アイオロス英雄伝

第9話 アイオロス英雄伝

 ザワッ。
 
 おおむね平和であった街の人波が、ざわめき始めた。ただ一組の旅人が現れたが為に。
 
 普通の旅人であれば、特別、何も起こらなかったであろう。
 
 このご時世、家はおろか、街まで失い、住処を求めて、或いは旅の中に生きる旅人、そして、『DEVILの誓い』――エンジェルに復讐を果たすと云う誓い――を立て、デビルと呼ばれて旅する者たちは、決して珍しくは無い。
 
 彼らが、街に寄ることもまた。
 
 問題は、彼等の風体であろう。
 
 一人は、黒い大きめのローブで頭から爪先まで覆い、顔にも、飾り気の無い、鼻から上を覆い隠す白い仮面を被っている。
 
 一般的には珍しい恰好ではあるが、デビルであれば、然程さほどでは無い。
 
 エンジェルによって、顔に見るも無惨な傷を負わされているデビルも多々いるからだ。
 
 もう一人。羽織っているのは灰色の薄汚れたロングコート。
 
 旅人の多くが、コレを愛用している。
 
 理由は機能性では無い。
 
 アイオロスに憧れる者が多いからだ。
 
 それだけで、彼のように強くなって気になれるのだ。
 
 時には、名をかたる馬鹿者も居る。
 
 だが、大抵は偽物だとすぐにバレる。何故ならば、彼の外見はとても特徴的だからだ。
 
 彼の容貌は、以下のようなものだ。
 
 まず、金色の髪。これは別に、珍しくない。
 
 整った美しい容貌。だが、どこか気弱さを感じさせる。病的、というのとも、ちょっと違うのだ。
 
 単純に、気が小さく、弱そうに見えるのだ。
 
 その彼に付き纏う英雄伝に語られる強さと、残念ながら相反して、彼の英雄伝だけを知って実際にアイオロスを見た者は、間違い無く彼をその英雄伝の主とは思わない。
 
 そして、金色の瞳。これが中々、珍しい。ただ、これらの条件に当て嵌まる者も、全く居ない訳では無い。
 
 だが。
 
 彼には、背中に背負った三対のエンジェルの翼――1対は焦げている――の他には、一見して荷物が無かった。
 
 勿論、エンジェルの翼を持っているというだけで、十分に驚くべきことだが、それでなくても、一見してそれ以外の荷物が無い事に、今は注目して欲しい。
 
 恐らくは、必要なものをコートの下に隠し持っているのだろう。
 
 それこそ、本当に誰にでも真似できそうなことだと思われるだろう。
 
 が。実際に旅を続ける者にとって、デビルとして旅する者なら、より良く分かることなのだが、これが最も難しい条件だ。
 
 さて。具体的に、どう難しいのか。
 
 まず、食糧。コレは、完全栄養食と云うものがあるので、何とかなる。
 
 ソレの入手は、さほど難しくない。
 
 直径1㎝程の、丸くて一見するとチーズのように思えるもので、一粒で一日分の栄養を摂取出来ると云うのが良い。
 
 長期の旅をする者にとっては、必須と言える。
 
 但し、味の評判はすこぶひどい。
 
 コレを食べ続けるのは、拷問に近いという代物なのだ。
 
 それを行っている者は、デビルの誓いを立てた者ぐらいのものだ。
 
 次に、武器。コレはデビルでなくとも、旅をする者にとっては必須だろう。
 
 一歩街から踏み出れば、危険はすぐ目の前にある。
 
 野盗だ。
 
 相手が余程の少人数でなければ、一体のエンジェルに会った方がマシ、と云う事も珍しくない。
 
 エンジェルは街を襲い、人を大量虐殺する事があるものの、移動中に見かけた者全てを、イチイチ殺していくという事は、滅多に無い。
 
 だからむしろ、人間に会った時こそ用心が必要なのだ。
 
 ここで重要なのは、武器は大きければ大きいものほど好まれると云う事だ。
 
 まず、威嚇いかくになる。戦車に乗った旅人を、好き好んで襲う野盗は居ない。いや、これは極端な例だが。
 
 大きな武器は、実際に使われる事も多くないので、弾丸の補充が困難であっても、さほど困った事にはならない。
 
 ちょっと考えれば分かるだろうが、弾丸の補充が困難な武器を持ち歩いているデビルを、わざわざ狙って襲い掛かって来る奇特な野盗など、まず居ないことが判るだろう。
 
 そのクセ、もしもその武器に弾丸が装填されていたら、まず襲った野盗がいの一番に被害を被るのだから、持ち歩くデビルからすれば、それが高価でも、むしろその方が安全だ。
 
 また、デビルも大きな武器を求める。
 
 彼らは実際にエンジェルと戦った経験が無い者が大半であるが故に。
 
 まあ、エンジェルの強さを考慮に入れれば、当然と言えば当然だ。
 
 エンジェルは神出鬼没な上、空から街を襲い、圧倒的な強さで街を滅ぼす。
 
 逃げるのも困難な程であるのに、向かって行けば、当然、殺されてしまう。
 
 空を飛べなければ、飛び道具を求め、その強さを知り、火力を求める。
 
 例外として、アイオロスが挙げられるが、実戦で役に立つ武器と、その活用法を知る者は少ない。
 
 勿論、空を飛べる者も。
 
 アイオロスの英雄伝に、尾鰭おひれが付きまくって広まるのも、当然である。
 
 何しろ、彼の他には、エンジェルを実際に狩れる者など、ほとんど居ないのだから。
 
 だから。
 
 彼が他ならぬアイオロスであることは、知っている者にはすぐにバレていた。
 
 エンジェルの翼を背負っていることが、決定的な証拠だった。