プロメテウス

第13話 プロメテウス

「僕はそろそろ、帰らせてもらいますよ」

 長居をしていては確実に帰れなくなるであろうことを悟って、疾刀は楓にも帰り支度を促す。
 
 残っていた弁当は僅かだったので、楓はそれを一気に口の中に放り込んだ。
 
「アタシを連れて行ってくれるのなら、帰してあげるわ。

 快く協力してくれるのが、一番良いんだけどね」

 隼那は二人の行く手を阻むように立ち位置を変えた。
 
 強引に進めば突破出来るのだが、疾刀は警告することにした。
 
「この膜、見えてますよね?

 触ったら、怪我しますよ」
 
「ご親切に、ありがとう。

 けどね、こちらにも切り札があるのよ」
 
 彼女の前に、サイコワイヤーと同じ、目には見えない素材の、光の盾が現れた。
 
 直径2メートルほどの円を描くそれは、平面状ではなく、軽くカーブを描いている。まるで、球から切り取ったように。
 
 それは疾刀たちを包む見えない膜に触れると、膜を消してしまった。
 
 盾の方は、膜に触れた場所から光の波紋が走っただけだ。ダークキャットの放つサイコワイヤーですらも、触れる度に打ち消されて行く。
 
「まさか……イージス!

 そんな……武蔵たけくらサイコシステム研究所にしか無い筈じゃなかったのか?」
 
 式城 紗斗里の属する、武蔵サイコシステム研究所。そこには、量産に向いていない、もしくは出来ないと云う、世界で一つしか無いサイコソフトがいくつも保管されていた。
 
 万物を遮る圧倒的な能力を誇るイージスも、その一つの筈だった。
 
 開発された時点では、いかなる手段を用いてもそれを打ち破る事が出来なかった為、業界では有名になったサイコソフトだ。
 
「随分とサイコソフトには詳しいようね。

 なら、こんなのはどうかしら?」
 
 隼那の右手が、虚空を掴む。
 
 次の瞬間には、そこには2メートル程の棒状の物が握られていた。
 
 騎兵用の槍、ランスだ。
 
 見た目に反して、それは投擲用の槍だった。
 
 盾と同じく、肉眼では見えない。
 
 だが、グリフォンによって与えられた第二の目には、輝くエネルギーを発しているのがはっきりと見えている。
 
「由来まで知っていますよ。

 無敵のイージスが初めて破られた時、それを成就した槍型の攻撃用サイコソフトには、グングニルと名付けられていた。
 
 それを複合させて最強の矛盾が完成した時、そこには二つの名前が候補として挙げられていた。
 
 それはそれぞれの持ち主であり、一つはギリシャ神話の女神。一つは北欧神話の主神の名前。
 
 ――結局は、女性にしか扱えない事が判明した為、それは女神の名前が与えられた。
 
 そう、戦いの女神である、アテネの名を。
 
 ……全部、受け売りですけどね」
 
「全くその通りよ。

 そう。これは女神の名前を与えられた、最強のサイコソフト。
 
 無敵ではないけれど、限りなくそれに近い。
 
 万物を遮る盾と、それを唯一突き通す事が出来る、無敵の武器。
 
 生み出すものは無敵でも、研究所は無敵ではないもの。盗み出されたけど、使いこなせる人がいなかった。
 
 だからクルセイダーの手に渡ったの。信じられないような高値でね。
 
 イージスは、アンチサイにより生み出される力。グングニルと同時に使いこなすには、レベル8以上が必要ということになる。
 
 しかも、アテネは女性で無ければ使えない。だから私に与えられたの。クルセイダーの中では、私しか使える人材がいなかったから。
 
 あなたがどれだけ強くても、私に勝つことは出来ないわ。
 
 あなたが式城 紗斗里でない限り、ね」
 
 疾刀は言葉を失った。
 
 逃げ出そうとしても、致命的な攻撃は行われないであろう。
 
 だが、致命的ではない攻撃は、躊躇うことなく行われるだろう。
 
 逃げようにも逃げ出せず、しかし、彼女らの要望に従うつもりもなかった。
 
 そうして疾刀が迷っている最中。
 
「出来る」

 未だ幼さを残す声が、それに答えた。
 
「ソフトは無敵でも、あなたは無敵ではないもの」

「どうやるの、坊や?――女の子なの?

