第49話 座右の銘
ようやく、『セレスティアル・ヴィジタント』が露国内に潜入し、『アーンギル』との直接対決が始まったとの報告が隼那に上がった。
だが、露首相はソレを公開し、正面から米国を責め立てた。
ソレに対する社会の評価は、『世界の裏側での戦いを表舞台に引きずり出した、卑怯者』と云うものであった。
だが、隼那は失念していた。――『セレスティアル・ヴィジタント』は、極端な過激派であったと云う事実を。
実際、露首相の影武者を葬ったりもしていたが、一人や二人の影武者が殺されただけで、露は揺らぐ事は無かった。
隼那も、露そのものが衰退する事を望んでいる訳ではないので、それはそれでいい。
ただ、北海道への侵攻さえ防げれば、隼那達にとって、ソコまでが最低限の努力義務だった。
このまま、日本が世界を魁て破滅しては、日本の素晴らしい技術が継承される事無く失われてしまう。
ソレは、世界的な損失の筈だ。
西暦2024年1月1日、『サタンの支配者』が誕生した事は、疑う余地が無い。
彼の者は、日本を疎ましく思うようになるだろう。
本当は、その者を突き止める事も、非常に大切な事だったのだ。
だが、その日に産まれた者の全てと云う訳では無い。
ただ、その者は、『何故にこんなにも自分ばかりがイジメられるのか』と疑問に思う筈だ。
だから、ひょっとしたらその子が、世界を破滅に導こうとする、最凶最悪のサタンとなるかも知れない。
周囲の者は、無意識にその子をサタンだと見抜き、イジメ抜くのであろうが、ソレこそが世界の破滅の原因になる可能性を否めない事を、知る由も無い。
まさかの元日の大震災。その原因が、イジメた者もイジメられた者も、共にサタンになると云う宿命を帯びた存在であることを、公開したが故に起きた。
辰年になってすぐに、この事態。先が思いやられる。
「恭次、どうしたらいいと思う?」
「俺に訊いて判ると思うのか?」
「……そうねぇ」
頼りない男だ。瞬間、隼那はそう思った。
「だがよぅ。俺らは、下手に動かない方がいいんじゃねぇか?」
「……!
――一応、訊いてみるわ。何でよ?」
「別に。ただ、裏目に出たことが今まで何度あったか、ってことよ」
「――!」
そう。目指していた方向性と、逆の効果が出たことが、幾度あったことか……。
ソコまで嫌うなら、最初から存在させないで貰いたかったものだ。正直、そう思う。
嫌われることが役目なのだとしたら、余りにも哀し過ぎる。
『堕ちた』。ソレが原因なのだとしたら、全知全能の神は余りにも無慈悲だ。
その癖、恋に落ちた経験は、一度のみ。しかも成就しなかった。
何の為に生きているのか?その疑問が甚だ虚しい。
『怠惰』も引き受けたのだから、もっと怠けろよ、と云う話なのだろうか?
だが、何事もしない為には、人生は長過ぎる。
そして、何事かを成し遂げるには、人生は余りに短過ぎる――とは、誰の言だったであろうか?
――ダメだ。一旦、全てを諦めよう。そして、冷静になった頭で良く考え、『勝ち目』が無いか、見極める。
もしもソコに『勝機』を見出したのなら、ソコへと真っ直ぐに最短距離を走る、ただそれだけの簡単なお話だ。
だが、もしも未だ『勝機』を見出せないのならば。
その時は、『勝機』を見出すまで、最善手を信じて『勝機』が見出せるまで、冷静に局面を眺めるのみだ。
だからこそ、座右の銘は『人生、諦めてからが勝負!』なのである。