第28話 奈津菜の想い
奈津菜たちがそこ・大通公園のクレーター跡地に辿り着いた時、残念ながらその一角は警察が封鎖していて、遠巻きに見ることしか出来なかった。
だがそれでも、地面を覆うブロックが、一部損失しているのを見る事は出来た。
ほんのかすかに、救急車のサイレンが遠ざかって行く音も聞こえた。
「もう、誰もいないみたいよ、楓ちゃん。
……ねぇ。危ないから、もう帰りましょうよ。
私も、今日は会社も休むから。ね?」
朝のニュースを見てから、楓の様子はおかしくなった。強引に奈津菜を連れ出し、こんな所まで来てしまった。
危険だからと幾ら諭しても、楓は首を横に振るばかりだった。
奈津菜の脳裏に、昨日出会ったケベックという男の姿がチラつく。
余計な事をしていれば、楓の命が危険に晒される。
子供好きの奈津菜としては、それだけは避けたかった。
「――いた。クルセイダーの人達だ」
「え?ちょっと待って、楓ちゃん!」
突然駆け出した楓を追いかける奈津菜だが、距離は一向に縮まらなかった。
特別走りづらい靴を履いている訳では無い。
ヒールの高い靴は自分には合わないと割り切り、もっぱらスニーカーを履いている。
走るのにも自信があったのに、小学生程の楓に追い付けないのはショックだった。
走ったのは僅かな距離だが、呼吸が思ったよりも乱れた。
未だ身体が衰えるような歳では無いと思っていたのに、現実はあまりにも残酷だ。
「あら、楓ちゃんたちもいたんだ」
一度会っただけだったが、彼女たちの方でも、楓たちの事は覚えていたようだった。
「楓ちゃんたちも、ここに来たばかり?それとも、お姉ちゃんたちより先に居た?
ひょっとして、何か見なかった?例えば、昨日の赤い髪のお兄ちゃんたちとか」
「お姉ちゃんたちこそ、何も見てないの?」
お互いにがっかりとした顔をして、嘆息する。
彼女たちだけでなく、クルセイダーの者が次々とそこに集まるが、誰一人として様子を見ていた者はいなかった。
誰もがテレビで見掛けて駆け付けたのだから、揃って間に合わなかったのも、当然と云えば当然なのかも知れない。
「この辺りは探してみたけど、恭次さんは見当たらなかったよ」
「何人かで、大和カンパニーの様子を見に行きましょう。
楓ちゃんは、どうするの?」
「一緒に行く。
奈津菜お姉ちゃんも、一緒に行かない?」
奈津菜がそれに、うんと云う筈が無い。それどころか、楓までも止めようとする。
「――お兄ちゃんが、あそこにいるのに?」
「でも、私たちじゃあ助けられないのよ」
「けど、明日にはこの街から居なくなるかも知れない。
お別れをしなくていいの?」
楓に見つめられて、奈津菜は心を見透かされているような気分になった。
「もう、会えなくなるかも知れないのに?」
心が揺らぐ。
冴えない容貌、それなりの性格。
疾刀よりいい男など、それこそ五万といるに違いない。
確かに仕事は出来るが、それに惹かれた訳でも無い。
一目惚れに近かったが、四年近くもの間、ふざけている時は別として、心の内を打ち明けたことは無かった。
誰かに気取られるようなことも、無かったと思っている。
何となく三十近くまで過ごして、三十前にはというのを言い訳に、お互いに妥協しないかと持ち掛けるつもりだった。
それでいいと思っていた。それしかないとも思っていた。
それ以外を選べない自分を、損な性分だと心の中で笑っていた。
「会うだけなら、出来るよね?」
「――うん」
楓の言葉にも、ただ頷くことの他に、出来る事は無かった。
「そうだね。兄妹だものね。きっと、会わせてくれるわ」
クルセイダーが勝つという保証はどこにも無いのだ。
だが、楓ちゃんを会わせてあげなければならないという理由もある。その理由があるからこそ、会いに行ける。
ただそれだけの事が、この上なく嬉しかった。
「それじゃあ、行こうか」
「待って」
楓は手を繋ごうとした奈津菜を引き止め、袖を引っ張りしゃがむように云う。
しゃがんだ奈津菜のすぐ脇に立つと、ポケットを漁ってから奈津菜の後頭部に手を伸ばした。
少しくすぐったくなり、奈津菜は肩を竦め、笑顔で軽く抗議する。
すぐに楓もその手を止めた。
「もういいよ。行こう」
「準備は良い?
じゃあ、誰かリーダーとエルサレムに連絡を入れておいてね」
大和カンパニーまでは、そう遠くない。
看板はあるが、然して特徴の無いビルが、大和カンパニーの本社だった。
見張りらしき者の姿は見当たらない。
それでも用心して、女ばかりの六人――楓と奈津菜の二人に加え、あの場に居たクルセイダーの中から選ばれた、優秀なテレパシスト、テレポーター、エスパー、ドラゴン使いが各1名――は、さり気ないフリをしてビルの入り口へと近付く。
クルセイダーの4人はネットを組んでいたが、ダークキャットのサイコワイヤーがまるでビルを覆うが如く張り巡らされているのでは、それも叶わない。
「――何、コレ……?」
「ひぃっっ!」
ガラス製の自動ドアの向こうを、通り過ぎるフリをしながら覗き見て、6人の足が止まった。
ロビーの床に点々と、赤黒い染みがついている。
それを目で追い、壁際に転がるものを見て、二人が目を背けた。
……幾つもの死体が、そこに折り重なっていた。原形を留めていないものも見られた。
床には、ドロッとした気味の悪い色の水たまりが出来ている。
小さな悲鳴を漏らした女は、口元を手で押さえたまま、全身をガクガク震わせている。
楓はその顔に何の表情も浮かべずに惨状を見つめている。
そして。
……ハアッ、……ハァッ。
「――お姉ちゃん?」
荒い呼吸音が聞こえて振り向けば、胸を両手で掴んだ奈津菜が、丁度、白目を剥いて倒れるところだった。
慌てて支えようとするが、その小さな体では頭を地面に打たないようにさせるのが関の山。
それすらも尻餅をつきながら、やっとの思いでのことだ。
「……まさか、中まで入るなんて言わないよねぇ?」
「私たち、偵察に来ただけよねぇ?」
目を背けていた二人が、視界にそれが入らないように注意しながら、仲間の様子を窺った。
残る二人にも異存のある筈も無く、小さく頷いて同意の意を示した。
「待って。帰る前に、僕たちを3階まで連れてって」
意識を失ったままの奈津菜を支えて貰い、楓は頼む。だがその頼みが、快く受け入れられる筈は無い。
だが、相手が子供とあっては、彼女たちは露骨に嫌な顔をするのも躊躇われた。
「どうしてもなの?」
「クルセイダーとして戦っているのなら、あのくらいは平気でしょう?」
その生意気とも思える態度に、相手をしていたテレパシストが内心ムッとする。
表に出さなかったのは、やはり子供相手にみっともないと思ったからだろう。
「私が行くわ。
3人は、帰ってみんなに伝えて。
後の事は、リーダーの判断に任せましょう」
その隼那がどうなったのかも知らずに、奈津菜を支えていたドラゴン使いが、名乗り出た。
決して平気そうな様子には見えなかったが、他の者のような逃げ腰な態度を見せないよう、強がるだけの余裕はあるようだ。
「終わったら、すぐに店へ向かうから」
そう。この程度の事を、言い放つ程度には。