第22話 世界樹と竜と巨人
夜中だと云うのに、街中には沢山の人影が動き回っていた。
勿論、そのほとんどがレズィンを探す兵士たちだ。
「――様子がおかしい。
今日は大人しくしていた方が賢明か?」
この街には、戦場でも無いのにこれ程の兵士が滞在していたのかと、驚く程の人数が出回っている。
早めにリットと連絡を取りたいレズィンだったが、自粛しようかという考えが過る。
「時間が経てば、事態が好転するとは限らないよな。
畜生、無限弾が手元に無いのが致命的だ。
アイツは祖父さんの形見なんだ。後で必ず取り返してやるからな」
無論、それが困難であることは分かっている。
だが無限弾には、それでも取り返すだけの価値がある。
「あたしが代わりに行って来てあげようか?」
一緒に窓の外を覗いていたフィネットが云う。
「――頼めるか?」
「うん。兄貴を呼んで来るだけでしょ?良いわよ」
「サンキュー」
治安が悪い街では無いので、夜中に若い女性が一人で歩いても、さほど心配することは無い。
行き先は酒場だが、決して柄の悪い店では無かった。加えて、店主に顔を知られている。
「居なかったら、酒場のオヤジに伝言を頼んでおいてくれ。
時間も結構遅いんだから、さっさと帰って来いよ」
「そんな心配しないでよ。もう、子供じゃないんだから」
要らぬ心配と思いながらも、街の様子の不審さに、心配して声を掛けた。
ひと段落着いたら、何かお礼をしなければなとレズィンは考えていた。
フィネットの帰りを待つ間も、レズィンはじっとはしていられなかった。
かと言って何かすることがある訳でも無く、話し相手を求めて姉妹の居る部屋へと赴く。
「こんな夜中に、どうしたんだ?」
軽くノックをすると、シヴァンが戸口へと現れた。
ラフィアは既に布団に潜って軽い寝息を立てていた。
「ちょっと、話さないか?」
寝ているラフィアの邪魔にならぬよう、場所はレズィンが借りている部屋に移す事にした。
都合の良い事に、フィネットが用意してくれたウィスキーもある。
レズィンが好んで飲む銘柄を覚えていたらしく、わざわざ用意してくれたものだ。
何かと気を回してくれているので、レズィンとしてはありがたかった。
「酒を飲んだことは……あるわけないか。
どうだ?一杯、試してみないか?」
「未成年に酒を勧めるな、馬鹿者。
これでも俺はまだ14だぞ?」
「俺が初めて酒を飲んだのも、せいぜいそのぐらいの歳だ。
煙草と、どっちが良い?」
右手にはグラス、左手には煙草を持って、レズィンは差し出す。
「煙草は嫌いだ」
差し出された二つの内、シヴァンはグラスの方を受け取った。レズィンはそれにウイスキーを軽く注いでやる。
シヴァンはグラスに顔を近付けると匂いを確かめ、一気に飲み干した。
「良い飲みっぷりだな。
どうだ?初めて酒を飲んだ感想は?」
「……二度と飲まん。
頼むから、姉さんには飲ませないでくれ」
「はははは、気に入ってはくれなかったか。
安心してくれ。アンタの姉さんに酒を勧める程、俺は怖いもの知らずじゃない」
レズィンも一口二口グラスに口を付けて、ついでに煙草にも手を伸ばそうとするが、シヴァンが嫌いだと云っていたのを思い出し、途中で引っ込める。
「あのデッケエ剣も、何か特別な力を持っていたのか?」
シヴァンと出会った時を思い出して、レズィンはそんな事を問い掛けてみる。
実は見た目より軽いというオチだったりすることを、少しばかり期待しながら。
「何も無い。
単に竜の血が染みついていて、竜が勝手に恐れてくれているだけだ」
シヴァンはラフィアと違って、質問すれば大抵答えてくれる。
だが必要以上の事を言う事は少なく、自分から話し掛けてくることも少ないのが、レズィンには少し、寂しかった。
「――アンタは、俺に聞きたい事は無いのか?」
「――無い」
少々の間はあったものの、ほとんど何も考えずにシヴァンは答える。
そもそも、人より好奇心が弱いのでは無いだろうか?