 なら、やって御覧なさい、お嬢ちゃん」
 
 余裕綽々と、隼那は云う。それだけの余裕を見せる能力を、アテネというソフトは持っている。
 
 それに対して、楓はどのような手段を以って立ち向かうのであろうか。
 
 彼女から、意外な要望が、疾刀に向けて持ち掛けられた。
 
「ハヤト兄ちゃん。キャットで、出来る限りのサイコワイヤーを一つに束ねて、アレにぶつけてみて」

 ジャケットの裾を引っ張られ、疾刀は楓を見てその真剣なまなざしと向かい合った。
 
 そんなことでイージスを打ち破れるとは思わなかったが、その表情に負けて、疾刀は従う事にした。
 
 全てのサイコワイヤーを、右手の掌に集中して出現させる。
 
 最初は短く、徐々に伸ばしながら、それをり合わせる。それが短く太い綱の様になったところで右手を突き出し、一気に伸ばす。
 
「そんなものが、この盾に通用するものですか!」

 確かに盾を打ち破れはしなかったが、その束ねられたサイコワイヤーは一気には消えない。その先端が消される度に、後から後から際限なく伸びて来る。
 
 隼那は、徐々に息苦しくなってくるのを感じていた。
 
 心臓が激しく脈打ち、全身を冷や汗が濡らす。
 
 足がガクガクと震え出し、やがてフッと意識を失ってしまった。
 
 同時に盾と槍とが消え失せた。
 
 異変を感じて近寄っていた恭次が、倒れようとした彼女に駆け寄り、地面へとぶつかる前に抱き止めた。
 
「大丈夫か、隼那!」

 彼女の顔は、血の気が引いて真っ白になっている。呼吸も鼓動も弱まっていた。
 
「一週間ほど、しっかりと食事を摂って休めば、元通りに回復すると思う。

 単なるパワー切れだから。
 
 相性の悪い上、負担の大きなソフトでフルパワーを出し続けていれば、簡単にそうなってしまう。
 
 あなたのサラマンダーもそう。ドラゴンやファフニールで操られているエネルギーすら炎に変換してしまう程に強力なものなの。
 
 だから、僕に渡して欲しい。下手をすれば、植物人間になってしまうから」
 
「渡せねぇよ。命懸けの戦いは、覚悟の上だからな」

 恭次の腕の中で、隼那が僅かに動く。
 
 見れば目もうっすらと開けていて、意識を取り戻したようだった。
 
 その視線が宙を彷徨い、恭次の顔を見付けて焦点が結ばれた。
 
 彼女は口をパクパクと動かして何かを言おうとしているようだが、声が小さくて中々聞き取れない。
 
「どうした、何か言いたいのか?」

 恭次が耳を彼女の口元に近付けると、ようやくその声が聞き取れた。
 
「アタシ、どうなったの……?」

「大丈夫だ!ちょっとの間、気を失っただけだから、心配するな!」

 必死になって元気づけようとする恭次の姿は、彼女を鬱陶しいと言って突き放そうとしていた男と同一人物には見えない。
 
「あんな……破り方が、あったなんて……。

 アタシ、調子に乗り過ぎていたのかも知れない……」
 
「良いんだよ、お前はその位で!

 だから、さっさと元気になりやがれ!」
 
 二人の様子を見ていた楓が、ダークライオンのスイッチを切り、一歩近付いてスッと手を差し出す。
 
「サラマンダーを貸して。

 すぐ返すから」
 
 何事かと思えば、そんなことを言い出した。
 
 すぐに返すという言葉を信用してか、恭次はいぶかりながらも空いている左手で、後頭部のサイコソフトを取り外し、楓に渡した。
 
 受け取ったソフトを確認した楓は、それを掌に乗せたまま、目を瞑る。
 
 すぐにその身体から三本のサイコワイヤーが現れ、それが掌の上に乗せられた小さな欠片に吸い込まれるように動いた。
 
 サイコワイヤーが美しく輝く。
 
 それは今、肉眼でもはっきりとその軌跡を見る事が出来た。
 
 その輝きがやがて薄れると、サイコワイヤーそのものが消え、楓も目を開いた。
 
「これで、あなたとの相性が良くなった。

 覚えておいて。コレの名前は『プロメテウス』だから」
 
 恭次は返されたそれをじっくりと観察してみた。形が変わった訳では無く、外見上はほとんど変化は無い。
 
 ただ一つ。元々あった『SALAMANDER』という名前の刻印の下に、新たに『SCARLET』という文字列が増えていた。
 
 何となく不審に思いながらも、恭次はそれを元の位置に填め直す。
 
 確認の為に小さく炎を出してみるが、特に変わったとは思えない。
 
「細かい操作説明ナビゲーションは出来ないけど、ヒーリングを接触して使うようにやってみて欲しい。

 触るのは、心臓の上辺りが良いと思う」
 
 言われるままに従おうとしたものの、その手は胸に触れる直前で止まってしまった。
 
 躊躇う恭次に代わって、隼那自身がその手を取り、胸の中央辺りにあてがう。
 
「ヒーリングは、苦手なんだけどな。

 ――こんな感じか?
 
 ……おお?」
 
 こんな感じかと言われても、頭の中でイメージしている事は、他人には分からない事だ。――テレパシーは例外として。
 
 傍から見ていても分からなかったが、それはどうやら何らかの手応えがあったらしく、恭次の顔は段々と綻んでくる。
 
 しばらくすると、それは隼那の顔に赤みが戻って来るという形で、傍目にも明らかになった。
 
「あ……。

 良い感じ……。
 
 気持ち良い……」
 
 先程までは死人のような顔をして、呼吸も弱かった隼那が、恭次の掌から流れ込んで来る暖かみに、徐々に落ち着いて来た。
 
 体全体をリラックスさせ、半ば恍惚こうこつとしたような表情を浮かべている。
 
「その位で、止めた方が良いと思う。

 出来れば、サラマンダーと同じ能力以外は、使わないで欲しい。
 
 今のそれも、加減を間違えれば危険な力だから。
 
 それと、それがプロメテウスであることは、忘れないで欲しい。
 
 この二つさえ守っていれば、あなたにとっては、危険なソフトにはならないから」
 
 楓はそう説明を加えると、隼那に視線を移してからちょっと考え込むが、すぐに振り返って疾刀と共に部屋を立ち去ろうとした。
 
「待って」