第34話 エア・メール
「で、いなくなっちゃったの?」
「ええ。その、ケベックという人も一緒にね」
日曜の昼。奈津菜は疾刀の家で手料理をご馳走になりながら、事の一部始終を聞き出そうとしていた。
これで晴れて恋人同士、等と考えているのは、奈津菜一人の思い込みに過ぎなかったのだが。
因みに、どちらかと云うと、目的は前者の、事の一部始終を聞き出すという事よりも、後者の晴れて恋人同士という方が比重は大きい。
「探さないの?」
「何処を?」
聞き返されて、奈津菜も悩んだ。
もし、式城 紗斗里が見つかったという事になれば、大々的なニュースとなっている筈だ。
話を聞く限りでは、彼女が本気で隠れれば、見つけられる者などいないのではないかと思う。
「思ったんだけどさぁ。楓ちゃんって、可哀想じゃない?」
「……」
「私も、アテネに操られてたから思うんだけど、……ねぇ、聞いてる?」
「ええ」
どこか上の空な返事。それでも耳に入っているらしいと、奈津菜は先を続けた。
「最初は何が起きたのか分からなくなって、半分パニックになって、落ち着いてからも、何も分からないのよね。
あんな状態が長く続いちゃあ、本当に頭がおかしくなっちゃうんじゃないかなって思ったら、またパニックになって……。
そうそう、アテネたちは平気だって。
元々は頭の片隅に現れた、眠り続ける筈の人格でしかないから、むしろそっちの方が普通の状態なんだって。
それでも表に出て来るのは、病みつきになるほど楽しいかららしいんだけど」
「……」
「式城 紗斗里って、結局はサイコソフトの一つだったのかなぁ……」
『『それは違う』』
二人の頭の中で、違った口調の同じフレーズの言葉が響いた。
すっかりソレに慣れてしまった奈津菜は、ただ小さくクスリと笑う。
話し掛けても答えてはくれないのに、時々こうして声が聞こえる度、一歩ずつ彼女の心に歩み寄れた気分になる。
「――そういえば、武蔵研究所が閉鎖されるってニュース、聞いた?」
「ええ。随分と早い判断ですけど、主力である式城 紗斗里はおろか、研究資料のほとんどが失われてしまっては、仕方が無いという気はしますね」
「タメ口利いて欲しーなー、こーゆー二人っきりの時ぐらいはー。
でね。そこで使われてたスーパーコンピューターをね、是非ともウチの会社で引き取って欲しいって連絡があったんだって」
「……どうして?」
ようやく疾刀の興味を引くことが出来て、奈津菜は喜び、肘をテーブルの上に立てて顔を両手で支えた。
「ジャミングシステムの必要性を認めてくれたのよ。
でね、ウチの開発室で使えるよう、十分に手は打っておいたから。
――あ、このことは他の人に言っちゃ、駄目だからね」
何とも早い、情報収集能力だ。社内スパイの異名は、伊達じゃない。
「――ただ、頭が空っぽっていうのが気になるのよねぇ……」
奈津菜のその言葉で、疾刀の興味は急速に薄れた。
頭が空っぽ、つまり、データもソフトも入っていないのでは、しばらくの間はただのお荷物でしかない。
奈津菜の会話もそこで一度途切れ、二人はしばらく食べる事に専念した。
――カタンッ。
「――郵便かな?」
玄関の方から、軽い物が落ちる音がした。
マンションの三階とあって、部屋にまで郵便物が届けられることは少ない。
ビラのようなものが時々入っていることがあるが、それとは違った音に思われた。
気になった疾刀は、食事中だと云うのに席を立った。
「――何だったの?」
「エア・メール。……誰からだろう」
差出人の名前も無く、心当たりも全く無いその手紙を、疾刀は早速開いた。
「――ん?」
まず、そこに書かれていた日本語に意表を突かれた。
次に書かれていた差出人の名前に、飛び上がる程驚いた。
最後にソコに書かれた内容に、愕然とした。
その表情の変化に、奈津菜は思わず吹き出してから訊ねた。
「どうしたの、百面相なんかして?」
「ごめん!食べ終わったら、すぐに帰ってくれないか?」
「――何があったの?」
「ウチの親が、今日、帰って来るって!
親が住んでいた家は売ったから、迎えに行かないと!」
慌てた疾刀は、あちこちの部屋へと駆け回る。
やがてジャケットを羽織って現れると、テーブルの隅に鍵を一つ、叩き付けるように置いた。
「合鍵。郵便受けに入れといて!」
こんなチャンスを逃してたまるものかと、奈津菜がキラリと目を光らせた事に、疾刀は気付かず、あとは一目散に家から飛び出していた。