第44話 ゼノの記憶
それなりに広い研究室のシーンが見える。
帝国の地下では無く、もっと昔に、そことは別の場所に建てられていた、外界からは隔離されたような研究所の中。
幼い子供が道に迷い、誰かを探して歩き回っていた。
「あなた、だあれ?」
横手から突然掛けられた声に驚き、振り向く。
見れば若い女性――とは言っても、その子から見れば、随分と年上なのだが――が、その子の傍まで近付いて、目線を合わせる為にしゃがみ込んでいた。
綺麗なエメラルドグリーンの髪というものを、子供はその時まで見たことが無かった。
「ぼ、僕はゼノ・ヴァリー」
「私はラフィアって言うの。ラフィア・ハスティー。よろしくね。
あなた、何してるの?」
「お、お母さんを探しているんだ」
ビクビクしながら、幼いゼノは答える。
ラフィアは小首を傾げて、優しく笑みを浮かべている。
ゼノはそんなラフィアの持つ魅力に圧倒されていた。魅了されていたなどという生易しいものではない。
「オカアサンって、なあに?」
そのまましばらく誰も動かず、何も動かない。
やがてその映像が乱れ、次にも同じ様な研究所のシーンが現れた。
研究室に設置された、二つの大きなカプセル。
そこに二人の女性が横たえられている。
一人はその時からおよそ10年前と寸分変わらぬ姿をしたラフィア。
もう一人は下半身が鱗に覆われた魚の様な形をしている、所謂、人魚、エセル。
ゼノは、そのうちのラフィアの方だけを、嬉しそうな面持ちで見つめている。見とれている。
「ゼノは『ELF』の娘がお気に入りか?」
研究員の一人が、揶揄う様な口調で言葉を掛ける。
「彼女にはラフィア・ハスティーという素敵な名前があるよ」
「名前をつけたおかしなジイサンは、最近になってどっかに消えちまったけどな。
あのジイサン、有能だったのになぁ。
また、戻ってきてくれないかなぁ……」
「彼の遺した古文書だけで、十分な研究が出来るじゃないですか」
ゼノの言った言葉に、その研究員の顔色が変わる。
大事な研究の時にしか見せない、真剣な眼差しすら見せている。
「どうして、古文書のことを知っている?」
迫力に押されて、体が段々と反り返って行く。
何故そんな怖いぐらいの真剣さでそのことを聞いてくるのかが分からず、すぐに出る筈の言葉が出ない。
答えようとしないのを見て、研究員は益々迫力を増した顔を近付けて問い詰める。
「か、母さんに見せて貰ったんだ」
「……そうか。確かに、ゼノの母親も研究員だったな。
――いいか。その本の事は、今後、誰にも言うんじゃないぞ」
「は、はい」
場面は再び切り替わる。
「こっちだ!」
研究所の中、ゼノは銃を持った警備員風の服装をした男たちを率いて走っていた。
走り去った後には、研究員が血を流して倒れている。
既に絶命していたのか、ピクリとも動かない。
ゼノたちはやがてラフィアたちのいる部屋まで辿り着く。
今日は解放日である為、エセルはその身体には少々手狭な水槽で泳いでいた。
だが、一緒にいる筈のラフィアの姿がどこにも見当たらない。
加えて云えば、水槽の栓が抜かれている。
それからしばらく、レズィンにも見覚えのある光景が続き――
「人魚は麻酔を打ち込んで、すぐに運び出してくれ!
僕――私は、他の用事を済ませてから後を追う!」
ゼノの考えている事が伝わって来る。
――人魚を手に入れるだけではダメだ。彼女と果てしない時を過ごす為に、メジャーの連中と取り引きをしたのだから。
――ここの……マイナーの連中では、根が優し過ぎる為に、例え無限の若さの為でも、人の姿をしたものを食うなどということは出来ない。
研究所の中を駆けずり回る。……いない。どこにも。
彼女を探すついでに、自分の実の親を撃ち殺して、本を手に入れる。
それは、『ランクルードの研究書』と呼ばれている、錬金術の記録書。
それがどれだけの価値を持っているものなのか、この時点ではゼノは知らない。
だが同じ錬金術を研究するメジャー相手に対して、良い取引材料となることだけは、確かだ。
結局、ラフィアは見つからなかった。
ブラックアウトならぬ、ホワイトアウト。
「何だったんだ、今のは?」
目の前で繰り広げられた不思議な光景に、レズィンは呆然と立ち竦む。
「まだ、終わりじゃないみたい」