トマトジュース

第20話 トマトジュース

 お互いに手を差し出し、思いッきり握る。すると――
 
「……ありゃ?

 ……おかしい。
 
 ……負けて……ねェか?
 
 イテテテテ!」
 
 虎白は、自分の考えの甘さを思い知らされた。
 
「参った!降参だ!頼む、離してくれ!イテテテテテテ!」

「情けないヤクザだな。握り潰されるまで、耐えると思っていたが……」

 そう言いながら、狼牙は手を離さない。
 
「頼む、離してくれ!

 本当に手が潰れちまう!」
 
「安心しろ。潰れても、ここは病院だ。治療は施せる」

「ほ、本気で潰す気かよ!」

 狼牙の手に、より一層の力が込められている。虎白は左手も使って狼牙の手を引き剥がそうとするが、全く動かない。
 
 いや、それどころか、万力のように徐々に締め付けられて行く!
 
「久井さーん、久井 虎白さーん」

 看護師が、虎白の名前を呼ぶと狼牙は手を離した。
 
「助かったな。もうちょっと、時間があれば握り潰せたんだが……」

「アンタと敵対するのは、得策じゃねェな。益々欲しくなったんだが……駄目なんだろうな。どんな手段を使っても」

「手段を選ばなくなったら、我が一族に伝わる呪術の実験台にしてやろう。

 ……早く行け。呼ばれたんだろう?」
 
「ああ、そうするよ。

 ……アンタの名前、出してもいいか?」
 
「……何の為に?」

「……いや。答えが分かったような気がするから、やめておくよ。

 ああ、そうそう。気が変わったら、連絡してくれよな。
 
 コレ、名刺だ」
 
「要らん!さっさと行け!」

 名刺を差し出した手を跳ね除け、狼牙は椅子に座った。虎白なんかよりも、よっぽど迫力があって、ヤクザっぽい。それも、かなり偉そうな。
 
 虎白が診察室に入って暫し。げっそりとした顔で、虎白は出てきた。
 
「アンタ、よく今まで生きて来られたな。血液が、あんなに高くて、しかも、量を売って貰えないものだとは思わなかった。

 それに、在庫不足で三日間、待たされることになった上、血液検査の為に逆に血を抜かれた。
 
 俺の考えが甘かった。こうなると知っていたら、感染させなかったのになぁ……」
 
「拷問のつもりでやったことだとは、分かっていた筈だろう?」

「いや。ただ死を遅らせる為だけに感染させたものだとばかり思っていた。

 最初の手法が、あまりにも強烈だったからな。そちらにばかり気が向いていた。
 
 ……そうか。最初のは、自分で動くことを防ぐ為だけにやったことだったのか」
 
「その通り。本当の拷問は、血への渇きによるものだ。間違いなく、狂気に囚われるからな」

「……そこまで知ってて、やったのか?」

「もちろん。

 僕自身も、子供の頃は狂気に囚われていたし、先祖の日記にも、そのことは記されていたからな。
 
 僕は、れっきとした精神障がい者なのだよ」
 
「そうだったのか……。知らなかった……。

 ……いや、知らなくて当然か。まだ、アンタに関しては知らないことの方が多いだろうからな」
 
「血が足りなくなった時の為に、ケチャップとトマトジュースを大量に買い溜めしておくことを勧めるよ。僕の場合、トマトジュースが病状緩和の決め手だった。

 あとは、塩を常に持ち歩くことだな。喫茶店などで水を飲む時に、少し塩を入れると良い。出来れば、生理食塩水と呼ばれる濃度にするのが理想なのだが、パーセンテージは忘れてしまった。勘と経験で、適度な濃度にすることが出来るようにすればいい。
 
 全く分からないなら、子供の理科の教科書……確か、化学だと思ったが、それを見ると良い。載っている筈だ。
 
 但し、コーヒーに入れると飲めたものではない。恐らく紅茶や茶の類は全部そうだろう。
 
 僕も、何でもかんでも塩を入れて飲んでいる訳では無い。コーヒーは、失敗だと思い、勿体ないが捨ててしまった程だ」
 
「……効くのか、それは?」

「トマトジュース程では無いが、かなり。飽くまでも、僕にとっては、だがな。

 日常的に行っていれば、心が落ち着いて来るようになる。それに更に鉄分が入っていると良いのかも知れないと、ここの刈田医師が推測したが、それを試みたことはない。
 
 水の中に、鉄の塊でも入れておけば良いのかも知れないが。
 
 要するに、成分が血に近いものを飲めば良いということだよ。
 
 ……おっと、呼ばれたな」
 
 話しながらも、看護婦の呼び声は聞き逃さなかった。
 
「では、失礼。

 願わくば、二度と出会わぬことを」
 
「おいおい。水曜日に、歯を何とかしてくれる医者を紹介してくれるという話はどうなった?」

「……忘れていた。

 前日に、また電話で連絡してくれ。忘れてしまわぬようにな」
 
「当日の朝にも電話するよ。すっぽかされたら、本気で困るからな」

「朝はこちらが困る。

 予約を入れたのは午後3時だから、昼にしてくれ」
 
「分かったよ。

 お。こっちも支払いの呼び出しだ。随分と早く追い出してくれる病院だな。
 
 またな」
 
 アナウンスが聞こえた後、虎白は支払いカウンターに向かった。
 
「僕も、余計なことをしたものだ」

 その背を見ながら狼牙は呟き、診察室へと入った。