「――神は、竜と巨人と世界樹を生み出した、か。
全て、神話の中だけの話だと思っていたんだがな、俺は。
その内二つが、実在するのか。
それも、竜に至っては背に乗せて貰って空まで飛んじまった。
神話の中では、竜は地上から去り、世界樹は朽ち果てた事にされているのにな……」
「世界樹は一度、根だけを残して実際に滅んでしまっている。
竜はそれ以前に存在していたのかどうかは分からないが、50年ほど前に世界樹が蘇らせたものだぞ」
「――何だって?」
良く考えれば、それも無理のない話だ。
竜ほどの巨大な生物が、人目につかずに数千年もの永い間、隠れ住んでいたという方が不自然だ。
五十年間、あれだけの数が隠れ住んでいたのも、奇跡に近い。
「世界樹がやったことだ。複数の生物を掛け合わせて作ったという可能性も考えられる。
彼らは世界樹の守護者であり、管理者であり、未熟な種子を育てる果実でもある。
大昔は巨大な樹の姿をした世界樹が、根だけで過ごした永き間に進化した結果だ。
竜は世界樹の一部でもある。
不思議に思わないか?竜も世界樹も、あんな形をしていても、あれは植物なのだぞ」
「あんな形って、俺は世界樹なんてものは、見た覚えが無いぜ」
「俺たちの家を見ただろう。あれが世界樹の本体だ」
「あの城がぁ?」
レズィンの声は、半分裏返っていた。
人造物にしては、建てられている場所があまりにも人里離れた場所だった。
しかし、だからと云ってもそれが植物であるとは、誰が信じられるであろうか?
レズィンの想像では、世界樹とは世界一大きな樹のことだと思っていただけに、完全に意表を突かれて思考が一時、止まってしまった。
「敢えて聞きたいことを挙げるとするならば、その神話の事を詳しく聞かせて欲しい。
神話では、世界樹や竜はどうなっている?」
レズィンも、決して神話に詳しい訳では無かった。
死んだ祖父から、幼い頃に何度か聞かされていた程度で、断片的にしか覚えていない。
「竜は進化を続けて神よりも優れた力を持つに至り、神を殺した後、永遠に天空を彷徨う星となった。
世界樹は竜が去った後の地上にあらゆる生命を生み出し、力尽きて朽ち果てた事になっている。
巨人の事も聞きたいか?
巨人は竜とは逆に退化し、永遠だった筈の命も失って、人間になったそうだ」
「確かに世界樹には、生命を生み出す力がある。
だが、一度朽ち果てた時には、それだけの知識を持ち合わせてなどいなかった筈だ。
他の生命を取り込み、その情報を蓄積し始めたのは、あの姿を得て地上に現れた後の筈だ。
ところで、その神話に巨大なロブスターは登場していないか?
奴らは水際にしか棲めないが、強さは竜に匹敵するぞ。
奴らについては世界樹も詳しい事を知らないから、前から気になっていた」
「俺の知る限りでは、そんなものは登場していない。
けど、俺の記憶も確かじゃないからな。
あんまりアテにはならないと思うぞ」
今さらながら、祖父の話をもっとしっかり聞いておくのだったと、後悔する。
レズィンは何かと博識であった祖父から学んだことが多かったが、神話には興味が無かったので、わざわざ覚えようとはしなかったのだ。
「祖父さんが生きていたら、喜んだだろうけどなぁ。
神話やら、神秘的なものが好きな祖父さんだったからな。
俺に無限弾を渡した時、祖父さんは何て言ったと思う?
コレは森の妖精が、儂に授けて下さったものだ、ってな」
「その話にも、気になる事がある。
何故、あの場所に近付く事が出来たのだ?
お前もそうだ。森の発する危険信号を、感じなかったのか?
そもそも、あの場所に人が訪れたのなら、世界樹が覚えている筈だ。
何故、その記憶が残されていない?」
「さあね。少なくとも俺は危険信号なんて感じなかったし、祖父さんのことまでは知らない。
ひょっとすると、50年も竜が見つからなかったのは、その危険信号のせいか?」
シヴァンの首は縦に振られた。レズィンが気になっていたことの一つだ。
あれほどの巨体で、何の理由も無く五十年も見つからずにいられる訳が無い。
もしかしたら、姿を見た者は尽く竜によって殺されていたのではないかとすら、レズィンは考えていた。
「――正直に云うと、俺はもう森になど戻りたくはない。
森から出たいとは、前から思っていた。
だが、一人で街に出ても、恐らく馴染めずに、仕方なく森へ帰る事になるだろうと思っていた。
姉さんと二人でも一緒だ。だから、俺はお前には感謝している」
「――お前はこれから、どうするつもりなんだ?」
その事は、レズィンも前から聞いてみたいとは思っていた。
全てが丸く収まった後で、二人がどうするつもりなのか。
「――姉さんは、街で住むのは無理だろう。
姉さんを一人で放っておく訳にはいかない。
だから、森へ帰るつもりだ。
それが分かっただけでも、街へ出て良かったと思っている」
「姉さんも街へ残りたいと言ったら、どうする?」
返答はしばらく無かった。
そうなった場合の事を、シヴァンは考えたことが無かったのだろうか。
同じ環境で過ごし、一方がそれに不満を持っていたのだ。
同じ不満を持っていると考える方が、自然だろう。
「――姉さんは、世界樹に執着している」
「俺も、そう思った。何故だか知らないが、守ろうとしているのだろう。
けど、それとこれとは話が別だろう。
……街に、住んでみたいんだろう?」
シヴァンは苦悶の表情を浮かべるが、その首は縦に振られた。
「オーケイ。その気持ちだけ、確認しておきたかったんだ。
考える時間は、十分にあるさ。結論を急ぐ事は無い」
「それはどうかな?」