第45話 ついで
「さて。当初の目的は果たした。
あとは……そうじゃの。あの疑似血液、随分な量があったから、私にも分けていただきたいのだが……」
「断る!」
「……やれやれ。機嫌を損ねてしまったか。
では、代わりに美しいお嬢さん。少々、耳を拝借」
詩織が耳を寄せると、ドラキュラは何やらゴニョゴニョと言い始めた。そして、懐から取り出したのは、数枚の金貨。
「ええ。それでしたら売却しても構いませんが、そんなに高価な物では無いのですよ?それでもよろしければ」
「ウム、金貨は娘さんの養育費の足しにでもして下され」
「ありがとうございます♪」
交渉成立。そこに、狼牙の意見は取り入れられなかった。
「……僕が幼い頃、牛乳ばかりを大量に飲まされていた原因は、まさか――」
「ウム、儂が入れ知恵した。
そして、牛乳のカルシウムを大量に摂取する事によって、身長が伸びてスタイルが良くなるものかと思っていたのじゃが……。
残念ながら、カルシウムは必要でも、それだけで身長が伸びるという根拠は無いらしい。
でなくば、酪農家の娘だった、君の母親が、あんなに背が低い訳もあるまい」
「おかげで、僕は牛乳が苦手になって、ケチャップと塩を入れて、鉄の風味が出るまで寝かせねば、飲めなくなった」
「狼牙ぁー、塩分摂りすぎだよぉー。もっと健康に気を付けないと」
「いやいや、お嬢さん。それが、ヴァンパイアにとって大切な事なのじゃよ。
貴女もそろそろ、塩分が欲しくて欲しくてたまらなくなって来ているのではないかな?」
「私は大丈夫なの。狼牙の血をしょっちゅう吸っているから。
……でも、ひょっとしたら、塩分の摂り過ぎに繋がるのかな?」
「いやいや、大丈夫ですぞ、お嬢さん。ヴァンパイアは、一日三食が血液でも、大丈夫ですからな。
それでも、どうしても気になると仰るのなら、エナジードレインを覚えると良いですぞ。
あれだけでも、ヴァンパイアは生きて行けますからな。
……ただ、血への渇きを潤す手段が必要となりますが」
「なら、いいや。これまで通りの食生活を続けようっと」
「ところで、今晩のメニューは何ですかな、美しいお嬢さん?」
「主人の大好物、ポークチャップです」
「ほほぉう。それは、是非いただきたい!……いただけますかな?」
目を輝かせるドラキュラに、狼牙の態度は冷たい。
「用事を済ませたなら、さっさと帰れ、ジイサン!」
「狼牙!あなたのお祖父さんなんでしょ!?そんな言い方は無いじゃない!
どうぞ、ゆっくりして行って下さいね、お祖父さん」
「ありがとう、美しいお嬢さん。
良い嫁を貰ったのぅ、狼牙。儂にも、こんな嫁が欲しかったわい」
「……ジイサン、アンタ、絶対に日本に住んでいるだろう?」
「……何故、そう思う?」
「『ドイツの山奥にあるちょっとした城のような場所に住んでいる』なんて、見栄を張っただろう。
そんな場所に住んでいる割には、日本語に親しみ過ぎている」
「日本の本は、好きじゃからのぅ。特に漫画という奴が。
特に、最近のものは、時折、日本に旅行に来ている事は確かじゃわい。
お前の、祖父の代の時に日本の読書にハマり、何十年も、読み続けておる。
最近では、それが一番の楽しみじゃわい」
「……成る程な。咄嗟に出て来た言い訳とは、ちょっと思いづらいな。
仕方ない。信じよう。
……まさか、買い出しのついでに李花の顔を見に来た訳じゃ無いだろうな?」
チッチッチ。
ドラキュラは人差し指を振りながら、舌打ちをした。
「逆だよ、逆。
孫の顔を見るついでに、買い出しに来たのだ。そんな勘違いをされては困るな。
君の本も読んでいるとは、一年前に言ったかな?」
「聞いた覚えは――ああ、言っていたか。
あれから、一年も経つのか……」
「儂の記憶では言って居る筈じゃから、間違い無い!」
「どこまであてになるものやら……。用事を済ませたなら、さっさと帰ることだな。
夕飯は、詩織が許可したから、サービスだ。食べて行くと良い」
「おっ!ようやく譲歩してくれたか。
ついでに、宿を一泊――」
「……特別サービスだ!」
「もう一つ……」
「注文の多い客だな!」
「疑似血液を、今、一杯いただけぬかな?」
「ああ、私がご用意致しますよ、お祖父さん」
親切にも、詩織がそう申し出た。
「おおっ!何と親切なお嬢さんだ!
いつもは、私がヴァンパイアであることを言うと、『二度と来るな』みたいな態度で扱われていたのだが……。
ううっ……。嬉しくて涙が出るわい。
狼牙、おまえは、本っ当に良い嫁さんを貰ったのぉ……」
「まあな」
狼牙にとって、詩織を褒められることは非常に嬉しいことだった。
その一点に限っては、狼牙はドラキュラを好評価している。
「問題は、お祖父さんの寝る場所よねぇ……」
「それについてはご心配なく。
私は、睡眠をほとんど取らない上、椅子一つあれば熟睡出来るという、特技を持っておる。
ちょっと、この一角を借りてよろしいかな?」
ドラキュラは、ちょっと開けた窓際の一角を指して言う。
「ええ、構いませんが」
「では、ちょっと失敬」
ドラキュラは、どこからともなく、ロッキングチェアを取り出した。
「これさえあれば問題ありませぬ」
そう言い、ドラキュラはロッキングチェアに座って揺られた。
「しかし、その子、全然泣きませぬなぁ。大人しい子じゃのぅ。
狼牙など、ギャンギャンに泣いていたものじゃが……」
「……僕の子供の頃の話はやめてくれ」
「この子が将来、どんな子に育つのか、今から楽しみじゃわい」
愕然として、そういえばと、持っていたスマホを耳に当てた。
「もしもし」
『ああ、狼牙サン。何かがあったのだけは分かったから、また今度な』
スマホを切って、狼牙は、未だ去らぬ受難に悩まされていた。