Ω言語と絶対言語

第36話 Ωオメガ言語と絶対言語

 8日後の昼過ぎ。楓は研究室にいた。
 
 東矢の死亡予定時刻まで、あと少し。一体何が起こるのか、不謹慎ながら、楓は少し期待していた。
 
「面白いもの、かぁ」

「やはり、そちらに興味が行きがちですか、楓。

 気持ちは分かりますよ。僕だって、そちらに興味がありますし。
 
 第一、楓を助ける為のヒントになる筈なのですから。
 
 それより、楓。このプログラム、本当に楓が完成させようとしていたのですか?
 
 いえ、あなたの構想を直に見ていますから、その通りなのは分かっているのですが。
 
 正直、子供の構想したプログラムとは信じ難いですよ。
 
 僕ですら、完成に一ヵ月はかかるのですから、普通の人間なら、1年あっても組み上げられませんよ。
 
 分量も、あのノート1冊じゃあ足りなかった筈です。
 
 答えが分かっていても、こう問います。
 
 あなた、歳を誤魔化していませんか?」
 
「……どういう意味?」

 キョトンとした顔で、楓が問い返した。
 
「僕、紗斗里と遊んでいて、『あっ、こういうプログラムって役に立つんじゃないかな?』と思って組んだんだよ」

「確かに、Ωオメガ言語の基礎は教えましたが、応用力が半端じゃない。

 それに、僕が教えていない命令まで使っていませんでしたか?」
 
「教わってないけど、紗斗里の内部で走っていたのは知っていたから、そこから自分で学習したよ?」

「ほぉ……。意外と努力家だったのですねぇ」

 言われて何が気に入らなかったのか、楓はブスッとした顔をした。
 
「意外とって、失礼だと思う」

「いえ、楓は天才肌の子供だと思っていましたので、陰で努力をしていたとは思わなかったもので」

「天才だって、努力はすると思うよ。

 それに、僕が努力している事は、紗斗里が本気になって知ろうと思えば簡単に知る事が出来た筈じゃないの?」
 
「確かに、そう言われると、その通りなのですが――」

「じゃ、いいでしょ?

 さぁ、紗斗里はデュ・ラ・ハーンを分析して。
 
 プラグ部に書き込まれているプログラムは、一旦、僕の脳を経由しないと解読出来ないんでしょう?
 
 僕は僕で、東矢さんの様子を窺っておくから」
 
「そうは言われても……実は、解読出来ないんですよね、現状では。

 そもそも、そこに書き込まれているのは、コンピューター言語によるプログラムではありません。
 
 解読する為のプログラムを走らせるとしても、楓の考案したプログラムを作るのにメモリーを目一杯使っているから、容量が足りませんからねぇ。
 
 まぁ、そちらのプログラムを作るのに使うメモリーを、必要最低限にとどめれば同時作業は余裕で行えますが、それでは作業が遅れてしまい、寿命を引き伸ばすプログラムの作成はやめた意味が無くなってしまいますからねぇ……。
 
 色々、事情があるのですよ。こちらにも」
 
「でも、メモリーワイヤーのプラグ部って、コンピューター言語命令を、人間の脳内でも走らせる通訳をする役割もあるんだよねぇ?

 それを逆に走らせて応用出来ないの?」
 
「だーかーらー。

 絶対言語には、全てのコンピューター言語の命令に対応する命令はあっても、逆は必ずしもそうではないから困っているんじゃないですか!」

「だから、僕の脳を貸しているんじゃない」

 鋭い指摘。コレには、紗斗里も言葉を返し切れない。
 
「それはそうなんですけど――」

「僕の脳を使う容量が無いとでも言うの?」

「いえ、僕は人間の脳と繋ぐことを前提に作られたコンピューターですから、極少ないメモリーで楓の脳力を借りる事は出来ますが」


「なら、問題無いでしょ?」

「ですから、楓の脳から僕への翻訳が出来ないんですよ」

「じゃあ、トランスすれば?」

「今は、東矢さんの死亡予定時刻が迫っているでしょう?」

 これには、楓も納得をするしか無かった。
 
「それじゃあ、東矢さんに何かあったら、その後でにしようか」

「そうですね」

 二人の会話はそこで一区切りがつき、それまで行っていた将棋の続きが再開された。
 
 市販のゲーム用コンピューターを遥かに上回る、プロ顔負けの強さを誇る性能を発揮することも、紗斗里ほどのコンピューターの手にかかれば、余った容量で行える程度のレベルであるし、一度、フル起動して、将棋の『最強定石』は確立済みであり、あとは楓がどれだけ善戦するかの問題になって来る。
 
 研究所の、8つある研究室の全てに端末があり、同時作業をそつなくこなす性能を誇っているのだから、当然である。
 
 ならば、他の研究室に割り当てられた分の容量も回して貰えば、例のプログラムの作成とデュ・ラ・ハーンの解析を同時に行えるのではないかと言うと――
 
「いやー、参った、参った」

 その答えは、そう言って帰って来た疾風の口から語られることになる。
 
「紗斗里ぃ。こっちでばかり、凄いメモリーを使って作業しているみたいだって、他の研究室から苦情が来てたが、どうなんだ?

 そのせいで、俺は大分あちこちでこってり絞られちまったんだぞ。
 
 いや~、式城先生も酷いじゃないですか。
 
 こういう時にばかり、俺を便利に使ってくれちゃって。
 
 俺も暇じゃないンスよ?」
 
「あら。私の悪い予感が当たったみたいね」

「予想していたのなら、自分で行って下さいよ。

 ココの責任者はあなたでしょう?
 
 楓ちゃんからも、お母さんに言ってやってくれないかな?
 
 ……おや?今は紗斗里なのかな?」
 
「しーっ!」

 楓は疾風に向かって人差し指を唇に当てて黙らせた。
 
「始まった」