君だけを……

第25話 君だけを……

 狼牙は、虎白と共に歩いていた。帰り道が駅までは一緒だったからだ。
 
「……何故、恋人には言えない?」

 言わんとしていることは理解していたが、狼牙はこうとぼけることにした。
 
「何を、だ?」

 それはひとえに、答えたくない気持ちによるものだ。
 
「推察しろよ。多少はよ。こんな、不特定多数の人間がいる前で、話せるかよ?」

「……分からないな」

「だから、『ヴァ』だよ、『ヴァ』!お前が、『ヴァ』であることをだよ!」

「……別に、河合にそれを知られて、避けられても、困ることは無いからだ。そうなったら、普段はマスクをして隠せば良いだけの話だ。

 だが……。
 
 ……待てよ。
 
 君、まさか僕の恋人の名前を聞き出す為に――」
 
「まさか。……言いそうになったのか?」

「ああ。仮に、名前を挙げてくれ。その名前を使って理由を話す」

「仮に、名前……ねぇ。

 花子、でどうだ?」
 
 狼牙は眉根を寄せる。
 
「もうちょっと、センスの良い名前は思い付かなかったのか?」

「……気に入らねぇなら、テメェで考えろ」

「分かった。香織にしておく。

 それで……どこまで話したかな?
 
 ……そうそう。
 
 だが、香織に知られて避けられた場合、つまりは僕と香織の付き合いは終わってしまうわけだが、それは非常に困る。
 
 現在、僕の正気の拠り所は彼女だ。もちろん、食事の改善や血液の接種も重要だが、それ以上に、人間らしい正気の在り処は、彼女との付き合いの中にある。
 
 彼女の血を吸いたくならないように、彼女に会う前には必ず血液を飲んでいる。
 
 彼女を抱きたくならないように、事前にそれなりの処置は取ってある。
 
 彼女との付き合いを続ける為に、金を稼ぐ為、頑張っている。
 
 今の僕にとって、彼女が全てだ。
 
 彼女が死んだら、僕は殺人鬼と化してしまうかも知れない。
 
 ……その時には、虎白。君たちが僕を殺してくれ」
 
「無茶言うなよ。銃も通用しないアンタを、俺たちが殺せるわけはないだろう。

 アンタみたいに、手刀で腕や足を切れるかどうか、代わりにビール瓶を使って試してみたが、駄目だった。
 
 鍛錬を積んだ人間なら、極一部の者にだが、人間でも出来る筈のことだ。アンタの力は、それよりも上な筈だろう?」
 
「……君がヤクザでなければ、能力の使い方を教えてあげたのだが……」

「……やっぱり、アンタには特殊な能力があるのか?」

 狼牙は躊躇いながらも、一言、こう答えた。
 
「ああ」

「やっぱりか!道理で強いわけだ。

 ……アンタ、俺みたいな『ヴァ』を七人、敵に回して、勝つ自信があるのか?」
 
「真正面から戦いを挑まれたらな。だが、香織を人質に取られたら、勝てる気がしない」

「……目の前で、香織を犯されたら?」

「その気配を感じた時点で、全員、殺す!

 花子も、犯されるよりは殺された方がマシだからな」
 
「……花子も殺すのか?」

「犯そうとした奴が殺すだろう。もし、犯されずに生き残っていたら、僕は彼女の前で、自分の首を切り落とす」

「……そこまで、『ヴァ』であるということを知られるのが嫌なのか?」

「だから困っているだろう」

 正直、虎白は狼牙がそこまで思い詰めているとは全く予想もしていなかった。
 
 もうちょっと――いや、かなり軽い悩みではないかと考えていたのだ。
 
「……深刻だな」

「そうだ」

「牙が伸びてきたら、それをどう隠す?キスぐらいはするんだろう?」

「牙が伸び過ぎたら、会わないようにしている。万一の場合には、そのためにこのマスクを買った」

 ポケットから取り出された、個包の赤いマスク。虎白の方は、今、白いマスクをしている。
 
「……何処で手に入れた、そんな赤いマスクなんて。黒ぐらいなら、見たことはあるが……」

「通販で買った」

「……お前以外に、買う奴がいるのか、そんなもの?」

「君は、欲しいとは思わないか?マスクに限らず、赤いものを。又は、黒いものを。

 赤は血の色。黒は闇の色。『ヴァ』にとっては、非常に好ましい色だと思うのだが」
 
「……白よりは良いな。俺も、黒いマスクでも買うか……」

 その時であった。
 
「ろーがー!」

 遠くから聞こえる、狼牙を呼ぶ声。聞き覚えのある声に、狼牙の耳はピクッと動き、その声の主が分かった瞬間、頭を抱え込んだ。
 
「ど、どうしてこんな時に……!」

「……やっぱり今の、アンタを呼んだ声なのか?

