第5話 妖精
「――う……あ?」
気が付くと、シヴァンの姿は何処にも見当たらなかった。
それどころか、真っ白な空間と自分自身の身体や身に着けていた物以外には、レズィンには何も見えていなかった。
振り返っても何も見えない。
ただ、微かに扉のような大きさの平面が、波打っているようい見えていたのだが、眠くなって意識がぼやけているレズィンには分からなかった。
「……ありゃ?」
上下すらも、分からない。
果たして、立っているのか横たわっているのか、それすらもはっきりとしない。
「ここ、何処だ?」
よろめくような足取りで、いつの間にか止まっていた足を、再び動かすレズィン。
だが、進んでいるような気配はまるで感じられない。
「夢……か?」
ただ呆然と、辺りを見回す。歩いていた足も、またいつの間にか止まっていた。
気持ちの良い、夢見心地と浮遊感。
目を閉じても不思議と脳裏にそのイメージが写し出され、レズィンは眠りもせずに、その半覚醒状態に身を任せて行く。
「フフフッ」
何処からか、声が聞こえて来た。
女性の声だ。
シヴァンのような低い声では無い。むしろ高い声だった。
「誰か……いるのか?」
「フフフッ」
妙に楽しそうな、軽い笑い声。
そんな音のイメージが、何処からか直接脳に伝わって来る。
その声が空気を震わせるのが、レズィンには見えた気がした。
ぼやけている筈の五感が一体化して、滑らかになっている気がした。
「気のせい……いや、あれは蝶か?」
震える空気の中、透き通る羽根を持つ蝶が、羽ばたいていた。
近付くにつれ、その蝶の胴体が、小さな人の身体を持っているのが見えて来る。
肌は白く、薄い金色の髪を尻尾のように長くたなびかせている。
大きさは、揚羽蝶より少し大きい位だろうか?
彼方此方と飛び回りながら、ゆっくりとレズィンの下へと飛んで来るその妖精。
そしてレズィンの胸元辺りで制止して、小さな手を伸ばして、そぉっと……。
「うわああっ!」
小さな球の表面が震えた。
妖精がビクッと驚いて慌てて手を引っ込める。
レズィンの身体は、そこには無かった。
それがあるべき筈の所に、ただの球が浮いている。
「お、俺の身体が無い!
何だ、どうなってるんだこれは!」
「気が付きましたか?」
「何だ、お前は!」
声を掛けられ、半ば反射的に後ろに飛び退き、懐から無限弾を抜き妖精を狙って構える。と、イメージした直後だった。
瞬時にして、レズィンは身体を取り戻していた。
「あら、決まってしまいましたか。
ココでは望みの姿になれるというのに、勿体ない事をしましたね。
気を付けないと、その姿では落ちますよ」
「落ちる?」
云われてレズィンは下を向く。
途端に安定した床の感覚が失われ、重力に引っ張られて急速に落下した。
「うおあっ!
何にも見えねぇ!」
どんどん加速して落ちて行くレズィン。だが一向に、何も見えて来る気配がしない。
やがてその落下速度に感覚が麻痺してきた頃、レズィンは死を覚悟した。
不思議と、空気の抵抗感は無かった。
「駄目だな、助からねぇ。
短い人生だったなぁ」
目を瞑り、その短い人生を振り返る。
時を巻き戻すように、記憶の映像が次々と浮かんでは消えて行く。
途切れ途切れの走馬灯は、徐々にその間隔を広げて行き、やがてレズィンの意識と共にプツリと途絶えた。
その映像がやけにはっきりと見えていた事に、レズィンが気付いたのかどうかは定かではない。
そして。
真っ白な空間に光が走った。