口を開くも、声にならない。
 
 はっきりしない意識のまま、レインは医務室に向かって足を踏み出した。
 
 だが三歩も歩かない内に倒れ、意識を失ってしまった。
 
 医務室に入ろうとした数人の者たちはソレに気付いて、フィネットを乗せた担架を持っていた者以外はレインの方へと駆け寄った。
 
 意識を失っているらしいことを確認すると、今は名前をリットと偽っているレズィンが医務室へと運ぶ。
 
 ついでだから息子の傷跡も治して欲しいと云うリヴァー夫妻の頼みはあっさりと医師たちに承諾され、手術も早めに執り行ってくれることになり、夕方になってからフィネットを運んだところだった。
 
 上手く潜入は出来たものの、レズィンに与えられた時間はそう長くない。
 
「――誰か、また実験に失敗したのか?

 霧が掛かっているみたいだぞ」
 
 空中にうっすらと漂うもやのようなものに気が付いて、医師の一人が云う。
 
「けど、大半がこの変異した朝顔の駆除に駆り出されている筈じゃ無かったか?」

「まさか、またこの人の仕業じゃないだろうな?」

 非難の眼差しが意識の無いレインに集まる。
 
 だがそんなことを言っていられたのも束の間で、すぐに医師たちは気分が悪くなって手近な椅子に腰を下ろす。
 
 まともに座っていられたのも長い間では無く、そのうち一人二人と椅子からズルズルと滑り落ちていった。
 
 その頃にはリヴァー夫妻も気分が悪くなって、フィネットを横たわらせたベッドの傍で倒れてしまった。
 
「おい、どうしたんだ?

 大丈夫か?おい!」
 
 一人レズィンだけは変化が無く、倒れて行く医師たちを一人一人揺さぶってみた。
 
 だが彼等もレインと同様に意識を失ったまま、何の反応も返さない。
 
 ベッドに彼等を寝かせる事も考えたが、ベッドの数が足りなかった。
 
「……ガス、か?

 だとしたら、何で俺だけは何ともないんだ?」
 
 靄は徐々に濃くなり、レズィンは思わず口元を手で覆った。
 
 ソレが原因だと思われたが、思いっきり吸い込んでみても何ともない。
 
「――どう考えても、チャンスだな。

 借りるぜ、親父さん」