第24話 フレイヤ
日暮れと共に、街は音を失って行く。
クルセイダーとセレスティアル・ヴィジタントとの戦いも、ひと段落ついて、日が沈んだ後には、もうほとんど見られない。
繁華街である『すすきの』ですら、出歩く者の姿はほとんど見られない。
死体は既に片付けられているものの、好き好んで近寄る者はいないようだ。
昼間の戦いは、僅差だがクルセイダー側に軍配が上がっている。
――ヴァルキリー部隊に、と云った方が良いだろうか?彼女たちには被害が少ない。
だが、ドラゴン部隊には多数の死者が出ている。勿論、セレスティアル・ヴィジタントにも。
「ここからは籠城戦よ」
どちらかと云えば、攻城戦に近い。彼女たちが籠城する訳では無い。
拠点が判明したのは有難かった。無闇に攻めなくても済むようになったからだ。
だが同時に、楓が奈津菜に連れて行かれたのは痛かった。
隼那としては、結構頼りにしていたのだから。
『まるで針鼠のようです』
偵察に行かせた者が、大和カンパニーのビルの様子をそう形容していた。
勿論、その針は、ダークキャットによるものだ。
必死になって設定の変更をしたに違い無い。
これでは、ネットを組んで近付くことは出来ない。
恭次が帰って来ていない今、ファフニールに対抗出来るソフトは、隼那の持っている『DRAGON VERMILION』フレイヤが一つあるだけだ。
「せめて、アテネがあれば……」
何度もその考えが頭に思い浮かんでは、その度に否定する。
確かにソレがあれば、突き進む気にもなれるのだが、相手の人数を考えれば、結果は火を見るよりも明らかだ。
この騒ぎが楓と出会う前に起こっていたらと、想像するだけでゾッとする。
「リーダー。連中のやり方も、結構有効ですよ」
店内に駆け込んで来た若い女性が、声を弾ませてそう云った。
確か、フレイヤで図形を描いた時の性能を確かめるように言い渡し、ネットに組み込んでおいた者の一人の筈だ。
「正三角形で二割増し、正方形で三割増しぐらいの効果ですけど、正確じゃないと駄目みたいです。
けどこれで、声と併せれば五割以上の向上ですよ!」
興奮気味な程に喜んでいるようだが、隼那にはそこまで喜ぶ気にはなれない。
「ありがとう。
もう、帰っても良いわよ。
今日はもう日も暮れてるし、作戦も練らなくちゃいけなから」
「私たちも、混ぜて下さいよぉ」
「駄ぁー目。夜中にこんな所で固まってたら、怪しまれるに決まってるんだから」
「はぁーい」
心底、残念そうにすごすごと帰る彼女を見送ってから、隼那は再び思考の海に潜る。
だがどうしても、そこにノイズが混じるような気がしてならない。
原因は、分かっている。恭次がいないせいだ。
昼を過ぎてから、まるで行方が分からなくなっている。
「まさか、死んでないよね、恭次」
嫌な想像を振り払うべく、目を瞑って強く首を左右に振る。
アテネさえあれば、共について行くつもりだった。いや、アテネが無くても、ドラゴンがあった。
隼那としては、それだけで十分だと思っていた。
だがその時はフレイヤへの改良も行われておらず、リーダーを危険に晒す訳にはいかないと、それだけで同行を認められなかった。
「アテネさえあれば、アテネさえ……!」
不安は一向に消え去らない。
涙声でそう云いながらも、頭の片隅ではそんな考えを否定している自分が居る。
『失礼ですわね!
わたくしでは不満だと仰るの!?』
強い口調の声が聞こえて、隼那は驚いて顔を上げた。高慢ちきな女性の声だ。
「誰?
テレパシー?」
立ち上がって大声を上げた隼那を見て、後片付けを行っていた店主が驚く。
隼那はその時になってサイコワイヤーを繋いだままであったことに気が付き、慌てて回収した。
テレパシーと口にはしたものの、そうでは無い事は、それを使い慣れている隼那には、良く分かっている。
『誰だと思いなさる?当てて御覧なさい』
再びその声が聞こえた。見えない相手からの、如何にも意地の悪そうな声に、隼那は苛立った。
「どこにいるの?
姿を見せなさいよ!」
恭次の不在で神経質になっていた為、すぐに頭に血が上る。
店長の反応を見れば、自分にしかその声が聞こえていない事は、明らかだった。
サイコワイヤーも繋がっていないのに、こんな声が聞こえる筈が無い。
怒鳴り声は、得体の知れないものへの恐怖心からだったかも知れない。
『無茶を言われても困りますわ。
さあ、わたくしの名前を仰いなさい!』
まるで命令するような口調。幻聴では無さそうだ。
そう考えて、冷静になる。
店内どころか、窓の外にもそれらしき人影は見当たらない。
そもそも店長に聞こえていないのだから、真っ当な相手とは考えない方が良い。
――そして、記憶を辿れば思い当たる事が一つ。
「――フレイヤ?」
『ピィンポ~ン!
あーあ、当てられてしまいましたわ。
残念。意識を乗っ取れるチャンスでしたのに」
一転して明るそうな声が聞こえると、急に体から力が抜ける。
その声を聞いた隼那は、何となくお馬鹿さんな相手だと思った。
「じゃあ、スザクとペガサスもいるわけ?」
『ええ~っ!』
頭の中に響いた大声に、隼那は反射的に耳を塞いだ。
勿論、そんな行為は何の効果も表さず、そんな結果に隼那は嫌な顔をした。
ちなみにペガサスはワイバーンの改良型の事だ。
『わたくしの他にもいるわけ!?信じられませんわ!
そんな得体の知れない連中なんて、さっさと取り外してしまうに限りますわ!』
隼那の右手が、自身の意識とは無関係に動いて首筋を撫でる。
勝手に自分の腕が動いた不気味さと、まるで他人にくすぐられたようなこそばゆさに、隼那の顔は蒼褪めて大きく歪んだ。
「嫌ぁっ!
何よ、コレ!気味悪い!」
力を加えれば、その右手はすぐに彼女の意思に沿って動き、首筋から勢い良く離された。
口元を歪めたまま、隼那はその手を見下ろした。
『じゃあ、あなたがやって下さる?
ホラ、そいつらが目覚めないうちに。早く!』
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!」
繰り返しながら頭を抱え、椅子へと座って丸くなる。
全身がガクガクと震えていた。
その奇怪な現象に、頭の中はパニックになっている。
『余計なお世話かも知れませんけれども、声に出して喋らない方が良いと思いますわよ。それでもわたくしには聞こえますもの。
さっきからお店の方が、おかしなものでも見るような眼をしていらっしゃいますわ』
「……大丈夫かい?」
途中で店主が心配して掛けて来た声など、今の隼那には届いていなかった。
「放っといてよ!」
力任せにそう怒鳴ると、店主は自分に言われたものだと思って、口を噤んだ。ただ、時々心配そうにちらちらと、目を向けるだけだ。
もう、作戦どころでは無かった。
しばらくそうしていた隼那は、気が付けば代金だけをテーブルの上に残して、忽然と姿を消していた。