 ――まさか……香織?」
 
 振り向くと駆けて来る、狼牙には不似合いの、雰囲気の明るく可愛い女の子。……女の子と呼ぶような年齢ではないが、そう思わせる雰囲気がある。
 
「へー。アンタ、あんなのが好みなのか」

「……どんなのが好みだと思っていた?」

「丑三つ時に五寸釘で藁人形を打っているような、暗い女」

「いるかよ、そんな奴」

「もしくは、通り魔殺人鬼」

「そんな女の血が、旨いと思うか?」

「……血の旨そうな女を選んで付き合っているのかよ、アンタは」

「……この会話は、やめよう。聞かれたくない」

 やがて、詩織は駆け付けた。
 
「詩織。何故君が、こんな所に?」

「狼牙は、病院に行くところ?」

「いや……。帰るところだ」

「ふーん。

 私は、外回りの仕事の途中なの。
 
 ……こちら、どなた?お友達?」
 
「……仲間、という方が正しいかな?」

 少々迷ってからそう答えると、詩織はニッコリと笑みを浮かべて虎白に挨拶をした。
 
「こんにちは。

 私、狼牙の婚約者の草壁 詩織です」
 
「……婚約者?

 ただの恋人じゃなかったのか?」
 
 虎白にそう言われ、詩織は表情を歪めた。狼牙は、『婚約者』と言われた時点で歪めている。
 
「『ただの恋人』って、狼牙は私の事を紹介したんですか?」

「……何か、気に入らなかったかな?」

「……特別な恋人って、言って欲しかったのに」

「ああ、そうか。

 ……すまない。コイツは、あなたの言うようなニュアンスで話していてくれていたよ。
 
 そのあなたに対して、『ただの恋人』って言い方は、俺が悪かったな。
 
 俺は、久井 虎白。コイツとは仲が良い訳じゃないが、利害の一致で仲間になっている。……詳しくは、言えないけどな。
 
 仲間と言っても、友達より親しい関係、って訳じゃない。むしろ、逆だ。
 
 ……つうか、俺が一方的に嫌われている。
 
 何故か、っつうと……俺が、堅気の人間じゃなかったりするからなんだがな」
 
「えっ!?……ヤクザさん?

 狼牙ってヤクザさんのこと、思いッきり嫌ってなかったっけ?」
 
「それはそうなんだが……事情があってな。詳しくは、言えない」

「狼牙って隠し事、多いよね?」

「すまない。理由があってのことなんだが、理由も言えないのは悪いと思っている。

 ただ、これだけは信じてくれ。僕は、君だけを愛している。浮気は、一度たりともしていない。しようとも思ったことはない」
 
「結婚してくれたら、信じてあげる」

「ぬっ……むぅ~~~~」

 唸る狼牙。にわかには答え難い。
 
「アンタ、臆面もなく、聞いている方が恥ずかしくなるようなセリフを言えるクセに、結婚は出来ないのかよ。

 そんなに、結婚するのが嫌なのか?」
 
「……僕がいつ、恥ずかしくなるようなセリフを言った?」

「『君だけを……』の部分だよ」

「僕には、外人の血が混じっているからね。そういうセリフは、両親が交わしているのを何度も聞いて、慣れている。

 ……君も、そうではないのか?」
 
「外人の血が混じっている、ってところは当たってる。だが、慣れるほど聞いた覚えはないね。

 ……で、結婚が嫌な理由は何だ?……まさか、子供を作りたくないのか?」
 
「それもあるが、彼女に僕の全てを知られることが怖い。それが原因で、別れることも」

「え~~~~っ。狼牙、子供を作るの、嫌なの?」

 上がった非難の声は、当然だろう。
 
「出来れば、作りたくない」

「世話は、全部私がやるわよ。それでも嫌なの?」

「事情があって、僕も手伝わなければ、君一人で僕の子供を育てるのは無理だ。

 僕の母親が、僕を育てる為に命を落としてしまったのと同様に」
 
「狼牙の子供を産めるのなら、死んでも良いわ」

「ぬっ!……そう来たか……」

 困る狼牙を、ニヤニヤとしながら眺めている虎白。
 
 その時、一発の銃声が響いた。