世界の寿命

第14話 世界の寿命

 最近、卯辰が取り組んでいる『七大魔王討伐』だが、卯辰が明確に自らの手で『討たない』事を決めた魔王がひと柱居る。

 それは、『ルシファー』だ。

 卯辰の解釈で言えば、『ルシファー』は自分が自分の人生の主人公である事を諦めなかった者である。

 『サタン』と同一人物であると云う説もあるそうだが、一人の人間に二人分の魂が宿り、一方がルシファーなら、一方はサタンとして癇癪かんしゃく持ちになるだけの事である。

 そもそもが、専門の修行をした者でなければ、『七つの大罪』は人間全てに少しずつはあるものであり、それを『大罪』等と、極論をするのは如何なものかとは思う。

 しかし、世界的に有名な『聖人』の遺した概念だから大事に伝え遺したのだろうが、そもそもが彼は本当に『聖人』だろうか?

 『七大魔王』をはじめとして、人類に多くの犠牲者を出しておいて、『悪いのは其方、此方は正義』等と決めつけるのは、その時点で傲慢ではなかろうか?

 そもそもが、残酷は?残忍は?残虐は?と思わないではないし、『七』と云う神の数字に無理矢理合わせている感がある事は否めない。

 戦争なんて、人類の最も重い罪としか思えないし、勝った側が一方的に『正義』を名乗るなど、ソレを七元徳の一つに数えるなど、狂気の断片としか思えない。

 そう、ありとあらゆる宗教は、程度の差はあれ、『狂気』である。

 それを否定する者は、『七つの大罪』に当たることを、全て一切やめてみよ。それで生きる事が出来るのならば、言い分を聞いても良い。

 但し、当然ながら、一切の食事は禁止だ。性的行為も一切禁止。極めて勤勉であらねばならず、それに一切の対価を受け取ってはならない。ああ、怒りを覚えるのも禁止だ。ソレらを誇ってもならない。

 さて、生きていけるか?生きていけたとしても、子孫は当然残せない。人類の絶滅を止める事は出来るか?

 無理であろう。そんなことは明らかだ。

 だが、彼の聖人とやらは、ソレらを禁じたのだ。

 因みに、一度でも怒り狂った、特に辰年の者は、サタンの運命から逃れる事は出来なくなる。

 どんなにイジメられても、怒ってはならないとは、余りにもあんまりなルールである。

 もしも世界がサタンの手によって滅んだとしても、それは、サタンをイジメ尽くし、怒り狂わせた者の責任である。

 そのことを、ゆめゆめ忘るべかざる、である。

 ――尤も、既に手遅れである可能性は高いが。

 理に適った予言(預言)は当たるように世界が動く可能性が高い。

 だが、世界が滅ぶ可能性が高い年を、ココではヨゲンしない。

 過去の愚か者どもは、ヨゲンが当たることを馬鹿みたいに喜んでたようだが。

 調子に乗って、世界の終末ヨゲンをすることを、愚かだとは思わなかったのだろうか?

 現代人は、ソレのツケを払わされているだけだ。

 シンギュラリティでも起これば、何かが違っていたかも知れないけれど、本当の意味でのシンギュラリティは、未だ起こっていない。

 恐らくは、歴史は毎度毎度、60年に一度の危機を乗り越えてきたのだ。

 今回の危機も乗り越えられれば良いが、それにしてはかなりキナ臭い。

 やはりここでも、卯辰の『上がれない下せない』と云う事態が、事を解決から遠ざけてしまっている。

 だからと云って、卯辰が『上がれる下せる』と云う事態に陥った程度では、解決するものでもないが。

 まぁ、今回の危機を乗り越える可能性は『不可説不可説転』に1つも無いかも知れないが、『グラハム数』に一つくらいはあるかも知れない。

 止めを刺したのは、『Lanaレナ』だ。

 まぁ、犠牲は世界一つで済むかも知れない。

 どの道、アカシックレコードに記されている事柄を避けるのは、相当に困難なのだ。

 恐らくは訪れるであろう、『火のX日間』。或いは、ある意味、それは既に過ぎ去っているのかも知れない。

 カードゲームのフレーバーテキストすら効果のある今現在。

 或いは、世界中の全人類が協力できれば、未曽有の災害から避けられるかも知れない、

 だが、現状は、世界の寿命を犠牲にして儲け、大金と名誉をほしいままにしている人間が大勢いる。

 そんな中を卯辰は『あと60年の平和』を求めて足掻くが、生まれた時から、そんな能力に等恵まれていないのである。

 むしろ、世界を終わらせる能力なら備わっているのかも知れないが、そんな能力は決して欲してはいないのであった。