第18話 世界樹の樹液
「100年も経てば、誰かが代わってくれると思っていたからな」
笑いながら話す二人だが、皇帝と話をする研究員は、とてもではないが五十過ぎにすら見えない。
30半ばか、40が良いところだろう。
それだと云うのに、二人の会話には百年前の話が入り混じっている。
彼以外の研究員は、まだもっと若く、20代に見える者が主流になっているように見られた。
少なくともこの部屋にいる研究員の中では、彼が最年長のようだった。
二人の会話はやがて他愛も無い世間話へと移り変わり、周りにいた研究員たちも会話に加わっていった。
「ゼノ。――ゼノ!
お久しぶり!」
声を掛けられて皇帝が振り向く。珍しく、若い女性の研究員だ。
着衣は当然、白衣である。
「Dr.レインか。
どうしたんだ?サンプルが手に入って、忙しかったんじゃなかったのかい?」
「量が少ないもの。本格的な研究にはまだ入れないわ。
そんなことより、ココに来た時ぐらい、その無粋な仮面を外したらどうなの?」
云われるままに皇帝は仮面を外す。現れた顔は、まだ20代としか思われぬ程のものであった。
「良い加減、王様ごっこも止めたらどうなの?
それほど面白いものでもないんでしょう?」
「面白くないからと云って、簡単に辞める訳にもいかないさ。
せめて、後継ぎ位は用意しないとね」
喉から変声器を外すと、その声も若々しいものに変わった。気のせいか、口調がいつもより砕けている。
「そうだ。
君と僕が、立場を入れ替えるというのはどうだろう?
世界樹の研究には興味があったし、女帝というのも面白いとは思うが、どうかな?」
レインは笑って肩を竦める。まるで「御免だわ」とでも言いたげに。
ゼノの方も冗談で言ったのだろう、そんな様子を見て、「だろうな」と云い、笑う。
「興味があるのなら、見せて差し上げましょうか?
折角、サンプルも手に入った事だし」
ゼノはレインの誘いに乗ることにした。
レインの研究室は更に一階下に下りた場所にあった。
置いてある物が少ない分、先程の部屋より広く感じる。
「そこに並んでる試験管が、世界樹の樹液。
サンプルの中で世界樹の反応が無かった物は廃棄したから、それが全部そうよ。見ても面白いものじゃないけどね。
そっちに置いてあるのは、水に樹液を混ぜて与えた金魚とマウス、それにアサガオ。
プロジェクト『ELF』と『MARMAID』の連中は、重要な試料が手に入ったって喜んでいたけど、こっちは大した効果も期待せずに、そいつらの観察をするのが関の山。
ねぇ、ゼノ。出来るだけ早くに、大量に世界樹のサンプルを手に入れてくれない?出来れば、オリジナルの奴。
世界樹の侵食率が100%っていう森も見つかったんでしょう?きっとその森の何処かにあるわよ」
「問題が二つある。
あの古文書に記されていた、ガーディアンである竜との遭遇報告が無いんだ。
確かにそこが今のところ一番怪しい。
だが調べてみた結果、そこは元は砂漠だったエリアだ。
世界樹の侵食率が100%でもおかしくないだろう?
……ところでこのサンプル、本当に見ていても面白いとは思わなかったのか?」
試験管に入れられている樹液は、粘液質のものでは無く、液状のものだった。
それの中に、全ての試験管では無いが、小さな植物の芽のようなものと、それに生えた細い糸状の根のようなものが浮いている。
「――何これ?
さっきまでは、何も無かったのに……」
ゼノに云われて試験管を覗き込んで、レインは驚いた。埃やゴミが入った訳では無い。
試験管には、蓋がしてあったのだから。
「観察日記でもつけてみたらどうだ?
そろそろ、僕は皇帝の仕事に戻るよ」
「待って。問題の二つ目を聞いてないわ」
「ああ、そうそう。
僕もそうだったんだけど、そこに行かせた一人の男を含めて誰もが、何故かそこにだけは行きたくないと云っているんだよ。
――興味深くはないかい?」
「――不思議ね。
でも、私は世界樹の樹液さえ手に入れば、今のところ、不満らしい不満も無いわ」
「少しは、僕にも研究に加えさせて欲しいね。幾つか、プランはあるんだよ?
100年も似たような研究ばかり続けているんだ。誰か、飽きても良い頃だと……いや、とうに嫌になっている筈だと思うんだけどねぇ。
そんなに、研究が面白いかい?」
「勿論よ」
云うだろうと思っていたゼノだけに、その返事には肩を竦めるしかなかった。
「僕はそろそろ、『王様ごっこ』にも飽きて来たよ。
でも、僕たちの誰かが世界を支配しなければ、人類は新たな進化への一歩を踏み出せずにいるだろうと思って、嫌々やっているんだけどね。
――おっと。仕事が未だ、残っているんだった。
じゃあ、またそのうちに顔を出すよ」
部屋を出ようとするゼノに対して、レインは振り向きもせずに手を振った。
ゼノは、ここでのみ、自分の素を出す事が出来ているのかも知れなかった。