第2話 レズィン・ガナット
パァーンッ、パァーンッ、パァーンッ。
三度続けて、男は引き金を引き、即座にそれとは逆の方向へと走り出した。
男が崖に近い斜面を滑り降りるのと、竜がブレスを吐いたのとは同時だった。
長く伸ばした男の髪の先端を、ブレスの炎が焦がす。
ハァッ、ハァッ、ハァッ……。
男は木の陰に隠れて振り返り、様子を窺った。
崖の上では怒り狂った竜が男の方を見下ろしていたが、やがて何度目かの叫び声を上げると、何やら力んだ様子を見せ、その背中からやや大きな翼が生えた。
その巨体を支えるにはやや小さいかと思わせる翼だったが、竜はそれを羽ばたかせると、空に浮き上がって崖の下へと降り立とうとしていた。
「嘘だろぉー!そんなのアリかよぉー!」
無精髭を生やし、中年に一歩足を踏み入れていそうなその男、レズィン・ガナットは、最早尽きようとしている体力を振り絞って再び走り始めた。
「どうして竜が、こんなところにいるんだ?
くそぉっ!この森じゃあ、竜を見かけたって証言は無かったって、あの情報屋は言ってなかったか?
なのに、何だコレは?!まるで竜の巣じゃねぇか!
あの嘘つき野郎め、帰ったら情報料返して貰うからな!
……うわぁっ!」
レズィンが突然進路を右に変えた。目の前にまた、鱗のある巨大な生き物が見えたからだ。
「畜生ぉっ!こんなところで、死んでたまるかぁっ!」
ズザザザザザザザザザ。
次の斜面を滑り降りながら、レズィンは叫んだ。
滑り降りてから目の前に巨大な木を見付け、その裏に隠れて再び背後と上空を確かめた。
「……どうやら、見失ったようだな。
ハハッ、ざまあみろ。その図体じゃあ、小回りが利かねぇだろうが。
俺様が本気になれば、ざっとこんなもんよ。
……フゥッ」
ズルズルと背中を木の幹に擦りながら、レズィンはその場に座り込んだ。
呼吸を整えながら右手の拳銃を懐にしまい込み、代わりに煙草を一本取り出して口に咥える。
「……ん?
火がねぇな。どこいった?」
それに気が付いて、レズィンは全身のポケットを両手で探るが見つからない。
そこへ、低い女性の声で、聞き慣れたフレーズのセリフが飛んできた。
「生憎だが、ここは禁煙だ」
「ああ、すまねぇ」
つい、いつもの調子でそう返して、煙草をしまい込む。
そのままフゥッと息をついて、目を閉じ身体を休める。そして――
「だ、誰だぁっ!」
突然、こんなところで人に声を掛けられたという異常な出来事に気が付いて、辺りに目を走らせる。
こんな竜の大量生息するような危険極まりないこの森の奥深くで、人に声を掛けられる筈が無い。
懐の銃に手が伸びる。
気配も探るが、感じられない。
「……その声、女だな?
姿を見せたらどうだ?」
レズィンは立ち上がり、呼び掛けた。
「……物騒な物を持っているようだから、止めておこう」
「上か!」
ドゥンッ。
真上を向き、枝葉に隠れて見えない相手に向けて、レズィンは威嚇のつもりで一度引き金を引いた。
撃ってすぐに、男は他の木の陰へと走る。
「こっちは朝から得体の知れない化け物に追い回されて気が立ってるんだ。
撃たれたく無かったら、さっさと出て来やがれ!」
「気が立っているのは、お前一人だけでは無い」
ゾクッ。
四方八方から突き刺してくるような殺気。レズィンは背筋に走る冷たいものを感じた。
軍隊につい先日まで所属していたレズィンは、それが人よりも野生の獣の放つ殺気に近い事に気が付いた。
「この殺気……。てめぇ、本当に人間か?」
レズィンの額に、冷たいものが流れる。
殺気。それは、通常ではあり得ない、違和感が原因となっていることが多い。
今のレズィンにとって、感じられる違和感とは、どこから感じられるものであろうか。
やはり、声のする木の上からであるろうか?
「殺気を感じ取ったか。
しかし、その殺気の主は俺じゃあない。
気を付けろ。そいつは、俺の知っている奴じゃない。
遅い掛かって来るぞ」
グルルルルルルルルル……。
レズィンは、殺気の来る方向を見誤っていた。
低く唸る声、それはレズィンの背後からのものだった。
気が付いて振り向くと、木々をその足で踏み倒しながら歩み寄って来る竜の姿がそこにあった。
「こいつで丁度20匹目だ。
どうなってんだよ、こおの森はぁっ!」
叫びながら、引き金を二度、引き絞る。
タタァンッ。
二度の着弾音が響く。
レズィンの狙い通り、竜の両目に着弾しているが、竜の方ではそれを意にも介していない。
「逆鱗を狙わなかったのは賢明な判断だったが、そのオモチャで逃げずに立ち向かうのは無謀ではないか?」
「足が疲れて、もう云う事利かねぇんだ!
てめえも、気付かれない内にさっさと逃げやがれ!」
レズィンはガクガクと震える足で後退りながら、何度も引き金を引く。
だが、竜の歩みは止まらない。
ドスッ。
レズィンの目の前の地面に、巨大な剣が突き刺さった。
レズィンも驚くが、竜もこれに驚いたのか、ピタリとその足を止め、低い唸り声で威嚇を始めた。
「逃げる?
俺はお前ほどは弱くない」
剣は、決して低くは無いレズィンの身長に匹敵する刃渡りを持ち、しかも幅も厚みも、並の剣の3倍以上はあろうかという代物であった。
「こ、こんなものを持って、木の上を?」
ゴクッ。
レズィンは唾を飲み込み、上を向いた。
「未だ幼い竜で良かった。
ブレスを上手く吐けない奴なら、殺さずに済む」
トンッ。
木の上から飛び降りた背の高い少女が、突き刺さったままの剣の上に立った。
「……まだガキじゃねぇか」